1977年に公開予定だったのだが、公開したら劇場を爆破するという脅迫電話があったために中止になったのは有名。パレスチナ・ゲリラによるアメリカでの大量殺戮をもくろむテロを扱っているだけにナーバスになったらしい。
今回の上映プリントは当時のネガから焼いたのかどうか、字幕が当時の高瀬鎮夫(1915 ‐ 1982)のもので色も少し変わっている。
手元に同作を特集したキネマ旬報7月上旬夏の特大号があり、監督のジョン・フランケンハイマーのインタビューが掲載されている。インタビュアーは最近「わが母の記」を撮った原田真人(現・眞人)。監督デビュー(’79)前です。
それによると、マイアミ・ビーチにベキム・フェーミュ扮するテロリストのリーダーが駆け抜けるところで歌っているグループを突っ切るのだが、あそこで歌われているのはイスラエル国歌。フランケンハイマーは狙ったわけではなくてもともと歌自体も知らず、ぶっつけ本番の撮影であの歌っている連中のところを通り抜けろと指示しただけだという。
だいたい、この映画史上にすでに残っている銃撃戦(影響を受けていると思しきシーンをずいぶん見てきた)自体、シナリオには「監督に一任」とあって場所も展開も指定していなかったのだという。
波打ち際でFBIとイスラエル軍人(ロバート・ショウ)にはさまれたベキムが、一瞬どちらを撃つか迷ってからFBIに銃を向ける。パレスチナが直接敵対しているのはイスラエルでも、殺すとすればアメリカ人ということだろう。
フランケンハイマーは人種的には四分の一はユダヤ、四分の三はアイルランドと、あまりユダヤ人としての意識はないみたいで、これは政治的な映画ではないと再三繰り返しているのだが、そういうわけにはいかなかった。脅迫したのはあるいは政治的な意図はなく単なる愉快犯だったのかもしれないが、政治的配慮によって中止されたのは事実。
クライマックスの大パニックシーンの群集はある慈善団体の宣伝映画をフランケンハイマーが演出し、ロバート・ショウがナレーションを担当するという条件でエキストラを提供してもらったのだという。
製作費は予算は800万ドルで実際760万ドルで抑えたとのこと。今だったら10倍はかかっている。
これまでに二度ビデオで見ている。最初は確か小森和子がオーナーだった六本木の店での輸入版ビデオの上映会で、今だったら著作権違反になるのではないか。余談だが、トイレが四方八方鏡張りでガマの油のガマになった気分になる店だった。それからWOWOWで一回、スクリーンで見るのはこれが初めて。
字幕では政治的配慮からか日本とは訳していないが、爆薬を密輸するのはリビア国籍でクライド・クサツ扮するオガワ船長のスマ丸(須磨ではなくカタカナでスマと書いてある)という船。彼が密輸した品を問い詰められてIt’s not my business(私の知ったことではない)と繰り返すのだが、日系人がこのセリフを印象的に言う映画があって、「戦場にかける橋」の早川雪舟なのだが、なんか無責任に聞こえる。
クライマックスのスーパーボウルでアメリカ国歌が歌われる間、ロバート・ショウは胸に手を当てて直立不動でいるアメリカ人たちの中で、ひとり反対側を向いてスタジアムに目を配っていて、ヒーローはアメリカ人ではないのをはっきりわからせている。
韓国映画「シュリ」は、あからさまにこの映画をパクっていて、あそこではスタジアムの照明灯の熱で爆弾を起爆させるのだったが、ここでのセリフでそういう手口の爆破が過去にあったことが語られている。
「シュリ」ではスタジアムの大群集と、テロリストとそれを阻止しようとするヒーローとの戦いは別々にカットバックで見せていたのだが、ここではそれらを入れ込みで撮って徹底して噛み合うように編集し、ものすごいボリューム感とスケールを出している。スクリーンで見られてよかった。
見せ場の分量や長さでいったらこの後のアクションもので凌駕するものはかなりあるが、全体としての呼吸で盛り上げていく粘りと息の長さは、今に求めようがない。コマギレでビデオで見るものではないのです。
9.11以後に見ると古くなっているのは仕方ないところはある。ただテロリストたちを顔のないフリークとして描くのではなく、それぞれの国からも組織からもはみ出て家族もなくしている人間として描いており、それはヒーローのようでもあるイスラエル少佐も同じことというのは、今の映画では逆に見られない視点。
(☆☆☆☆)