古代ギリシャ展の感想もとびとびになってしまっている(汗)。そろそろ締めなければ。
第6章古代オリンピックについては、ちらりと、ケンブリッジ飛鳥が日本陸上100メートルで優勝し、リオ五輪を決めた記事の中でも紹介しているが、リニューアルして再登場。
BC766年、オリンピアのゼウス神域の前で、4年に一度の競技祭が始まったが、何と、1100年も続き、最後のオリンピックは269回大会、AD393年のことだった。それから時が流れ、クーベルタンの提案により近代オリンピックが再開したのは1896年である。まだ、古代オリンピックの1/10しか経過していない。
最初は、祭事としての色彩が強く、たくましい身体と技を神さまおみせするということで、みな全裸での徒競走(170m)だけだった。その後、5種競技や格闘技、競馬や戦車競走など種目数も増え、全ギリシャ(数百に及ぶポリス)から選手が集う大競技祭に発展した。数万から数十万に及ぶ観衆が押しかけたという。戦争中でもオリンピックの期間だけは休戦し、優勝者は神に近いような名誉を得て、その彫像が神域に奉納された。本展では競技種目が描かれた陶器、競技者像、神域に奉納された競技道具などが展示されている。
古赤像式パナテナイア小型アンフォラ ボクシング↑
BC500年頃代ギリシャのボクシングの試合。どちらかが倒れるか降参するまで殴り合う。
競技者像(前2世紀後半)↑ 各種目の優勝者の姿は銅像として神域に奉納される。この大理石像はクラシック時代の有名な競技者像に基づいた、ヘレニズム時代のコピー。
第7章マケドニア王国
マケドニア王国は、紀元前7世紀頃、ギリシャ北方にドリス系のギリシャ人により建国された。古代オリンピックにも都市国家(ポリス)と共に、早くから参加していた。かいつまんで歴史を。BC359年フィリッポス2世が即位してから強国化。BC338年、アテネとデバイ連合軍を破る。BC336年、アレクサンドロス大王が20歳で即位。BC330年アケメネス朝ペルシャを滅亡に追い込む。BC323年、アレクサンドロス大王病死。
第8章 ヘレニズムとローマ(BS323~
アレクサンドロス大王の死後、その後継者たちが建てた諸王国が互いに争ったヘレニズム時代に、ギリシャ美術は広い世界へと広まり、多様性を獲得しました。その中でも、驚くほどリアルな肖像彫刻と、官能的で繊細優美な女性像は特筆すべきものでしょう。BC31年に、女王クレオパトラがローマに敗れた後、地中海はローマの内海となります。しかし征服者であるローマ人たちは逆に、ギリシャの美術や文化の魅力に捕われました。ローマ時代の肖像彫刻やモザイクは、ギリシャ美術がその後も長く生き続けたことを教えてくれます。(サイトより)
君主頭部(前3世紀/ドデカネス諸島)↑君主像だが、恰好をつけず、マケドニアの帽子をかぶり、リアルな表情の顔。
ギリシャはローマに征服されたが、粗野なローマを文化で征服した、と云われたそうだ。ヘレニズム文化は東西世界に伝わり、西方ではローマ文化を介して西欧文明に、東方ではインド、中国を経て日本文化まで影響を与えた。
(ルーブル博物館にて、2012年4月)
古代ギリシャ展(完)