曇り、6度、40%
2年間、3回に分けて送り出した引っ越しの荷物です。30年も同じところに住むと物が増えてしまいました。物を整理しては荷物を作る、この2年間で自分のものに対する考えも変わってきました。この荷造りの前には実家の整理をして、なんて無駄なものばかりと思ったものです。ところが自分の持ち物を全部さらけ出すと、母と大して変わりないと思います。
服、台所道具、本、大きく分けるとこの3つ、服や靴は思ったより整理がつきました。本は自分の年齢を考えて、この先読み直す本と枠を作れば思い切って捨てることができました。ところが踏ん切りがつかないのが台所道具と食器です。1日立ち働いても台所道具の箱はまだ開けきれずにいます。食器は保険を多くかけていますし、業者の人に梱包してもらったものは立会いの元で梱包を外します。食器類だけは収まるところに収まりました。有難いことに欠けや割れたものもなく日本に戻ってきました。同じ業者にお願いしたので、運び込むおじさんも「また、お邪魔します。」「また、宜しくお願いします。」と挨拶を交わしました。
荷物の搬入時には4人の男性が家を出入りします。モモさんにはすまないけれどクレートに入ってもらいました。クレートに入るのを拒絶しました。私の姿がチラホラ見えるところにクレートを置いていると、寝息を立て始めました。この引っ越しの手伝いに来てもらった息子一家ですが、孫娘も動き回る年頃です。お天気も上々なので、1日遊びに行ってもらいました。滑り台をたくさんして、シャボン玉でも遊んでご機嫌で夕方帰ってきた孫娘です。夕飯の後には、「お弁当ごっこ」を4人でした遊びました。「おやすみなさい。」と息子たちが2階に上がった後、ちょっとベットに腰をかけているとそのまま転寝をしてしまいました。私もやっと精神的にも、身体的にも緊張が解けたのでしょう。
手前は実家の私より歳をとっている食器棚です。 これにも我が家の食器が入りました。奥が私たちが結婚以来使う食器棚です。こうして並べると感慨深いものがあります。今日は台所の調理器具を納めます。そして、いよいよ車の手続きに入ります。昨日横浜に入国していた車が陸揚げされたと写真が送られてきました。長かった私の引っ越し、そろそろ先が見えてきました。