候補者のよしとみ歩氏が選挙戦で全国を馬でまわるというのが何と言ってもユニーク。とくにユーゴンという白馬が小さいが実に美しい。
馬は道路交通法だと軽車両扱いで、車道を走るのはありなのだそうだが(実際、観光で馬車が走っていることはある)、何かというと警察やJRの職員などがケチをつけにくる。ルールを守らせるというより、ケチをつけるためにありもしないルールを口実にしている構造がよくわかる。
明治記念館近辺で演説しようとすると実質追い払われるあたりの奇妙な意味のない妨害も同断。
候補者たちが候補者らしくないアウトサイダーだらけなので、寺山修司的な異形の集団とも見える。
選挙になると妙にアガる人というのは一定数いるのだが、一種のお祭りでもあり勝負事でもあるからだな。
選挙を描いたドキュメンタリーとすると想田和弘監督の「選挙」「選挙2」があるわけだが、これは表裏一体のように新人候補が自民党による組織・資金・経験のバックアップを受けた場合と受けない場合とを描いていた。
そこでは完全に政策はキャッチフレーズにもなっていない符丁に成り下がっている。
この選挙戦はおよそその対極。何をしたいかの言葉がある。
だから逆になじみのない人はスルーするし、最初からシンパシーを持っている人はアガるという具合に二極化する。本来はその二極化自体が問題なのだが、マスメディアはむしろそれを煽る。不偏不党という口実を盾にした体制寄りなのだから当然。
だから今のメディアに取り上げられるのだったら敗北、というのは極論ともいえない。とにかくマスメディアの硬直ぶりはちょっと異常。
意味のないことをするのは暴力、というのはわかる。
国会も意味がなくなっていて、議員が居眠りしているのが当たり前になっている惨状。
それを言い出すと、学校で意味もなく退屈な時間をガマンするのも意味がないということになるだろう。
別に魅力的な候補者や政党がないから投票しないというのは、ひな鳥ではあるまいし、口をぽかっと開けて何かいいもの降って来ないかなと待っているみたいな話だ。少なくとも、ろくでもない候補者や政党に対する批判票を投じるくらいの積極性(ともいえない)やエネルギーを持たないと。
選挙活動そのものがポスター、選挙カー、街頭演説といった型にはめられていて、しかもそれが思い切りダサくて魅力がない、魅力がないから興味を引かず、投票率が低くなり、つまり組織票・固定票を持つ候補者・政党が強いという図式がずうっと続いている。
その中でも公明党=創価学会員の候補者が本来の池田大作先生の教えに今の公明党は反していると言って立候補するのは当然とも思える。
それにしても、池田先生、今どうしているのか。
ゾンビの解釈というのはピンと来なくて、ゾンビというのは無気力で生きているようでまるで生きていない日本人あるいは有権者のことではないかと思って見てた。
永遠に中間報告であり続けるような記録。
「ジョニーが凱旋するとき」が全編に流れるのが威勢がいいような、本来ついている厭戦的な歌詞の内容からしてやけっぱちのような。