富の偏在や美しい者と美しくない者のルッキズムなど複雑に埋め込まれたさまざまな格差の描き方がもう皮肉で辛辣。
冒頭から若さと美しさでは飛びぬけているチャールビ・ディーンが32歳で亡くなってこれが遺作になったというのが現実においてとんでもない皮肉になってしまった。
豪華客船に階級社会を見るのは「タイタニック」でもおなじみだが、今でもあんまり変わらないみたい。違うのは人種が多様化したことか。
一応主人公の前にあるモデルのカップルが養子とか 収入から言えば相当上の方ではあるのだけれども世界全体から行けば上の下 あるいは 中の上程度でしかない。
船酔いによる嘔吐とトイレがあふれてそこらへん汚物だらけになる描写のしつこさ濃厚さには辟易するレベル。マルコ・フェレッリの「最後の晩餐」もびっくりで、それは同時に消費をひたすら続けたあげくのたらい回しになったツケの象徴に自然に
無人島では金持ちの持っているモノはほとんど無価値になり、生きる術を持っている者と力関係が逆転するまではそれこそセシル・B・デミルの「男性と女性 」1919の昔からリナ・ウェルトミュラーの「流されて」74を経ている現代的であると共に古典的なパターンとは言える。ただこれはさらにその先を行く。
何が昔と違っているかと言うと とにかく富の総量が桁外れに大きくなっている分、 世界の隅々まで資本主義で埋め尽くされているところで、 その分、意地の悪さがエスカレートした。
あるいはマルクス主義者だと自称する船長みたい相当ねじれた存在を打ち込んでくるあるいはロシアのオルガルフィ との会話などすごく皮肉が効いてる。