ジョン・海山・ネプチューンのCDは人づてに半ば偶然のように手元にあるのだが、それを聴いていてもどういう人なのかはあまり考えたことなかった。
実は外人が尺八を吹くという目新しさ以外あまり意識しなかったのだが、素材になる竹を採って加工し、時に他の楽器を創作してしまうあたり、もっと音楽=音の始原に遡る姿勢をここで知ることになる。
子が親を撮るドキュメンタリーというのは、アルゲリッチやハスケル・ウェクスラーを対象にした「アルゲリッチ 私こそ音楽!」とか「マイ・シネマトグラファー」といったのがあるが、物理的に遠慮なく接近できる利点と、撮っている側の感情が自ずと混ざってくるものだが、これは後者は押さえ気味。