気ままに

大船での気ままな生活日誌

なんてこった 稀勢の里 2敗目

2016-07-19 22:43:51 | Weblog

こんばんわ。

ぼくは、昨晩にひきつづきお相撲の生中継をみていなかった。稀勢の里が松鳳山と対決するときは、妹と川崎のつばめグリルでビールを飲んでいるときだった。もちろんスマホで勝負のチェックは怠りなかった。な、なんと、画面に、稀勢に黒星が。決まり手は突き落としと出た。ああ、勝ちを急いで、逆転されたか、なんてこった、稀勢の里。これで、せっかく、すもうのかみさまが采配してくれた、すべりんこんの白鵬の黒星が台無しになってしもうた。まったく、だらしない、これで、稀勢の優勝はない!と、ぼくはイカリ心頭に達したノダ。

ところが、帰ってから、家内に聞くと、突き落としといっても、松鳳山の逆転勝利ではなく、立ち合いの変化によるものだったという。な、なぬ、これを知って、ぼくのイカリの矛先は松鳳山に向かった。なんてこった、全く、空気の読めないアンポンタンだ、こんな重要な一番に、変化で勝つという選択肢は万に一つもないはずだ。そういえば、人気の遠藤に大怪我をさせて、相撲人気に水を差したのも松鳳山だった、なんてことまで思い出させてしまう。

これなら、仕方がない面もある。逆転負けなら、優勝はないと断言するところだが、変化で負けたということなら、まだ望みは十分ある。終盤戦で、変化をするアンポンタンはいないはずから、真っ向勝負なら全勝できる!白鵬は稀勢戦を含め、あと二つは負けるし、日馬富士も二つ負けるはず。むしろ、高安と宝富士に油揚げをさらわれる可能性の方が高い。

とにもかくにも、大混戦の面白い終盤戦となってきた。がんばれ、けっぱれ、稀勢の里!くたばれ、ねたばれ(?)、白鵬&松鳳山!

以下の画像はNHKのスポーツニュースより。

あんぽんたんにやられる稀勢の里

〇日馬富士●高安

白鵬、ようやっと勝星。

トップタイの2敗は、5力士となった。さて、優勝賜杯はどの力士に。

それでは、おやすみなさい。げろげろ。

いい夢を!

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バッハのミサ曲ロ短調から思い出すこと

2016-07-19 10:36:45 | Weblog

おはようございます。

昨日は初台のオペラシティーで、バッハのミサ曲ロ短調を聞いてきた。高校時代のマドンナ(笑)が管弦楽のうしろの合唱団の中にいるのだ。この曲は、もう一人の同期生が所属する楽団の演奏でも聞いたことがある。バッハのカンタータ・シリーズを何年か続けて、その最後の曲がこれだった。さらに、シャンソン歌手もいて、ぼくは定年後、よく音楽会に出掛けるようになったのだ。

さて、プログラムの中の解説文(水野克彦)で知ったことだが、これは、バッハ(1685-1750)が亡くなる前年につくった曲で、彼の音楽人生を集大成するようなものなのだそうだ。要するに、バッハのさまざまな高度な音楽技法が満たされていて、さらに内容が、カトリックとプロテスタントを総合するエキュメニズム(世界教会主義)として表現されている。キリスト教だけではなく、世界中の異なる宗教間の対立を越えた人間相互の和解を願う、壮大な祈りの曲なのだそうだ。

1723年、バッハはライプツィヒの聖トーマス教会とライプツィヒ市の音楽監督になった。ここで、彼のもっとも主要な創作分野である教会カンタータが堰を切ったように生み出されていく。そして、晩年、ミサ曲ロ短調がつくられ、聖トーマス教会に眠るのである。

ぼくらは、2013年にドイツの音楽と美術を巡る旅というツアーで、ライプツィヒを訪れた。そのとき、バッハ関連の施設巡りもした。詳細はここをご覧ください。そのとき、聖トーマス教会で夜、演奏会を聞いたが、曲目はなんだったけ?と、ページを開いたら、このミサ曲ロ短調だった。今、考えると、バッハが音楽監督をしていて、お墓もある教会で、バッハ最高の曲を聞くという贅沢な時間をすごしていたのだ。

聖トーマス教会でバッハのミサ曲ロ短調を聞く(2013年)

聖トーマス教会内のバッハの墓

そうそう、滝廉太郎(1879-1903)も、ライプツィヒに留学している。元住居辺りに碑が建っている。

1901年に留学、肺結核に罹り、1年で帰国。1903年、24歳で夭折する。

先日、恩賜箱根公園前でみた滝廉太郎の歌碑。”箱根八里”は1900年に作曲された。


オペラシティー・コンサートホールはタケミツ・メモリアルの名が冠せられている。武満徹(1930-1996)。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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