曇、22度、89%
お風呂掃除には液体洗剤を使わないのに手元に「マジックリン」の詰め替えが3つもあります。主人に家の家財道具の整理の終盤、封を切っていない洗剤のストックや調味料などでまだ使えそうなものは全て持ち帰りました。
この3つの「マジックリン」家のあちこちから出て来ました。流しの下や洗濯機の横、使いかけの歯磨き粉などと一緒にありました。一つは真っさらなふきんの中に、もう一つは流し下の包丁の傍でした。義母が家を出て入院、その足で老人施設に入所して4年になります。4年前は「ヘルパー」さんに買い物、掃除をお願いしていました。「ヘルパー」さんに物が重複しないようにお願いしていたにも関わらず、こうして同じものがいくつも出て来ました。
「義母の買い物」の癖です。この家の嫁になって46年、当初義母は50歳になったばかりでした。東京から戻ると一緒に買い物に行きます。スーパーで手当たり次第に商品をカゴに入れる義母を見てびっくりでしました。家に帰ると開けてもいないケチャップが三本あるのにまた買っています。買い置くつもりではないようです。つまり、「義母の買い物」の癖です。冷蔵庫を開けると生物が腐っていたことも度々でした。義父が逝って一人暮らしになっても、買い物の量は変わりませんでした。主人が幾度も無駄にしないように話していました。私も腐った食べ物を見ては溜息。
家財道具の片付け中、いろんなものでこの「義母の買い物」の癖を見つけました。使いかけてはまた新しいものを次々に買う癖です。口紅、洗剤、調味料は蓋を開けたままのものまで出て来ました。50年近く変わらなかった「義母の癖」です。
以前の私はうんざりしていました。ところがこうして「マジックリン」を三本並べて、今は大笑いです。「お母さんらしいなぁ。」
先日、義母を街に連れ出す機会がありました。住み慣れた街を車で走っているのに「ここ何処ね?」会う度会う度、記憶の欠落が進んでいると感じます。折り詰めに入った「鰻」が膝の上に乗っています。「忘れずに今日中に食べるのよ。」ほんの5分もしにうちに「これ何?」と折り詰めを見ています。
施設に戻ると丁度昼食の時間でした。テーブルに「鰻」の折詰をのせました。いつものように「また来るからね。」と義母を抱きしめます。「最後までそばにいるからね。」と呟くと「わかっとる。」
「義母の買い物」の癖を思い出して涙する日がいつかやって来ます。46年、私も変わりました。
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