prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「怪奇大作戦 第24話 狂鬼人間」

2006年09月19日 | 映画
●怪奇大作戦 第24話 狂鬼人間

kyouki ningen 01

kyouki ningen 02

kyouki ningen 03

精神異常者に家族を殺された上、刑法第39条による心神喪失の者は刑の対象にならないという規定により犯人が無罪になったのに納得できない女が、同じ法を悪用して、人を殺したいと思っている者を機械(劇中「気違い製造機」「完全犯罪製造機」と呼ばれてます)で気を狂わせて罪を逃れさせた上で、次々と人を殺させる、というスゴい話。
封印作品として有名だが、ただ差別用語が頻出するといったレベルでなくて、これだけ早い時期に刑法第39条の問題点を俎上に上げたことも驚き。

機知外の描写が昔風のけたけた笑うといったステレオタイプなのが残念。今リメークしたらと思ったのは、自分だけではないみたい。

日本刀を振るって金融業者をぶった斬る大村千吉がそのまんまの迫力。

「怪奇大作戦」の懐エピ

空想科学研究所

放送禁止 欠番作品の王様 第24話『狂鬼人間』




本ホームページ

「ウルトラセブン 第12話 遊星より愛をこめて」

2006年09月19日 | 映画
長いこと封印作品として有名だったのですが、いやに簡単に見られて拍子抜け。
もう少し画質が良かったら、実相寺演出の凝りっぷりも楽しめると思うのですが。

ULTRA Seven EP12(1 of 3)

ULTRA Seven EP12(2 of 3)

ULTRA Seven EP12(3 of 3)


封印に至った経緯についてのルポはこちら。「キャンディ キャンディ」や「おばけのQ太郎」までが封印になっているとは知りませんでした。

「封印作品の謎」 安藤健二

「封印作品の謎2」 安藤健二



本ホームページ

「死霊伝説/完全版」

2006年09月18日 | 映画
スティーブン・キングの上下二巻にわたる長大な「呪われた町」を、3時間にまとめたテレフューチャー。
3時間かけてもこぼれるところは多くて、神父がアル中というあたりをはしょったのは長さだけのせいではないと思うが、残念。

監督のトビー・フーパーとしては、テレビなのであまりどぎつい見せ場を作れない分、じっくりした雰囲気描写や丹念なカットつなぎに工夫をこらしている。
ところがラスト近く、いよいよ吸血鬼の館に入ったと思ったら「サイコ」ばりの階段の使い方や真上からの俯瞰ショットにぐらぐら揺れる電灯の光の視覚効果、「悪魔のいけにえ」ばりの動物の角で人間串刺し、といったオタク的に凝った演出の連打になるのがご愛嬌。
ラストカットの満月に髑髏が一瞬だぶるのも「サイコ」で、怖いというより稚気に笑ってしまう。

ヒロインが「ダイ・ハード」1.2のボニー・ベデリア。当時(1979)31歳、後年よりかなり細くてきれい。
(☆☆☆)


本ホームページ

死霊伝説 - goo 映画

死霊伝説 完全版 - Amazon

「有難や節 あゝ有難や有難や」

2006年09月18日 | 映画
1961年日活製作、山崎巌脚本、西河克己監督、和田浩治主演。
守屋浩の「有難や節」という妙に耳につくアヤシゲな歌からでっちあげているうちにあらぬところに暴走したみたいな怪作。
ラスト近く、トラクターに乗った昭和天皇のそっくりさんがなぜか突然現れることで有名。

マルクス兄弟の「我輩はカモである」の鏡のギャグ(ドリフがパクッていた方が有名だろうが)がすごい強引な形でパクられている。もともと鏡に映ったようによく似た二人の人間がそっくりの動作をしてみせるギャグなのに、似てもいなければ動作もまるでずれていて、それで鏡ということになってしまうのだから。

さらに、本来ならば車の先にカメラをとりつけて撮る主観撮影を、ただズームで寄りながらハンドルでも切るように画面が右に傾いたり左に傾いたりするカットで代用したりする。手抜きというより悪ふざけ。
そのくせ、お祭りの群集の数はすごい。

ちょっとだけ当時16歳の吉永小百合が登場。ぷくぷくしていて、今に持って来てもアイドルとして使えそう。というか、こういうところの日本人の好みはあまり変わっていないみたい。

有難や節 あゝ有難や有難や



本ホームページ

「ハーモニーベイの夜明け」

2006年09月17日 | 映画
ゴリラというのは粗暴な外見に似合わぬ繊細な性格からか、イノセンスの象徴みたいな扱いをされることが多いみたい。「キング・コング」を代表に、「愛は霧の彼方に」(原題「霧の中のゴリラ」)もそう。
後者はゴリラに入れ込みすぎて人間を怒らせて殺された実在の学者を主人公にしていたが、ここでは人を殺す側にまわった学者をアンソニー・ホプキンスが演じる。

この知性と凶暴性を併せ持つ役はもちろん、ホプキンスの当たり役レクター博士とも通じるし、管理に慣れてしまった囚人をキューバ・グッティング・JRが解放しようとするのは「カッコーの巣の上で」、ラストは「ショーシャンクの空に」と、なんだか見たようなシーンや設定がバカに目立つ。

ゴリラは本物のわけない(殺す場面がある)が、おそろしくよくできていてまったく作り物臭さがない。
(☆☆☆)


本ホームページ

allcinema ハーモニーベイの夜明け

ハーモニーベイの夜明け - Amazon

「マイアミ・バイス」

2006年09月16日 | 映画
主役二人の間にドラマがまるでないのだね。
アメリカ映画は違う境遇の男二人を対立させてドラマを作るバディ・フィルムが得意なのだが、ここではたまたまコンビを組んでいる以上の関係がない。
それぞれの女がらみのおハナシがあるだけ。

コン・リーをはさんだコリン・ファレルと悪役の親玉との対立のウェイトが一番重いのだが、コン・リーの扱いがおよそ雑でがっかり。悪役の執着も弱くてまるで盛り上がらない。

あとお楽しみというとドンパチだが、マイケル・マン演出は前は割りとちゃんとしていた空間や位置関係をきちんと見せるのを「コラテラル」からサボりだした悪い癖がまたぶりかえして、音響効果と特殊メイクで満足してしまっているよう。
(☆☆★★)


本ホームページ

マイアミ・バイス - goo 映画

「ゲド戦記」

2006年09月15日 | 映画
宮崎駿の息子というより、庵野“新世紀エヴァンゲリオン”秀明の義兄弟の作、という感じ(「ナウシカ」の巨神兵の作画をしたのが庵野というのは、有名ですよね)。
他者と関係を作ることができずウジウジ悩んでばかりで、相対するのは自分(の影)だけ、追い詰められるとキレるといったあたり、碇シンジとよく似てる(「エヴァ」を通しで見たことはないのだが)。

まあ、今どきよくいるタイプ。
内省的っていうのではなくて、根本的な生命力が足りないものだと思う。エロス欠乏症とでもいうか。恐怖にひきつった顔など、変にジジ臭く見える。
もっとも、それが現代的なキャラクターかというとそうとばかりも言えない気がする。「世界の均衡が壊れている」というセリフは「ハムレット」の「世界の関節が外れてしまったのだ」とまあ似たような意味だろう。

映画自体、技術的には高度だが、あまり見た目の快楽といったものは与えてはくれない。
「テルーの歌」を、伴奏抜きで通しで歌いきったのは、かなり破格の演出。快楽より禁欲に向かったみたい。ただ、アニメのように無生物に命を吹き込むジャンルでそれをやるというのは、自己矛盾がかってないか。

生と死についての対話、というのもリクツとしては一応納得するのだが、あまり見ていて「生き生き」とした感じが乏しいから、コトバの上で滑っている観が強い。
(☆☆★★★)


本ホームページ

ゲド戦記 - goo 映画

「日本沈没」

2006年09月14日 | 映画
オープニング、いきなり大地震後の描写なので、ちょっとびっくり。
最初、平和な日常を描いておいて、それがじりじりと崩壊していく話(オリジナルはそう)だと思っていたので、この後どういう風に展開させるのだろうと思った。

今回は日本の平和と安全はもう崩壊したものという前提に立って、どう生き延びるか、再生するかという話に作り変えている。
石坂浩二の首相が、日本が沈没する時には親しい人たちに一緒に沈むという意見が表向きにはできないが実は多かったというシーン、強いて生き延びようとする意思が割と弱い日本人の国民性をうまく言い当てたと思う。

ただし、途中からハリウッド的な強引なハッピーエンドになりそうになったりするが、そこまではいかず、日本的犠牲精神と足して二で割ったところで着地した。

柴咲コウは、きりっとしているのはいいとしてレスキュー隊員にしては華奢すぎ。
草剛はオタク的キャラクターだからとはいえ、最後二人で過ごす夜でナニしてるのかと思う。
別れの後、柴咲がへりをいつまでも見送っていないで、さっとバイクで走り去るのがいい。任務はまだ山ほどあるものね。

無数の災害が襲ってくる割に、阿鼻叫喚の地獄絵図って感じにはならない。
スケールがでかすぎて死んでいく人間が目に入らなくなってしまうのだね。ラスト近くの崖崩れと橋の崩壊という比較的小さな(!)災害くらいでも死者たちがアリみたいに見えてしまう。
特殊効果がよくできている分、かえってよくできたジオラマって感じもしないではない。

避難民たちの描写も、最初の「ゴジラ」みたいな生々しさは期待できない。あの作り手たちが味わった戦争の惨禍に比べたら、まだ最近の日本の危機など甘いものかとも思う。
(☆☆☆)


本ホームページ

日本沈没 - Amazon

日本沈没 - goo 映画

「美しい夏キリシマ」

2006年09月13日 | 映画
オープニングで蝶を飛ぶところ(CGだろうが、よくできている)で、黒木和雄監督の旧作「とべない沈黙」(1966)の本物の蝶を手持ちでえんえんと追った驚異のカメラワークを思い出した。
あれは蝶を狂言回しにした幻想と現実を往復する日本巡り、といった趣向の映画だったが、ここでも蝶は胡蝶の夢ではないが、生死のあわい、戦争と平和、過去と現在とをつなぐ文字通りの蝶番のような役割を果たしているよう。

主人公の監督の分身と思われる少年は、しきりと死にたがる。死ぬことばかり教え込まれているせいもあるだろうし、父親が死んだかどうかわからないせいもあるだろう。それと精神的疲労から来る投げやりな態度。
「父と暮せば」の宮沢りえも原爆から生き残ったことをすまながる感覚に囚われていたが、死者に支えられて、あるいは許されてある生の感覚、というのは靖国問題の能書きで言われたりすると釈然としないが、ここでは腑に落ちる。

匂いたつような田や山の緑の撮影(田村正毅)。

アメリカ進駐軍に向かって日本人が本当に竹槍で突っ込んでいく光景というのを、初めて見た。あれでからかい半分に米兵が威嚇射撃した銃弾が、蝶に当たる。あれで砕けたのは何だったか。
(☆☆☆★★)


本ホームページ

美しい夏キリシマ - goo 映画

美しい夏 キリシマ - Amazon

「ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!」

2006年09月12日 | 映画
原題がTHE CURSE OF THE WERE-RABBIT(オオカミウサギの呪い)というところからもわかるように、なんと狼男もののパロディ。だから不気味なところはけっこう不気味。
他に敵役の名前がビクター・クォーターメインっていうのは、明らかにヘンリー・ライガー・ハガードの秘境冒険シリーズのアラン・クォーターメインのもじり。

という具合にずいぶん凝っていて、子供が見たって面白いだろうけれど、イギリス風のテイストは長編になっても変わらず。
ただ、群集シーンほかスペクタキュラーな見せ場が増えた。

グルミットが無口(文字通り口がついてない)で、笑顔を見せようがないのだけれど、クールでまめでなんともいえずいい感じ。これでヒロインがもうちょっとケバくなかったらな。
(☆☆☆★★)



本ホームページ

ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ! - Amazon

「名もなく貧しく美しく」

2006年09月10日 | 映画
聾唖者の夫婦の物語で1961年の作品だから、今見ると放送禁止用語が乱れ飛んでいてちょっとぎょっとする。「つんぼ」「おし」「かたわ」って、平気で使われてますからね。
手話にいちいち字幕がつくのだが、そのうち二人の手だけのアップになって、互いに手をとりあう、という演出がいい。
撮影・玉井正夫、美術・中古智という成瀬巳喜男作品、あるいは「ゴジラ」のスタッフの技術が見事。
しかし、昔の日本映画は、ビンボったらしい生活の描写がうまいねえ。これでもか、これでもかという感じで不幸が襲ってきても、後年と違ってサマになる。


本ホームページ

名もなく貧しく美しく - goo 映画

名もなく貧しく美しく - Amazon