prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「夜明け告げるルーのうた」

2017年07月16日 | 映画
オープニングの主人公が坂を上っていく場面での目の前に何かが立ちふさがっている画ひとつで閉塞感を表現してしまうのが手際良く、映画に限らず最近の日本の創作で目立つ地方の閉塞感をモチーフにするのかと思うとあまりにその後の融通無碍なイメージの飛躍と発展ぶりに完全にとって替わられてしまう。

人魚が登場してヒレが足になったりまた戻ったりする「スプラッシュ」のアイデアをさらに発展し人間だけでなく動物も人魚になったり、海が寒天みたいに切れてせり上がったりするほとんどドラッグでもやっているのかと思うくらいにおよそ言葉にしにくい自由自在なシーンの連続になる。
ちょっと唖然呆然という感じです。

水の底にお宝が眠っているというのは宮崎駿のモチーフのひとつだが、ここでの水のイメージの操り方は蛍光色がかった色彩からして違う方向に行きそう。

夜明け告げるルーのうた 公式ホームページ

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映画『夜明け告げるルーのうた』 - シネマトゥデイ



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7月15日(土)のつぶやき

2017年07月16日 | Weblog

「きらめく拍手の音」

2017年07月15日 | 映画
ともにろう者の夫婦から生まれた健常者の娘が両親とやはり健常者の弟の家族を撮ったドキュメンタリー。監督は韓国国立芸術大学出の27歳のイギル・ボラ。

ろう者というと口がきけなくて沈黙の世界に生きている人、というイメージを前は持っていたが、実際には声も出せるし、手話を交えるとむしろ饒舌というか騒々しい印象すら覚える。

考えてみると、人間の脳がひとつの音波から人の声=言葉とそれ以外の物音を切り分けているのであって、ろう者は切り分け方が一般とは違っているだけで、発音できない分を手話で補うといった足し算引き算の産物ではないのかもしれない。

ろう者が歌うカラオケ、というと不思議に聞こえるのだが、全体として「うた」になっている。

監督がナレーションと共に手話で拍手を表現すると、手の表現自体が本当にきらめきを放ったように見える。言葉の力でもあるだろう。

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映画『きらめく拍手の音』 - シネマトゥデイ



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7月14日(金)のつぶやき

2017年07月15日 | Weblog

「ライフ」

2017年07月14日 | 映画
「エイリアン」みたいに密閉された宇宙船の中で宇宙生物に人間が追われる恐怖を描く作品だけれど、「ゼロ・グラビティ」ばりの無重力状態の描写を絡めたところが視覚的に新味、ふわふわ人や物が浮かんでいるのが海の中のようで、実際生物の姿も時にヒトデ、時にタコといった海中の生物に似ている。

人の血が粒になって宙に浮かんでいるのをぱくりぱくりとプランクトンを捕食するように摂取しながら移動するシーンなどあるのが面白かった。

クルーに地上では車椅子を使わなくてはいけない障碍者が無重力だと負担にならないから参加しているというのは、東洋人の真田広之が混ざっている以上に多様性を表現している。

宇宙生物は便宜的にケルビンと呼ばれる(小学生が命名する)のだが、絶対温度の単位のケルビンにでもひっかけているのだろうか。

作劇とすると密閉性を堅持しようとしながらケルビンがひとつひとつ突破し、そのたびに密閉した空間の外に置き去りにされたクルーが自己犠牲になる、という一種悲壮な見せ場の繰り返しで、それがしまいに思いがけないツイストを見せる。

真田広之もずいぶん英語圏の仕事にシフトしてから長い。当人の言を借りると「ちょっと出稽古に出たつもりが、武者修行になってしまった」ということだが、日本に戻ってくることあるのだろうか。今となってはあまりメリットもなさそうでもある。監督が日本語のセリフを演出できないせいだろうが日本語のセリフが逆に不自然に聞こえてしまったくらい。
(☆☆☆★★)

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映画『ライフ』 - シネマトゥデイ

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7月13日(木)のつぶやき

2017年07月14日 | Weblog

「ハクソー・リッジ」

2017年07月13日 | 映画
自分が殺すことを拒否し続ける信念を持ち続ける人というモチーフは「友情ある説得」や「真昼の決闘」に描かれたクエーカー教徒にもあったけれど、あそこでは最後のぎりぎりでは銃をとるという作劇だった。
それが本当に最後まで銃をとらないというのは珍しい。ただし聖書を根源とした信念をアメリカの国是としての思想と信仰の自由として認められているという理屈で、日本でいうような平和主義とは違う。
このあたりの文字通りの宗教に根差した信念というのは日本人としてはやはりなじみにくい。

殺すことでなく助けることで戦争に貢献した男、というフレーズだけれど、では敵を助けるのはどうなのだ、という疑問は当然湧いてくることになり、日本兵を助けたけれど手当の後死んだというなんだかアリバイ合わせみたいな結末になっている。

「プライベート・ライアン」以来というふれこみだけあって戦闘シーンはまことにすさまじい。ネズミがちょろちょろしている生理的な気持ちの悪さも相当なもの。ただ「ライアン」にあった何が起こるかわからず不意打ちのように弾丸や砲弾が飛んでくる呼吸と違って弾幕で覆いつくして息もできないような演出。
(☆☆☆★★)

ハクソー・リッジ 公式ホームページ

映画『ハクソー・リッジ』 - シネマトゥデイ

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7月12日(水)のつぶやき

2017年07月13日 | Weblog

「22年目の告白-私が殺人犯です-」

2017年07月12日 | 映画
時効がぎりぎり成立する時点で起きた連続殺人事件の犯人を名乗る男が公に姿を現す、という出だしが不愉快ながら興味をそそる設定がまず効いている。ただ刑事罰は与えられなくても法的な制裁を課す方法というのをまるで考えないのはちょっとひっかかった。

中盤からの何度もどんでん返しが続く展開は大いに工夫していてある程度納得できる一方でちょっと作りすぎでないのという気がしないではない。

モラル関係なく騒げば儲かるマスコミや娯楽として消費する大衆の描き方は予想されたけれど、一方で単なる消費に抗しようとするハイブラウなジャーナリストを描いてこれが単純なカウンターにならないのは考えたもの。

藤原竜也がカメレオンぶりを見せるのがいつものことだけれど、失礼ながらそれほど融通が効くとは思えなかった役者がいろいろな顔を見せる。
(☆☆☆★★)

22年目の告白−私が殺人犯です− 公式ホームページ

22年目の告白-私が殺人犯です-|映画情報のぴあ映画生活

映画『22年目の告白−私が殺人犯です−』 - シネマトゥデイ



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7月11日(火)のつぶやき

2017年07月12日 | Weblog

7月10日(月)のつぶやき

2017年07月11日 | Weblog

7月9日(日)のつぶやき

2017年07月10日 | Weblog

7月4日(火)のつぶやき

2017年07月05日 | Weblog

7月3日(月)のつぶやき

2017年07月04日 | Weblog