もっと IT業界寄りな話かと思ったら、むしろ警察・検察・裁判官といった日本の法組織の旧弊さ硬直性独善性を突く内容で、 「それでもボクはやってない」に連なるような正統的社会劇でした。
特にまるで人の時間を何年も奪っておいて恬として恥じない法組織のおぞましさはたった今も袴田事件で再現されている。
とにかく日本社会のさまざまな問題点がひしめき合っている状態で、作品の方がやや整理不足なきらいもあって、見ていてどこにポイントに置くのか困るくらい。
Winnyについては知らないことが多かったので、映画を見てさっそく 「国破れて著作権法あり ~誰がWinnyと日本の未来を葬ったのか」城所岩生を買って読んだ。
開発者の金子勇(東出昌大)が書き写す書類の「蔓延」という字を「満えん」と間違えているので(後で検察の作ったワープロ打ちの種類では正しく書かれている )、これは警官が 漢字を知らなくて間違えたのを金子が写したのかと思うとそういうわけではなくて、同書によるともともと金子が漢字を間違えていたのだった。
簡単に調書にサインしてしまったり裁判で主張すればいいと思ったと言ったり、金子は技術者としては天才でもはなはだ世間知に乏しい学者バカ的な人物で、弁護士のみならず見ているこっちが頭を抱えてしまうようなところがたびたびある。
逆に言うとそういう無知に警察検察がつけ込んだわけでもある。明らかにウソついて騙しても後でシラを切れば立証できないのをいいことに。
裁判劇とすると、元々著作権侵害を争う裁判では著作権者が侵害した者を訴えるものだが、この裁判は原告が警察になっていること自体がおかしいというセリフがあって、つまり警察が点数稼ぎに拡大解釈的にツールとその悪用者とを混同して逮捕したのが勇み足。
さらに「それでもボクはやってない」のセリフにあるように警察も検察も(さらに裁判所も)国家機関・国家権力としては大きく見ればお仲間であって、その間にはチェックやブレーキが働きにくいシステムであることを改めて教える。
著作権に引っかかりそうな可能性があっても悪意がなければ大目に見る場合、アメリカにはあるフェアユース の概念、つまり現著作権者の利益を侵害するかどうかとを判断する、各関係者の利害を調整する観点が抜けて グレーゾーンは頭から取り締まるという日本の悪弊が先に建ったことになる。
示唆されるYouTubeやブロックチェーン、仮想通貨とWinny とかどう結びつくのかというのは、映画だけだとわかりにくいところがある。このあたりは類書を読んで復習する必要があるだろう。
今後「映画泥棒」でしきりと著作権侵害を啓発しているのが何やら胡散臭く見えてきそう。
東出昌大が最初登場した時誰だかわからないぐらい 太ってあちこち吹き出物のようなものが出ている完全にイケメンぶりをかなぐり捨てた役作り。
金髪にヒゲヅラの男が2度にわたって傍聴席に見えるので裁判傍聴芸人こと阿曽山大噴火がまた出ていると思ったら、エンドタイトルに名前がちゃんと出ていた。
警察などから都合の悪い公的文書が流出したのでWinnyの使用を自粛するよう訴えた政治家というのが出てくるが、現実でそれをやったのが官房長官時代の安倍晋三。
のちに公文書を改竄、隠蔽、果ては初めから作成しない、などといった悪弊を持ち込んだのともつながるかもしれない。
またリークした内部通報者(ここでは吉村秀隆)をちゃんと守らないというのも日本の制度の大きな欠陥。
こちらのプロットと本筋とがあまりうまくつながっていなくて、内部告発の問題はまた別のドラマでがっちり取り上げるような大きなテーマだと思う。
一年半を裁判に費やしたことでウィニーの開発が遅れパッチを当てることができなかったために 不法アップロードやダウンロードを防げなかったのは失敗であり、そしてもちろんソフトウェアの開発大幅に遅らせてしまい日本のデジタル化を大きく遅らせた責任は大きいが、もちろん誰も責任など取らない。
一年半を裁判に費やしたことでウィニーの開発が遅れパッチを当てることができなかったために 不法アップロードやダウンロードを防げなかったのは失敗であり、そしてもちろんソフトウェアの開発大幅に遅らせてしまい日本のデジタル化を大きく遅らせた責任は大きいが、もちろん誰も責任など取らない。
画作りとすると、望遠レンズでびっちり人物を詰め込んだような画を多用していて、派手な動きがあるシーンは少ないのだけれど密度が高くて飽かせない。