prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「狼と豚と人間」

2019年05月07日 | 映画
冨田勲のジャズ調、というか「死刑台のエレベーター」を思わせる音楽が背景の薄汚さとは対照的にモダン。
「死刑台のエレベーター」は1958年製作で、これは1964年。

主役の三兄弟が三國連太郎、高倉健、北大路欣也という今の目で見るとすごい大物が並んでいるのだが、全員スラム出身のがつがつ餓えた食うか食われるかの世界で生きてきた狼みたいな役というのが意外。
とはいえ、良くも悪くもチンピラ臭くはなくて若くても大物感というのはすでにある。

高倉健がムショ帰りというだけでなく本格的な犯罪者役で、1964年というと内田吐夢に可愛がられて「宮本武蔵 一乗寺の決闘」「飢餓海峡」に出ていた年、「網走番外地」がヒットしてスターになる1965年の前年にあたる。

北大路欣也と仲間たちが指を鳴らして歌ったり踊ったりするので「ウエストサイド物語」かと思ったら、これも1961年作と三年前。
ミュージカル的な音楽と画面の処理がかなり本格的で、のちに「上海バンスキング」を撮る萌芽は見られる。

いくら兄弟とはいえ、というより仲のはなはだ悪い兄弟に盗んだ現金を預けるというのはいくらなんでもズサンだろうと思えた。ただ、奪った金がどうなるかというのは基本的にどうでもいい話ではあるのは見ていてわかってくる。

スラムの映像がすこぶるリアルで、どこで撮ったのかと思わせる。

5月6日(月)のつぶやき

2019年05月07日 | Weblog




「誇り高き挑戦」

2019年05月06日 | 映画
1962年作。作中で十年前の占領中というセリフがあったが、ちょうどサンフランシスコ平和条約から十年後ということになる。

占領中にパンパンに偽装されて殺された女の事件を追っていた記者が大新聞をクビになり、十年後の今は業界誌でゆすりたかりに近い真似をしているのが、占領軍と一緒に拷問に加わっていた通訳丹波哲郎が一枚噛んだ武器輸出のネタをつかんで復讐心から行動しているうちに正義感を取り戻していく。

怪しげな通訳役が丹波哲郎で、実際戦後は語学力ではなく度胸で通訳をやっていたという人ということもあって、押し出したっぷりに得体の知れない悪役を演っていて、しかしそれもラスボスではいという扱いも説得力あり。

革命軍反革命軍というだけでどこの国とは言ってないが、イメージとするとインドネシアだろう。日本人の女が絡むあたり、デヴィ夫人を思わせる。ちなみにデヴィ夫人がインドネシアに送り込まれたのは1959年でこの映画が作られる3年前。

別に占領軍が直接圧力をかけなくても新聞社の方で過剰対応(忖度と言ってもいい)して追い出してくれるあたり、半世紀後の今でも変わらない。

主演の鶴田浩二がずうっとサングラスをかけているのは「灰とダイヤモンド」のズビグニエフ・チブルスキーかなと思って調べるとやはり1959年公開。
ラストでサングラスを外して国会議事堂を狙みつけるシンボリックな小道具としてうまくアレンジしている。立場は違えど見て見ないふりをしているのが多いのはこれまた今に通じる。

精神病院の鉄格子に閉じ込められた奇声をあげ手へらへら笑っているようなルーティンの患者たちの描き方はちょっと今では許されないだろう。今でも家で監禁しているケースは最近見つかったが。

鶴田をひそかに慕っている大空真弓がラスト近くのシーンでT.S.エリオットのおそらく原書を持っている。どういう意味か。

- 映画.com

5月5日(日)のつぶやき

2019年05月06日 | Weblog
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「国際諜報局」

2019年05月05日 | 映画
ショーン・コネリー主演のジェームズ・ボンド・シリーズが始まったのと同じ頃、同シリーズのプロデューサー、ハリー・サルツマンが007とは別に製作したスパイシリーズ。
のちに名優と言われる人だけれど主演のマイケル・ケインがコネリー同様、イギリスの労働者階級の出身という点でも共通していて、独特の酷薄な感じを強く出している。

007のように派手で荒唐無稽なアクションを見せるわけではなく、一見かなり地味でドンパチも控えめというか直接描くより事後描写で替えているところが多い。
出だしで寝起きでコーヒーをいれて飲む丹念な描写など、「動く標的」や「ロング・グッドバイ」などに先立つものではないか。

しかしシドニー・J・フューリーの演出が石上三登志は鈴木清順の日活時代の作品と比べて論じていたりしたように、娯楽映画のフォーマットを守った上で独特の映像的なケレン演出を入れてくる。
典型的なのが画面の随所にポストやランプシェードなどの赤を配して、クライマックスのハリー・パーマーが拷問に耐えるために自らの手を傷つける血の赤にまとめるといった色彩演出や、極端な仰角や俯瞰といったアングルの凝り方。

演出そのものによってストーリー以外の映画ならではの論理や飛躍を紡いでいくといった一種の実験性がある。
それがもっと極端になったところにたとえばジョン・ブアマンの「ポイント・ブランク」などもあるのだろう。

「国際諜報局」 - 映画.com

5月4日(土)のつぶやき

2019年05月05日 | Weblog


















「裏切りの獣たち」

2019年05月04日 | Weblog
「ハンターキラー 潜航せよ」の ドノバン・マーシュ監督が脚本・編集も兼ねて2014年に撮った南アフリカ映画。

警察の腐敗に嫌気がさしながら強盗犯たちの中に混じって潜入捜査をする警官が主人公で、正体をばらさずにどう立ち回るかのスリルと、いざ犯行になって金が手に入ると悪党どもの中で当然のように仲間割れになってくるりくるりと敵味方が入れ替わる展開、皮肉なオチなどいろいろルーティンながら考えている。
おそらく低予算ながら合格点の娯楽=商業映画を撮れる腕を示したと認められたということだろうか。

冒頭の追跡シーンで駆け抜けるスラムや道路に大きなヒビが入っているところなどが南アっぽいが、他は特にそれらしいところはない。
出演者はまるで馴染みがない人たちだが、犯罪ものらしい一癖ありげな顔は万国共通とみえる。

「裏切りの獣たち」 - 映画.com

5月3日(金)のつぶやき

2019年05月04日 | Weblog










「ロリ・マドンナ戦争」

2019年05月03日 | 映画
フェザー家とガットシャル家という土地争いで対立する二つの家に架空の存在であるロリ・マドンナという女と間違えられた女の子ルーニー・ジル(シーズン・ヒューブリー)が拉致されたのがきっかけで、かねてからの両家の間の確執が表に出て爆発する。
原作小説のタイトルはThe Lolly Madonna Warだが、映画化タイトルは The Lolly Madonna XXX。なぜXXXになったのかはわからないが、暗喩的な印象を強調したかったのかもしれない。

両家の違いというのが食卓シーンに典型的に出ていて、フェザー家では男たちだけ席について女たちが給仕しているが、ガットシャル家は女性も一緒に食べている。
フラッシュバックで過去にフェザー家の娘が事故死しているのが大きく影を落としているのが描かれ、それが外部から「ロリ・マドンナ」(なんという名前か)が介入したのがきっかけで一気に「女がいない」欠落感(性欲面だけでなく)が噴出するのがわかる。

1973年作だが、両家の家長(という言葉がぴったり)がロッド・スタイガーとロバート・ライアン、その息子たちがジェフ・ブリッジス、エド・ローター、ランディ・クエイド、ティモシー・スコット、ポール・コスロ、ゲイリー・ビューシイと、70年代アメリカ男優を結集したようなすごいキャスト。

それで豪華という感じというより、ニューシネマの時期だがニューシネマという範疇からもこぼれ落ちてしまうような、ど田舎でくすぶらざるを得ない男たちのやりきれなさを、鬱屈とともに叙情的に出した。
エド・ローターがエルヴィス気取りでショーに出ている幻想に耽るうら悲しさ。

「ロリ・マドンナ戦争」 - 映画.com


5月2日のつぶやき

2019年05月03日 | Weblog










「仁義の墓場」

2019年05月02日 | 映画
1975年製作。ちょうど敗戦30年目ということになる。世という字は三十に分解できるなんて言い方があるが、一時代が変わる期間ではあるだろう。

今の目で見ると、単純にカネかかっているので驚いた。
何十人もの男たちがみんなバラバラに、しかし全力で走り喚き乱闘するという画の迫力は傾きかけていたとはいえ撮影所が機能して大勢が集まっていたからか。

渡哲也と梅宮辰夫が騒々しく半裸で踊る女たちの輪の中で大声で密談する場面など、女たちは顔も写っていない、しかし動いている人間が写っていると画面に圧が出てくるし、あれだけうるさい中でセリフがちゃんと聞き取れるのは役者も録音も整音もきちんとした仕事をしているということ。当たり前のようだが、今はかなりセリフが聞き取りにくなっている。

それにしても三国人を追い出すのに警察が裏でヤクザに手を貸すわ、テキ屋の親分が国会議員に立候補するわ、その親分の入れ知恵でヤクザ同士の一触即発のにらみ合いに米軍を介入させて収めるわで、なんだ今と基本的には変わっていないではないかと思わせる。

赤い風船が糸が切れると飛んでいって戻ってこない主人公・石川力夫のひとつの象徴としてつかっているのだが、焚火や炭火式のアイロンなどに水をかけてくすぶっている画が何度か出てくるのも石川の心象風景だろうか。

主人公の石川力夫のキレっぷりはヤクザとしても度が過ぎていて、親分だろうが兄弟分だろうが切りかかるし、後半はペー中(ヘロイン中毒)になるしで、今だったらサイコキラー扱いされるのではないか。それが一応同じ地平に生きている人間として描かれているのは、それだけ製作当時ははみ出し者が映画の中では生きられたからか。

しかしここまでアナーキーな映画を「国立」映画アーカイブで、しかも偶然とはいえ改元の時期に上映するというのもすごい話。さすがに状態のいいプリント。

「仁義の墓場」 - 映画.com

5月1日(水)のつぶやき

2019年05月02日 | Weblog











2019年4月に読んだ本

2019年05月01日 | 
prisoner's books - 2019年04月 (29作品)
狭き門 (新潮文庫)
狭き門 (新潮文庫)
ジッド
登録日:04月06日

田宮二郎の真相
田宮二郎の真相
石田伸也
登録日:04月20日

映画プロデューサー入門
映画プロデューサー入門
-
登録日:04月28日

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4月30日(火)のつぶやき

2019年05月01日 | Weblog