原作は初めの方しか読んでいないので、入れ替わりのガジェットである口紅に何か由来があるのかと思ったがはっきりしないまま。
原作だと累は人間離れした面相だが、さすがにそこまでは映画ではできない。
二人の対立は「フェイス・オフ」みたいな善悪の対立ではなく、外観と内面の両方にわたる美と醜の対立なわけで、むしろ善悪よりも取扱注意といった感じがする。
「天才」を映像で納得できるように描くのはおしなべてハードルが高いが、荒唐無稽な設定にかなり助けられた。
土屋太鳳の特技である踊りの実力をクライマックスのサロメの踊りにあてはめて、そこから逆算して構成したみたいな感じもする。
土屋太鳳と芳根京子の入れ替わりは初めのうちは入れ替わるところを見せるけれど、そのうち省略するようになり、それでいて今どっちの肉体にどっちの人格が入っているかはっきりわかる。
若干不思議な気がしたのは、丹沢ニナの肉体が舞台に立っている時は人格は累の肉体に入っているわけで、つまりいくらニナが舞台上の喝采を浴びても直接それを味わうことはできず、さらにそれ以前に人格としては人前で芝居をすること自体ができないのだから、ニナは人前に立つ芝居そのものには愛着がないのかなと思った。
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