今日のフォト。
この日はお地蔵さんではなく、神社めぐり。
時には、地蔵尊以外のところへも行きたくて。
ここは阿倍王子神社の東の鳥居。
ここから入らずに、通り過ぎる。
2024年10月11日=5535歩。
万歩計の数値は、1日の歩数ではなく
ウォーキングの時だけのもの。
写真は全て、スマホ撮り。
神社へそのまま入らず、あべの筋を歩く。
万歩計の数値を上げるため。
松虫の交差点で東を見ると、朝焼け。
松虫の交差点で西を見ると、阪堺電車通過。
交差点を戻って、南へ進む。
「熊野かいどう」をてくてく。
阿倍王子神社、西の鳥居から入ります。
鳥居の左の「もと熊野街道」の石碑。
熊野街道は、天満橋八軒茶屋を出発し
四天王寺、阿倍王子神社、住吉神社へ行き
遠里小野(おりおの)から堺へ。
そして紀伊路から熊野三山へ。
「蟻の熊野詣で」といわれるくらいにぎわったこの路は
今は「歴史の散歩道」になっています。
もと熊野街道、後ろの「第二王子社」の石碑は
99ある王子社の中で、この神社は2番目の王子社。
阿倍王子神社の境内には
4本のクスノキ、御神木があります。
樹齢=600年以上
樹高=15m~17m
幹周り=3m~4m
4本のクスノキには、名前がついています。
波多能木霊神(はたのこだまのかみ)
茂杜能木霊神(もりのこだまのかみ)
多真能木霊神(たまのこだまのかみ)
汰紀能木霊神(たきのこだまのかみ)
夜、神社の参道を通り抜けようとした時
クスノキの枝に、天狗が腰を掛けて
うちわで扇ぎながら、こちらを見ていたという
「天狗伝説」があります。
西の鳥居の手水舎。
東の鳥居の手水舎。
阿倍王子神社本殿。
境内には本殿の他に、4つの社があります。
本殿の狛犬。
胸元には、鈴を付けています。
狛犬は邪気を払い、神様を守る役割をします。
一対の狛犬にはそれぞれ性別があり
口を開けている方が雄で
口を閉じている方が雌だそうです。
春夏冬社(あきないしゃ)
ここは旧本殿があった場所で
東向きにあります。
四季の春夏秋冬のうち、「秋」がないので
「あきない(商い)」の神様。
えべっさんをお祀りしているそうです。
春夏冬社の狛犬。
「あ」と言えば
妻は瞬き(まばたき)
熱いお茶
老夫婦の秋
音無く流れ
狛犬は、向き合っています。
「阿吽の呼吸」
年月の積み重ね、心伝わりますね。
水神社
天地(あめつち)全ての水を司る神様です。
罔象女神(ミズハメノカミ)
高龗神(タカオカミノカミ)
闇龗神(クラオカミノカミ)
水神社の狛犬。
「葛之葉稲荷大明神」
「御烏社(願掛け御烏)」
「葛之葉稲荷大明神」は
安倍晴明の母親(霊狐)葛之葉姫を祀っています。
お狐がくわえているものは、巻物と玉(宝珠)です。
巻物は「知恵の象徴(経文)」
玉は「神の霊力」と言われます。
稲荷神社のお狐は、邪気を祓うのではなく
神様の言葉を人間に伝えたり
人間の願いを神様に伝えたりする
「神使(かみつかい)」の役目。
「御烏社(みからすしゃ)」は
熊野の八咫烏大神を祀る神様。
八咫烏(やたがらす)には、3本の足があり
太陽の化身と言われています。
神話では、神武天皇を熊野から
大和まで道案内をし、「導きの神」として
信仰されるようになりました。
八咫烏は、ナビゲーターだったのです。
さて、阿倍王子神社には、5つの末社があります。
境内には4社ですが、飛地に1社。
先日10月13日のブログでアップした
ウォーキングの時、偶然通りすがりに出会った
阿倍王子神社の境外末社。
上の写真が、そうです(9月25日撮影)
阿倍王子神社の東の鳥居近くに
なにわの伝統野菜の「天王寺蕪の石碑」があります。
1997年12月のこと
「野沢菜のルーツは天王寺蕪」とテレビで報道され
その後、天王寺蕪の会を結成
本格的な復活プロジェクトが動き始めました。
そして田辺大根、毛馬胡瓜、勝間南瓜など
次々と「なにわの伝統野菜」に、認証されました。
王子神社へのウォーキング
お天気よくてよかったです。
帰路は遠回りして帰りましょ。
熊野かいどう歩きましょ。
阪堺電車は、専用軌道から併用軌道へ。
浜寺駅前行です。
北畠駅辺りで、2台の電車が並びそうです。
ブログを書くことで、阿倍王子神社のこと
とても勉強になりました。
まだまだ知らないことが多い阿倍野の街です。