気ままに

大船での気ままな生活日誌

霧の中のヒメシャラ 箱根にて

2016-07-05 23:07:55 | Weblog

こんばんわ。

一泊の箱根小旅行から帰ってきました。出掛ける前の天気予報では両日とも晴れのはずだったのに、二日目の今日は、なんと、前日とはうってかわってのひんやり陽気。おまけに、朝、霧が立ち込めてきて、それが昼になってもひかない。おかげさまで、ぼくの大好きな霧の風景の中に一日、どっぷり浸ることができました。

箱根ポーラ美術館の森

ヒメシャラの木もたくさん。

よくみると、木の下には花がたくさん落ちている。

一日花なので、咲いては散る、咲いては散る。


素晴らしい霧の中のヒメシャラだった。

霧といえば、ロマンチックな昭和歌謡が多いですね。

霧の摩周湖(布施明)
霧子のタンゴ(フランク永井)
霧の中の少女(久保浩)
夜霧のブルース(ディックミネ)
夜霧よ今夜もありがとう(裕次郎)
夜霧の第二国道(フランク永井)
霧にむせび夜 (黒木憲)
霧笛が俺を呼んでいる(赤木圭一郎)

きりきり舞い(リンダ)

これっ霧これっ霧(百恵ちゃん)

霧隠才蔵の歌

きりぎりすの歌

きりたんぽの歌

きりがないので、この辺で。

では、おやすみなさい。げろげろ

いい夢を!

(箱根ガラスの森美術館より)


 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポンピドゥー・センター傑作展

2016-07-05 05:52:04 | Weblog

おはようございます。

東京都美術館で開催されているポンピドゥー・センター傑作展を見に行った。1906年からはじまって1977年まで、一年に一作家一作品を選び、年代順に並べるというユニークな展覧会で、とても面白かった。知ってる画家も結構いるし、また、知らない画家でも、彼らの言葉やエピソードが添えられているので、つい惹きこまれてしまうこともあった。

では、いきなり、つい惹き込まれた画家の絵から。

1941年 ジョセフ・クレパン 寺院

彼の言葉:私は美術館に行ったこともないし、フランスの外に出たこともない。この年までデッサンも絵画も習ったことはない。私は何のために描くのだろうか。

エピソード:フランスの配管工で、金物商だったクレパンが63歳のとき(1938)、神さまから啓示を受けて、突然、絵を描き始める。それも、300点が完成した時に第二次世界大戦が終るという。すべての絵に番号と日付が記され、300枚目の絵はなんと、1945年5月7日(ドイツ降伏の日)。 本展のは、152作目。寺院の上にたくさんの魂のような顔が垂れている。つい、じっと見てしまった。
そして、1945年、ぼくの生まれた年だし、何が飾られているか、楽しみにしていたが・・何もない。
でも、そこには、絵の代わりに、エディット・ピアフの”バラ色の人生”が静に流れていた。終戦の年だもね。粋なはからいに感心した。ここが一番のコーナーだったかもしれない。

では、一番はじめから。
1906年 ラウル・デュフィ 旗で飾られた通り

ブラック(1907)、ヴラマルク(1910)、とつづいて。

1917年 シャガール ワイングラスを掲げる二人の肖像 私を空想的といわないでください。私はレアリスト。大地を愛しています、との言葉。

マン・レイ(1921)、ル・コルビュジエ(1922)ときて、

1925 ロベール・マレー・ステヴァン エッフェル塔

1928 レオナール・フジタ 画家の肖像

ボナール(1931)、そして、

1935年 ピカソ ミューズ 私は他の人が自伝を書くように絵を描いている。

1937 カンディンスキー 30 絵画は絵画、解読されるべきものは何もない。どんなかたちにも生命を豊かに感じる人には、絵が喜々として語りかけてくる。


1940 マリー・ローランサン イル・ド・フランス

そして、戦後はアンリ・ヴァランシのピンクの交響曲(1946)で幕を開ける。

1948 アンリ・マチス 大きな赤い室内 

ぼくは2012年4月にポンピドゥーに行ってる。そのとき、年間の入場者数は800万人のルーブルに迫る勢いだということを聞いてびっくりしたものだ。

じぐざぐエスカレータが有名。

また行ってみたいポンピドゥー・センター。ここを棲家にしているリサとガスパールに逢えるかも。

 

では、今日も一日、お元気で!ぼくらは、箱根の芦ノ湖方面へ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする