冒頭、田舎道を羊を連れて歩く女性にいきなりモデルになってくれと頼むところがゴッホの一人称カメラで描かれる、そこのセリフはフランス語で、それに続く弟テオとの会話まではフランス語なのだが、その後のセリフは英語になる。
「夢」でマーティン・スコセッシが扮したゴッホ登場シーンもフランス語から英語にするっと代わっていたけれど、本当はフランス語を喋っているのだけれど演じるのが英語圏の人だから、あるいは一番マーケットが広い言語だからというので英語にしますといった映画の裏がほの見えて毎度のことながらどうも鼻白む。
「夢」でマーティン・スコセッシが扮したゴッホ登場シーンもフランス語から英語にするっと代わっていたけれど、本当はフランス語を喋っているのだけれど演じるのが英語圏の人だから、あるいは一番マーケットが広い言語だからというので英語にしますといった映画の裏がほの見えて毎度のことながらどうも鼻白む。
構成的にいうと冒頭のシーンがずっと後で再登場して、その後が結構長いのが物理的に時間以上に長く感じてしまう。
「潜水服は蝶の夢を見る」の監督らしく、全編、手持ちカメラで意識的に視角を狭くして撮っている。
「潜水服は蝶の夢を見る」の監督らしく、全編、手持ちカメラで意識的に視角を狭くして撮っている。
ストーリー映画あるいはドラマ仕立てにすることを外した作りで、画面の下をぼやかしたりして、一種デフォルメした映像で通しているのだが、それがゴッホの主観に接近したかというと、どうも疑問。
いきなりマッツ・ミケルセンが神父役で出てきたのにびっくり。ワンシーンだけの出演だが、ここでのキリストが生前はまったく無名だったというゴッホの元神学生としての真情も併せて自分とその作品が死後どう評価されるかを吐露するやりとりは見応えあり。
いきなりマッツ・ミケルセンが神父役で出てきたのにびっくり。ワンシーンだけの出演だが、ここでのキリストが生前はまったく無名だったというゴッホの元神学生としての真情も併せて自分とその作品が死後どう評価されるかを吐露するやりとりは見応えあり。
作中のゴッホの画は監督のジュリアン・シュナーベルとゴッホ役のデフォー自身、あともう一人で担当している。