晴れ、3度、78%
私が育った家の家具は色調が濃い「みずめ桜の家具」ばかりでした。この家具は重いばかりか、ちょっとでも角に当たると青あざを作ります。父と母が揃えた家具のうちいくつかは私の歳よりも上のものです。私が物心ついて後に求めた「みずめ桜の家具」はそれとなく記憶にあります。新しい家具がやってくると、家の中の空気が華やぎます。重い家具を運び込んでくれる人に母が「ここに。」と応対していた様子がよぎります。
その「みずめ桜の家具」のある家に戻ってきました。改築前整理をした時に、三面鏡だけ捨てました。それ以外の「みずめ桜の家具」と大きな焼き物とお仏壇だけを残しました。衣服も食器も本も捨てました。この家を離れて42年、顧みることもなかった家に30年の香港の生活を切り上げ戻ってきました。昨日、戻ってきて初めて家具の手入れをしました。椿油を柔らかな布に含ませて磨き上げます。手入れをしなかった母です。年数も経って、手入れされなかったこの家具の持つ深い艶が失われています。私たち夫婦が持ち帰った家具もみずめ桜です。座敷をフローティングに替えたので新しく揃えた家具もみずめ桜です。
寝室にあるサイドテーブルとワードローブにチェスト。ワードローブは2階の部屋にも同じものがあります。チェストは私たちのものです。
台所には、 母の使った食器棚。 私の食器棚。 ラダーバックチェアーの袖なし。
座敷には、 バタフライテーブル、広げると楕円形のテーブルになります。 ウィンザーチェアー。 本棚。 座敷だった頃からある座卓。私たちが新調した、 ソファー。 ロッキングチェアー。
2階には、 私たちの座卓とワードローブに私の机だったビューロー、 全部を磨くのに2時間近くもかかってしまいました。磨きながら思います。なんで母は手をかけてやらなかったのだろうと。すぐには失った艶は戻りません。あとどのくらいの時間こうして磨いてやれば古いなりの艶を取り戻してくれるのでしょう。
この家に戻るに当たって、私は随分迷いました。戻りたくないが本心でした。主人が改築を言い出さなければ、家も家具も全て手放したはずです。でもこうして戻ってきたということは、とりもなおさずこの家を維持していくことです。手をかけて家を維持する、できたら子供にも受け継いで欲しい、「みずめ桜の家具」と向き合いながらそんな思いが胸に沸きました。