prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「三月のライオン」

2007年11月16日 | 映画

作られた時期からして関係はないだろうが、荒廃した部屋や滴る水などタルコフスキーみたいだなと思うところがかなりある。作る製作態度に媚びたところがないのは立派だけれど、一般的な面白みがいかにも乏しいのは見ていてキツい。
(☆☆☆)

「小さな恋のメロディ」

2007年11月15日 | 映画

70年代の日本で中高生の映画ファンにものすごい人気を博したので、日本でしか当たらなかったと揶揄されたりしていたが、Imdbで検索してみるとイギリス、アメリカはもとよりカナダ、ポルトガル、メキシコ、アルゼンチン、南アフリカ、オランダ、韓国から、69人が熱烈なコメントを寄せている(好きじゃなかったら土台投稿しないだろうが)。ざっと見たが、日本からのは見当たらなかった。

マーク・レスターは奥さんと共にオステオパシーosteopathy(昔は整骨療法と呼ばれた)の整体師(というのか)をしている。
ジャック・ワイルドは去年ガンで亡くなった。53歳。彼を「オリバー!」の舞台版にスカウトしたのはフィル・コリンズの母親のジューン・コリンズだったという。
脚本のアラン・パーカーは監督として大成したが、死刑廃止論者からも存続論者からも批判された「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」(2003)以来、新作はない。今となってはウソみたいだが、昔は「ダウンタウン物語」ともども子供映画の作り手だと思われていた。
一説では、この「メロディ」はプロデューサーのデビッド・パットナム(「キリング・フィールド」「ラストエンペラー」)と夫人の話がモデルだというが、彼も1999年から新作なし。
なんか、すごい時間が経った感じがする。

監督がワリス・フセインというのが、今見るとなんか変な感じ。インド生まれで、レスターのクラスメイトに色の浅黒い子が混ざっているのとも関係あるのかも。
この後もずっとテレビで活動していて、新作はシェイクスピア原作の「冬物語」。

教師がやたらキリスト教絡みの説教を垂れる中、ユダヤ人差別と受け取れる発言をしているのに気づく。
主人公の少年少女の属する階級が、中産階級(家族の俗物ぶりの描写がキツい)と下層階級とはっきり違う。メロディとダニエルが楽器でやりとりする場面、リコーダーとチェロというところに格差が見える。
お話はおとぎ話なのだけれど、一つ一つの画面は割とドキュメンタリー調。
かなりゲバルト(死語かな)映画「IF もしも…」のジュニア版みたいなところがある。

二人が初デートするのが墓場、というのは良く考えてみると珍しい。夫婦で入っている墓碑銘を読んで「50年も愛せるかしら」「できるさ、もう一週間も愛してる」というのになんかナットク。子供にとっての一週間はそれくらいの重みを持つことある。

NHK衛星で見たのだが、今だったら地上波でやったら子供たちが手製の爆弾を作るのが問題視されるのではないかと思えた。つまらねえ心配だが。

「潤の街」

2007年11月14日 | 映画
はっきり作り手が在日であることを明らかにして作って公開したという意味ではパイオニア的な作品。

ただ、ドラマとすると「月はどっちに出ている」「血と骨」が作られ、韓国映画が続々と公開されるご時世になると一昔前の作りだなあ、という気がする。問題そのものが解決したわけではないのに、映画の扱い方が変わるとなんだか問題が風化したように受け取るのは問題ではあるが。少女がいかにも清純、というのも古式豊かな感じ。

指紋押捺は、理屈では知っていても画で見せられるとなるほどずいぶん失礼な話だと思わせる。
(☆☆☆)


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潤の街 - goo 映画

「さよなら、さよならハリウッド」

2007年11月13日 | 映画

目が見えなくても映画監督はできるって荒唐無稽なようでけっこうありえることではないか、と思う。
カメラマンがいれば撮れるし、編集は編集に任せればやってくれるし、みんな他人頼みって手の内を明かしているのではないか。
「ターミネーター2」のジェームズ・キャメロンとゲイル・アン・ハードみたいに離婚しても一応仕事は一緒ってことも実際にあるし。

ケガの功名でうまくいってしまうというワサビの効き方ではメル・ブルックスの「プロデューサーズ」ほどではない。カメラマンを中国人にして意思の疎通ができないという仕掛けがもっともらしい。

しかし、さよならハリウッドって、一時期のロバート・アルトマンみたい最近は本当にヨーロッパで仕事をすることが多くなったみたい。今のハリウッドじゃやってられないのかな。
(☆☆☆★)

「五番町夕霧楼(1963)」

2007年11月12日 | 映画
すでに全盛期は過ぎてかけいたとはいえ、日本映画の巨匠作品らしい画面作りの手のかかりかたとコクは圧倒的。
シナリオ(鈴木尚之)を先に読んでしまっていたのだが、スジは知っていても、というより知っている方が話の組み立ての見事さがわかる。
三島由紀夫の「金閣寺」と同じ事件をモデルにしていても、基本的な人間の捉え方はずいぶん違う。劣等感に対するシンパシーの有無というか。

水上勉原作というと「暗い」と反射的に思ってしまうが、娼館を舞台にしているのに、監督(田坂具隆)の体質か、作られた時代のせいか、女将や客の旦那も含めて薄汚い感じがする人物が出てこない。
ちらっと映画の撮影所のスタッフらしき男たちが遊びに来る情景(楽しそう)を入れているのは、楽屋落ちか。

タイトルの最後に出るのはふつう監督の名前だが、ここでは主演の佐久間良子の名がわざわざ「そして、」ともったいをつけたタイトルで一呼吸おいてからトリを飾る。こんなのちょっと見た覚えがない。デビューしてから五年目だが、汚れ役をやりだしたのに合わせてかよっぽど力を入れてプッシュされたのだろう。
(☆☆☆★★★)


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五番町夕霧楼(1963) - goo 映画

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「世界」

2007年11月11日 | 映画

中国にある世界の名所のイミテーションが集められたテーマパークを舞台にしているところを見ると、今となるとどうしても“なんちゃってディズニーランド”こと北京の石景山游来園を思い出してしまう。
アニメを挟んだりしていささかアートフィルム的に気取っている感じで、もうちょっと俗悪な感じにならないと逆にウソっぽい。

国をあげてグローバル化が驀進する一方で、田舎から出てきた青年たちが表面は着飾っていてもそれぞれ孤独、というあたりは日本と一緒だけれど、親近感より一緒じゃつまらねえな、という観が強い。ファッションショーや新しい建物など、本当に今の日本の再開発と似たり寄ったり。
フランスや日本と合作というあたり、この映画自体グローバル化の表れなのだろうが、その分根無し草的に軽く薄くなった。
(☆☆☆)


「エディット・ピアフ 愛の賛歌」

2007年11月09日 | 映画
歌の場面の処理にずいぶん色々工夫をこらしている。
恋人のボクサーがなぜか突然訪ねてきたので浮き浮きしながら部屋から部屋に動き回るピアフをスティディカムで追っていくと、どの部屋にも使用人や友人が異様にひきつった表情で立ちすくんでいる、というあたりでなんだか不安が次第につのってきて、また元のボクサーがいるはずの部屋に戻ると…、という展開からさらに同じカットで現実にはつながっているはずのないリサイタル会場に出て行って歌う、というところに短めに「愛の賛歌」がかぶさる、という凝った演出で、歌詞がその場面とまた痛烈なコントラストをなしている。

ピアフが一気に売れ出すあたりであえて歌をかぶせないで演奏だけの音楽で通したり、「水に流して」(私は後悔しない)を作曲家がピアノを弾きながら歌う歌だけ聞かせておいてラストで一気にピアフの絶唱を全編の締めくくりとして置くなど、よく考えられた構成。

撮影が「うつくしい人生」で注目した日本人・永田鉄男。
ピアフ役のマリオン・コティヤールは、年齢の変化からピアフらしい脚をふんばった立ち姿から手の動きといった外観から、貧困にあっても成功しても悲惨から逃れられない中でもエゴイズムと純粋さと愛情深さを通す内面の表現まで、まことに見事な演技。

以前、ややこしいが「愛の賛歌 エディット・ピアフの生涯」('74)というピアフの伝記映画があったが、歌は吹き替えだったらしい。当時の技術では古い録音では音質が悪くて使えなかったからだろうが、今だとリミックスできるから本物を使えるようになったのだろう。
74年作ではエンドタイトルで長々と「愛の賛歌」を流したが、ここではしばらく無音でタイトルだけ流れる。本編で十分歌を聞かせているから、余韻を壊さないようにということか。
(☆☆☆★★★)


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エディット・ピアフ~愛の讃歌~@映画生活

「グッド・シェパード」

2007年11月08日 | 映画
不思議なくらい、大学のグリー・クラブの集まりや教会などで歌っている一方で、主人公たちがひそひそ話をしている場面が多い。
題名が新約聖書の「よき羊飼いは羊のために命を捨てる」というフレーズからとられているというが、つまり一方で神の声を聞きながら、しかし常にそこから距離をとらざるをえない主人公のスタンスを表わしているのではないか。もともと「よき羊飼い」とはキリストのことだそうだから、ずいぶんアイロニカル。

ラスト近く、父親の遺書を燃やすと、立てた紙の上の方に火をつけたのに下に向ってみるみる燃え広がって灰になった後、すうっと空中に舞い上がる。上下の感覚がいったん消えてなくなるような演出で、そのちょっと前、飛行機から突き落とされた女のショールが舞うのをえんえんと撮ったカットからすぐ教会のシーンにつながっているのと呼応しているみたい。地獄に落ちるとも天国に上るともつかない、というか。

ブッシュ大統領親子もメンバーだというイェール大学の「スカル・アンド・ボーンズ」のことは聞いたことがあるが、その儀式の再現を見たのは初めて。どの程度正確なものなのかわからないが、いかにも「秘密結社」の儀式然としていてバカげておどろおどろしいのが変な感じ。案外この通りなのかも。

上院議員役で「2001年宇宙の旅」のボウマン船長ことキア・デュリアが出ているのをエンド・タイトルで確認したが、どんな顔していたか思い出せず。父親役のティモシー・「普通の人々」・ハットンも久しぶり。
マット・デイモンが歳食ってからのシーンでもあまり老けないが、メイク不足なのか早く結婚したから大学生の息子がいてもそれほどの歳ではないせいからか。
(☆☆☆★)


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グッド・シェパード - goo 映画

「キングダム 見えざる敵」

2007年11月07日 | 映画
まずアニメーションで一気呵成にサウジの歴史をおさらいする導入部が見もの。

アメリカ人が敵味方入り乱れた他国に行き、現地の警官と捜査を協力していくうちに同志意識を育てていくプロットは「フレンチ・コネクション2」から「ブラック・レイン」まで連綿と続くパターンだし、それぞれ違うキャラクターのチームが一体となって行動するのも何度繰り返されたかわからない基本、さらにはビー玉や握手などの伏線の生かし方と、娯楽映画の骨法を使いながら、しかし勧善懲悪的図式は微妙に避けて通っている。
テロで殺された遺族にささやいたメッセージの謎解きと、報復は報復しか生まないというテーマとを一致させたラストが鮮やか。

銃撃戦やカークラッシュ、さらには隕石でも落ちたような巨大な穴があく爆弾の威力、市街地で当たり前のように手榴弾やロケット弾が飛び交う描写の迫真性はいよいよ凄まじくなっている。
(☆☆☆★★)


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「大統領暗殺」

2007年11月05日 | 映画
ブッシュ現大統領が暗殺されたら、という仮定で作られたフェイク・ドキュメンタリーなのだけれど、ブッシュが排除されたからといってアメリカの支配体制が変わるわけもなく、かといって「変わらない」怖さが出ているわけでもない。

それらしいフェイクにはなっているが小説より奇な事実に寄りかかってなぞっているだけで、仮定を梃子に現実の見えない部分に切り込んでくる迫力に乏しいし、今与えられている情報もこれくらい「作られた」ものかもと思わせる触発力があるわけでもない。
「ブッシュの野郎、くたばれ」という感情から出発したのかもしれないが、その視点を逆照射するところまで考えが立ち至っていない感じで、思い付きに終わっている。
(☆☆★★★)


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「スクラップ・ヘブン」

2007年11月05日 | 映画

たまたま同じバスジャックの人質になって知り合ったオダギリジョーと加瀬亮の不良と警官が、一般人が密かに抱えている鬱憤を晴らす復讐代行業を始める、という話だけれどどうもアタマで作った印象が強く、後半、一般人の「悪さ」を暴露するような展開も今更で、これだったら諸星大二郎の「復讐クラブ」の方がずっと面白いぞ、と思ってしまう。

細かいところで、狂言誘拐した小学生を空気穴の開いていないビニール袋に入れておいて母親が来るまで置いておくといった描写がひっかかる。そのまま窒息したらどうすんだ。
(☆☆★★★)


「零戦燃ゆ」

2007年11月04日 | 映画

「二百三高地」「大日本帝国」に続く笠原和夫・脚本、舛田利雄・監督の戦争ものだが、東映から東宝に移った落差は結構激しく、加山雄三に代表される変な明るさが邪魔をして、主人公たちが零戦にのめりこんでいく裏づけとしての彼らの貧しさ、悔しさが一向に実感として描かれていないので、上滑りしっぱなし。
妙に甘ったるい音楽がやたら長々と流れるのもたまらない。

題名がけっこう皮肉で、零戦がはなばなしく戦って燃えるのではなくて、まるで役にたたないまま地上で火をかけられて燃やされる、そのアンチクライマックスがあまりびしっと決まらない。

ミニチュアを使った零戦特撮(川北紘一)はオモチャ的ではあるのだけれど、逆に作り手の零戦の「好き」さ加減が見やすい。
(☆☆★★★)


「ペーパー・ムーン」

2007年11月03日 | 映画

1973年、もちろん完全に映画はカラーと決まっている状況であえて白黒で製作して1930~40年代の古典的な映画のスタイルを模倣したのだが、製作されてからすでに30年以上が経ち、この映画自体がもう古典に入ってきているのが不思議な感じ。
言っては悪いが、監督や主演者がこの後かなり大きくキャリアでつまずいたので、なおさら今昔の観が強い。

オープニングからアメリカ中西部のだだっ広い風景が印象的で、空の感じなどもいやでも監督のボクダノヴィッチがインタビュー本までこしらえてしまったジョン・フォードを思わせる。

「ラスト・ショー」ほど身も蓋もない突っ放し映画ではないが、人情劇風のストーリーの割りに案外演出タッチそのものはドライで批評的。
(☆☆☆★★)


「スポーツとは何か」 玉木 正之

2007年11月02日 | 


なぜ体育の授業で懸垂をするかというと、戦前の軍事教練で小銃を扱うには自分の体重と同じくらいの物を持ち上げるのが望ましいとされた名残。一方で運動会の棒倒しや騎馬戦は、自由民権運動の政府を倒し、権力を奪取する呼びかけを競技化したもの、など、歴史的にへーっと思う知識が豊富。

クーベルタンが晩年ナチスから年金をもらっていたとは知らなかった。今みたいに国威発揚とメディア戦略の結合としてのオリンピックはナチスによるベルリン・オリンピックが原型なのであり、オリンピックは「平和の祭典」というより「戦争の代わり」と考えた方がいいのだろう。
オリンピックのアマチュアリズムというのは、ヨーロッパのブルジョワの生活の余裕の現われとして定義されるのであって、まったくのエリート主義の産物。1920年代の日本では車引きなとのように走るのが仕事になっている職業出身者がオリンピック予選の上位五位までを占めてしまったのを「車夫馬丁の類に国を代表させられるか」と全部落としてしまったという。ヒドい話。

スポーツとは政府や企業やメディアに利用されるためにあるのでなく、本来的にそれを軽々と越えられる人間の自由な楽しみであり、それには文化としての認知と普及が必要と説く。