ハムレットではないけれど「言葉、言葉、言葉」という感じだが、海辺というおよそ平板といえばこれ以上ないくらい平板な背景で、縦の構図、つまり役者を画面の奥から手前にかけて動かすようにして(ピントを送るのが大変そう)、舞台劇っぽいモチーフをロケの空気と立体感の中に展開してみせる。
ミニマムな分、芝居をみっちり見られるのは確かで、単調なのは見る側も(少なくとも自分にとっては)織り込み済みではあります。
原田美枝子と共演していることからも「乱」とつながっているのは明らかで、老いてボケかけているが財産はある元スター俳優に対して一種陰謀を企むような娘(ゴネリルやリーガンというよりやはり楓の方に近い)の役を振り、対して一見つっけんどんながら実は誠実な娘(つまりコーディリア)を黒木華にやらせている。初め黒木華は孫の役かと思ってた(仲代との実年齢差58歳)。
「リア王」を認知症として描く解釈はかなり前からあって、鈴木忠志演出の舞台で幕開きに入院中の老人と看護師が現れて、それが本筋に入るとリアと道化になるという演出もあった。実際、他国の領主が傍らにいる席で家族争議を起こすというのは少なくともかなりヤキが回っていると言えそう。
認知症という意識が解体していくような症状を「演技」という意識的な行為で表現するのはそれ自体矛盾を抱えているわけで、リアリズムよりも通常の視点から世界を眺める寓話的な作りになる。ミニマムな作りがそれにふさわしくはある。
どの俳優の言葉だったか、リア王というのは何もしないで(できないで)苦難に翻弄されるような役だから一見楽だが、実際にやるとなるとすごい体力がいる、リア王の実年齢になったらムリですという話があったが、仲代先生、リア王そのものではないにせよ「乱」の秀虎とはまた違う形でパワーを見せつける。体力そのものは落ちているに決まっているので、それが演技の技ということになるのだろうか。
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