劇映画「マイスモールランド」でも描かれた在日クルド人が難民認定されず、法律的にはどこにも当てはまらず、働かなくては食べていけないので働くと今度は収容所送りというシステムの根本的な欠陥はドキュメンタリーで見るとなお理不尽さが際立つ。
主人公が若い男なので腕力は強くもっぱら解体工事に従事しているのだが、象徴的に日本という
国が壊れているのを画にしているように見えてくる。
「なんでこの国にいるの(よそに行けよ)」という電話のやりとりの最後の捨て台詞。それがネット上でなく現実にぶつけられる非人間的環境。
もとより日本にはこれから自己をどういう国にするのかというヴィジョンが欠けている、とは実は1970年の大阪万博の、特に日本政府館をまわって見ての荻昌弘の評言。
「自分の何を、どう訴えたいか、その訴求のヴィジョンが、統一感・方向感はおろか、だいいちヴィジョンじたい、欠落しきっているからである。なにもない。あるのはただ、雑然たる自慢の、ちまちまといじけた、抽象的羅列だけであった 」
もう少し長い引用はこちら。
万博やら五輪やらがまたぞろ性懲りもなく効果があるかも検証もされない経済的起爆剤だのといった空虚な
経済成長が自己目的化して、そのカネをどう使うのかという目的はついに不分明のまま今に至って、そしてカネがなくなったら何も残っていないという惨状。
そこにエアポケットのようにまがりなりにも国の後ろ盾を持たない外国人がはまってしまい出られなくなっている。
万博に限らずヴィジョン、つまり全体像がないからそこから出発した細かいところを整合性を保ちながら設計することができない。
惨憺たる、といった現状をすこし