雨、15度、81%
昨日、叔母から賀状が届きました。父の妹です。亡くなった父よりひとまわり年下、私よりふたまわり年上のこの叔母は今年84歳、年女です。実はこの叔母のことをよく知りません。子供の頃からしても会ったのはほんの数回です。父は私が12歳の時に逝きました。以後母の口から出てくるこの叔母の話は一つもいいことがありません。お酒もタバコも随分と行ける口、私がやはりお酒もタバコも吸っていた頃は、事あるごとに嫌な顔をして母は言いました。「東京の叔母に似ているわ。」叔母にも会わないのですから、当然、従兄弟たちにも会いません。兄弟もいない私は、ますます親戚とも縁が薄くなりました。
母が亡くなったことは、手紙で知らせました。その年が明けて、東京に帰った折、何の連絡もしないまま叔母を訪ねました。住所をあてに探します。8歳の頃一度この叔母の家に泊まった記憶があります。でも道など覚えてはいません。記憶にある家構えとは違います。もう半世紀も経っています。当たり前です。インターホンに向かって、「真奈です。ご無沙汰いたしております。」と頭を下げました。
急な訪問です。玄関に出てきた叔母は、寝間着の上にカーディガンを羽織った姿でした。お体の具合が悪いのかもしれないと一瞬感じます。背も高く顔の作りも派手な叔母でした。少し小柄に見えますが、華やかな顔は変わりません。私を見るなり、「一郎兄さんにそっくりになったね。」と手を取ってくれました。少し寒い応接間で、叔母は自分の身体のこと、私の父と母が結婚して以来の祖母と叔母との関係などを淡々と話してくれました。実は祖母は私の実家のお墓ではなくこの叔母の家のお墓に入っています。その経緯なども含めて話してくれました。私が母から聞いていることとはいささか食い違います。母は叔母のことを好きではありませんでしたから、母の口から聞いたことが真実だとは思っていませんでした。叔母の体調も思わしくないので、その日は2時間ほどで叔母の家を後にしました。「また参ります。」と叔母の手を握りました。
駅までの道々、叔母に会えたことの嬉しさと胸につっかえていた蟠りが消えて行くのがわかりました。母が亡くなった後まで、母と関わりのある方にお会いするとお詫びをしなくてはなりません。そんな母を持ったことを恨めしく思います。
この日以来、叔母をまだ訪ねてはいません。一年に2度の挨拶のハガキと叔母の故郷の博多に帰った時、ちょっとしたものを送ります。叔母は必ず賀状をよこしてくれます。今年の賀状を見て叔母の字が今までと違って力なく感じます。今年の私の賀状には、2月には主人を残し私だけ福岡の家に帰る旨書きました。叔母からは、引越しの苦労をねぎらう言葉が添えられています。私の身体を心配してくれる身内の人がいてくれる、そう思うとたまらなく嬉しくなりました。
今年は必ず叔母を訪ねようと思っています。体も字も細くなってしまった叔母に会えるのももう僅かなような気がします。そうそう、2年前にお会いした時、体つきも顔つきも私と叔母とは全く違うのですが、お酒を飲むこと、タバコを吸っていたことなどを話すと、「似てるわね。」と大笑いしました。年女同士、叔母の手を握れる日を楽しみにしています。