おはようございます。今日の展覧会記事は、昨日みてきた出光美術館の美の祝典でもなく、えど博の大妖怪展でもありません。ちょっと前のものとなりまする。
国立新美術館で開催されている”ルノアール展”は6月に観ていて、すでに感想文は書いている。しかし、そのときは、この展覧会の最大の目玉である、ムーラン・ド・ラ・ギャレットだけで手いっぱいだった。それほど、素晴らしい作品だと思うのだが、残りの作品だって、オルセー美術館とオランジェリー美術館秘蔵の傑作ばかりで、これらルノアール作品を本ブログに記録しないわけにはいかない。まだ、8月22日まで会期があるので、もう一度、行ってから、感想文をと思っていた。でも、最近、図書館で借りた千住博画伯のエッセイ集”ルノアールは無邪気に微笑む”を読んで、なるほどと思ったことがあるので、返却前にそれも紹介しながら、一気に書いてしまおうと思ったのだ。
このエッセイ集は、別にルノアールのことだけを扱っているのではなく、数あるエッセイの中の一つとして出てくるにすぎない。よくあるように、その小文のタイトルを書名としているのだ。まず、その”ルノアールは無邪気に微笑む”の一文を紹介したい。
第一次世界大戦の足音が聞こえてくる二十世紀の初頭の不穏な時代、おまけに持病のリュウマチで苦しみながらも、ルノアールの描く絵といえば、長閑のものばかり。座敷犬とたわむれる有閑マダム、楽しそうにピアノを弾く少女、また、無防備のきわみのような全裸の女性、一言でいえば、”ほんわか”、ある意味では救いようのないほどの無邪気な幸福感と光に満ちた世界。
画家は世の中の不安や混沌を絵に写し出すものというが、ルノワールの絵には、全くその気配がない、圧倒的に無邪気な世界観。これはいったいどこから来ているのだろうか、一度、彼の本物の絵をたくさんみて考えてみたいと、フィラデルフィア郊外のバーンズコレクションに行く。ここはぼくも行ったが、どの部屋にもルノーアール作品が10も20も飾ってあって、トータルすると181点もあると聞いた。
千住さんは、そこでルノーアールを見続け、ときどき、画家が描くために立っただろう距離で絵筆を動かすようにしながらみた。そうすると、ふつう、画家の気持ちが伝わってくるのだそうだ。ところが、おどろくことに、どの絵も何も伝えてくるものがない。美しい婦人がただただ笑っている、そこには、何の隠された意味もない。次の全裸の婦人もこちらを眺めているだけで、色気もなければ、何の反応も示さない。
これはいったい何か、と考え続けていたが、ふと、もしかして、意識的に”伝えようとしない”のではないかと思った。この笑顔は、何かのためでもなく、笑顔のための笑顔ではないか。この時代、人々は「笑顔」をすっかり忘れている、笑顔が何より必要だと彼は感じ、あえて他を切り捨て、笑顔だけを伝えるようにしたのではないか。
人々の心の不安を見据えながら、宗教も国家も超え、いつしかすべての人々の心をあたたかな平安でみたす。その意味でルノワールこそ最も芸術家らしい芸術を遂行していた芸術家ではなかったか、・・・この明るさはまるで太陽崇拝などの原始的宗教的なイコン画のような存在ではないか。そうだったのか、千住さんは、納得してバーンズコレクション館を出たのだった。
そして、ぼくも納得して、ルノーアール展の全作品を観賞したのだった。
田舎のダンスと都会のダンス(1833)
ピアノを弾く少女たち(1892)
ピアノの前のイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル(1897)
陽光のなかの裸婦(1876)
読書する少女(1874-1876) モデルは、モンマルトル出身の少女マルゴ。1870年代半ばの作品に多く登場する。若くして亡くなる。
草原の坂道(1875)
ぶらんこ(1876)
ジュリー・マネあるいは猫を抱く子ども(1887)
道化師/ココの肖像(1909)
浴女たち(1918-1919) 亡くなる数か月前に完成した。リウマチで動かなくなった手に括り付けられた絵筆で描いた。晩年の彼と親交のあったマティスは本作を最高傑作と称え、ルノワール自身も”ルーベンスだって、これには満足しただろう”と笑って語ったそうだ。ルノアール(1841-1919)
ぜひ、もう一度。
では、みなさん、今日も一日お元気で!笑顔も忘れずに!