悲惨な出来事を描く時に常につきまとう問題に、現実の撮影現場ではそこまでの悲惨さは再現できないこと(旧「野火」で主演の船越英二が飢えを表現するのに絶食したらふらふらになって演技できなくなってしまった例がある)と、仮に出来たとして今度は悲惨すぎると誰も見なくなりかねないというジレンマがある。
今回は見た目のリアルさという点では役者たちが頬が削げるくらいには減量しているからまずまずではあるけれど、外国映画での寒さや汚しの技術と見比べるとやはり見劣りする。
とはいえ、前半の収容所の描写でも旧帝国陸軍の階級が温存されて、絶対的な上下関係のままに陰険な暴力がふるわれたり、ソ連兵士の暴虐など十分過ぎるくらいムカムカする域に入っている。
それで終わっていたらたまらないが、二宮和也の山本というキャラクターが絶対に諦めないで生き抜くんだと力むのでなしに竹がしなうように生き延びる靭さを出して、たとえば「人間の條件」の梶の剛に対する柔といった感じの珍しいヒーロー像を作っているのが救われる。
二宮和也の柔らかい中に芯があるようなパーソナリティが生きた。
黒い犬を小道具として使ってるのはいいのだけれども、ホームランボールをくわえて持ってきて帰ってきたところで 抑留者が頭を撫でてやったりしないというのはちょっとした手抜かりだと思う。
山本が死んでしまった後がかなり長く、手紙やその朗読を交えてかなり複雑な技を使っていて持たせているが、いくらなんで現在までくるのは 長過ぎでいささか蛇足の感がある。