今日のフォト。あべの筋を北へと歩く。
大阪の街路樹。
御堂筋には、イチョウが植えられていますが
あべの筋には、クスノキが植えられています。
2024年12月10日のウォーキングの時
あべの筋の西側(左)の街路樹が剪定されていました。
東側は、まだ剪定されていません。
そろそろ新年の準備かな。
人間でいうなら、12月に美容院へ行ったり
散髪屋さんへ行ったりの気持ちかな。
数10本に1本くらい、クスノキの中に
雀がたくさん集まっていて、寝床にしています。
その木の下に行くと、もの凄い鳴き声がします。
そして木の下には、雀の糞。
街路樹をチョッキンすると、雀たちは寝床を失う。
公園の桜の木は落葉している。
雀さん、どこへ引っ越したかな?
剪定して、さっぱりした街路樹の下を
北へ向かって歩いています。
2024年12月10日=9313歩。
万歩計の数値は、1日の歩数ではなく
ウォーキングの時だけのもの。
写真は全て、スマホ撮り。
松虫の交差点、阪堺電車が来ないか
チラッと西側の踏切を見る。
電車は通らず。
松虫の阪堺電車、写真スポット。
併用軌道と専用軌道の分かれ目のポイント。
昨秋オープンした、おむすび からあげの店「Wa」
おむすびランチ&テイクアウトもOK
一度、おむすびを買ってみよう。
今は、美味しいおむすび屋さんが、あちこちに。
「大阪キリスト教短期大学」
大阪市阿倍野区丸山通1-3-61
ここに「織田作之助来遊の地」の碑があります。
大阪文壇の鬼才・織田作之助は、若き時代
阿部野にかかわりがありました。
この街で
恋して結んだ
青春を
訪ねて歩く
真冬の朝
「織田作之助来遊の地」の碑を三方から。
織田作之助は、昭和9年
三高(京都大学)在学中の21歳の時
美人の女給・宮田一枝さんに一目ぼれ。
ある日、一枝さんを誘い出すことに成功しました。
先の写真の碑から50m南へ行ったところ
現在の「大阪キリスト教短期大学」の
南の辺りにあった高級料理旅館「松虫花壇」で
一枝さんと1泊します。
「松虫花壇」は、丁度ここから入った校庭の中辺り。
その後、紆余曲折をしながら、昭和14年に結婚。
阿部野丸山で結ばれた2人の恋は
「織田作之助来遊の地」として
今もその碑が、残されています。
大阪キリスト教短期大学から、天王寺へ。
ここは阿倍野交差点。
高架は、阪神高速松原線。
あべのハルカスの西は、あべのキューズモール。
阿倍野筋2丁目界隈です。
作之助と一枝さんは、この辺りにあった
料亭「千とせ」で、結婚式を挙げました。
あべのハルカスがすぐです。
堺市北野田で新居を構えた2人。
作之助は、創作活動1本の生活となり
「夫婦善哉」
「俗具」
「二十歳」
「我が町」などを発表して
次第に新進作家として、地位を固めてゆきました。
昭和19年1月、一枝さんは病に倒れ
8月に永眠。
阿部野丸山で結ばれた2人の恋は
ここで終わるのです。
参考文献。
「もうちょっと知っとく?私たちの阿倍野」
難波りんご著
さあ、帰ろう。
こんなところにも、赤い色。
帰り道の松虫交差点。
東側のクスノキは、選定されてない。
あべの筋の歩道は、自転車が多いので
商店街へと入る。
12月10日。
クリスマスまで2週間。
華やかな花が多い。
12月は寒くても、心がワクワクする。