稲垣吾郎の、妻が浮気したこと自体より、それに対して怒りが湧かない自分にショックを受ける、というのは、そういうこともあるのではないか、と思えて、あるべき常識に異なる反応がぶつかるというより、無風状態そのものが不思議としぶとく続くこと自体が描かれているように思える。
無風状態というのが必ずしも無気力や無関心ではなく、それなりに何かがあるのを感覚的に表現できていると思う。
玉城ティナの、文学賞を受賞して居並ぶメディアに対しても臆しも緊張もしないで応対し、一方で普通のというか普通よりバカっぽいボーイフレンドとつきあっている高校生作家、というあんまりありそうにない設定がもっともらしく見える。
稲垣と並んでパフェを食べると、二人とも左利きなのがわかる。
若い女性と中年男がパフェを食べたりラブホテルをただのホテルとして利用したりするあたりが不自然でもわざとらしくもない。
作り手の腕と共に時代でもあるのだろう。