マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

田んぼの中の森

2024-02-19 | 

この辺りを通る時いつも気になっていたこんもりとした森。

何処から見ても、同じ姿。

神社の森だろうなと思いつつ、そこへ行く道が見当たらない、

どこかにあるはずだと、細い田んぼの中の道を進んで回り込んで

入口まで行きつくことができましたが、もちろん駐車場などはありません。

近くによってみれば、見事に手入れされた高い生垣(椿など)です。入り口は一箇所。

朽羅神社と銘記した石の塔と、写真には写っていませんが古い石灯篭が一つ(天保3年・1832年)

薄暗い森の中に足を踏み入れると、巨木が密集した森でしたが、

きちんと手入れもされていて、掃除も行き届いていました。

奥の少し明るい所に木の鳥居が一つ立ち、社殿がありました。

右の空間は遷宮のための場所ではないでしょうか。

家に帰って調べてみたところ、朽羅神社も伊勢神宮の摂社の一つらしいです。

(伊勢地方4市4町には内宮外宮の他、別宮や摂社や末社125社が点在しているそうです。

それらを合わせて神宮というそうです。

今もそれらの神社を管理し、維持している神宮の権力に今さらながら驚きます)

時々霧雨が降る、暗い日でしたが、森の中から外を見ると、

明るくて輝いて見えました。

田植えの時期には、この森はまさに「緑の島」に見えるだろうな!

 

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帰路(1月七日のドライブ・3)

2024-01-11 | 

帰りは、危険な峠道は通りたくなかったので、

道の駅で尋ねたり、後戻りしたり、ちょっとウロウロしましたが、

雲出川(くもづがわ)に沿って走る名松線に、

ほぼ並行して通る道があることが分かり、

その道を見つけることができました。

道のりは長くなっても、安全で走りやすく、ほっとしました。

途中、コンビニでホカホカの肉まんを買ってエネルギーを補給し、

無事帰り付きました。

線路が道路の右になったり左になったり。

名松線は、約2時間に1本の運行ですが、偶然にも、奥津駅でも、ここ(帰路)でも列車に出会いました。

古い医院のようです。今は空き家?

かやぶき屋根の家もありました。

こちらは、住人がいて、家もその周辺もしっかり手入れされているようでした。

稜線が面白い。

木材の大きな集散地が方々にありました。

この写真では、木材はまるで「ごぼう」のように見えますが、実際はとても大きな丸太です。

窓を開けると、外はスギやヒノキの良い香りに満ちています!

↑ お土産!

・ワサビ菜(生野菜)・ひの菜(漬物)・あまご飯

・サンショウウオの編みぐるみ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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終着駅(1月7日のドライブ・2)

2024-01-09 | 

車の窓から、ススキの帯と、そのすき間から、線路が見えました。

一度乗ってみたいと思っていた「JR名松線」です。

その名松線の終着駅「伊勢奥津駅」へ、列車ではなく、車で、でしたが、立ち寄ることができました。

ディーゼルなので、電柱も、電線もありません。

待合室の椅子の手編みの座布団が温かい。

 

当初は、阪ー張の予定で着工された路線でしたが、

阪から途中の津まで、になってしまったそうです。でも名前は「奥松線」ではなく、「名松線」・・・

蒸気機関車時代の給水塔が残っていました。

奥津は古くは宿場町(伊勢街道)としてにぎわい、

その後も、木材の集散地として栄え、映画館もあったようです。

林業が廃り、次第に人が少なくなり、

名松線も、何度も廃止の危機がありましたが、

奥津の人たちは「名松線を守る会」「名松線を元気にする会」を作り、

線路沿いの整備他、街道沿いに残る古い家々にそれぞれの「のれん」を掛けるなど、

列車を利用して奥津を訪れる人に、旧街道の散策を楽しんでもらえるようにと、

さまざまな工夫を凝らし、現在に至っています。

↑ 呉服屋さんだったのかな?

旧街道沿いに、随分いい状態で、たくさんの古い建物が残っています。

暖かい季節にまた訪れたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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国道(酷道)368号(一月七日のドライブ、その1)

2024-01-08 | 

やっと体調が戻り、

従妹の家族(アメリカ人)4人の来訪に間に合いました。

レンタカーを借りて、たくさんの荷物を積んで我が家にやってきました。

時間は不思議です。

この前会ったのは20年以上も昔なのに、ついこの間のことのようで、

以前と全く変わりなく、たくさん食べて、たくさんお喋りをして楽しい時間を過ごしました。

彼と彼女とその子どもらは、我家に二泊し、

朝「次の予定地は高野山で、宿坊に予約したのだけど、

途中温泉に寄りたい、そこで、その温泉地まで一緒にドライブして、

昼食を一緒に食べませんか・・・」と提案するのです。

地図を見たところ、以前から行ってみたいあたりだったので、お天気も良いし、

「じゃあそうしよう、その温泉地で、食事して別れましょう」ということになり出発しました。

彼らはナビを見て走るので、私たちは後ろをついて走ることになりました。

山も川も素晴らしく、快適に走り、

旧伊勢街道沿いに紀伊山地の奥深くへと入っていきました。

ここは下仁柿地区、毎年巨大藁人形を作成しているようです。

2023年の、これは「かえる」!だそうです。

道行く人の心を和らげてくれます。

やがて、大型車通行禁止の看板、急に道は細くなり、木々の間を縫うように道は続き、

急勾配、急カーブ、ガードレールが崩れたところもあり、左は崖!

たまに木々の間から、眼下に低い山の峰々の眺望が見えるものの、

私には、写真を撮る余裕はなく、ひたすら、このぐねぐね道を早く通過することを願っていました。

後で、この道こそ、この辺りでは有名な国道368号の「仁柿峠」で、

「酷道」と呼ばれていることを知りました。

三重伊勢方面から、奈良室生方面に行くには、この道以外には、円を描くように大きく迂回するしか道は無く、

(バイパス工事が続いているものの、10年後にも出来上がるのかどうか・・・?)

そのため、この酷道を走る車は意外に多く、何度も曲芸のようなバックを繰り返してすれ違うのです。

バイクのツーリングの道としては最高かもしれません。

地図上の右から左へ走りました。

(紀伊山地の山々の標高はそれほど高くないけれど、ずーっと続いている。)

中央のギザギザ部分が「仁柿峠」です。

驚くのは、峠をこえれば、

川に沿って、山間に、或いは山の急斜面にも、集落があり、

畑や、あるいは小さな水田があり、

道や石垣が手入れされ、

道標が立ち、寺や墓があり、神社があり、

人の暮らしがあることです。

どこに行ってもいつも、

そのことに感動します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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久しぶりの京都 

2023-12-22 | 

こちらに引っ越してきて以来初めて、6年振りに京都に行ってきました。

若い人と、子どもを載せた自転車の多さに、

ああそうだった、これが京都の日常だった、

と思いながら、いつも通った橋を渡り、

母も、祖母も、私も毎日のように通った、今も賑わう出町商店街へ。

変わったところと、変わらない所と、ぶらぶらと見て歩き、

古本屋で、1冊百円の文庫本を三冊買って、

(この古本屋は古本3冊持って行けば、100円の本1冊と交換してもらえる)

出町輸入食品店でコーヒーを買い、

久しぶりにバスに乗って、4つ目のバス停河原町三条で降りて、

いつものコースの寺町通をぶらぶら。

お寺や菓子屋や紙屋や古本屋や画廊や骨董屋や

新しいおしゃれなカフエのウインドウを眺めながら歩きました。

良く通った本屋さん(三月書房、同人誌などがたくさん並んでいた)は残念ながら廃業していました。

シャッターには往時の本棚の写真・・・

下御霊神社を覗いたら、

崩れそうになっていた蔵が、修復されていました。

娘の通った高校の古い門も修復されていました。

土塀は無くなっていました。

また出町まで戻り、

スーパー(昔は市場)で白みそ(お雑煮用)などを買い、

又、新葵橋を渡り、鴨などを眺め、

長年暮らした家(今は息子の家族が住んでいる)へ帰りました。

三泊して、車で高速に乗って三重の田舎に戻りました。

新しくなっていたジャンクションでコースを間違えて、

だいぶ大回りしてしまいましたが、無事帰還。

夕べはよく眠り、今はパソコンに向かっている、というわけです。

こちらに引っ越してきた当初、

よく「なんでこんな何もない所へ越してきたんや?」と尋ねられました。

その時はホームセンターもスーパーもあるし医者も近いし、と答えましたが

確かに、ここには都会にあるモノはありません。

けれど、都会には田舎にあるモノがない、

それは、広い空や、手を触れられる畑の土、山の木々や、

曲がりくねった道や川や、海の波の音や砂、

さまざまな生き物の気配、

あるいは、ゆったり流れる時間や空間、といった抽象的なものかもしれませんが、

今の私には大切なものだ、と思いました。

 

 

 

 

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謎の石工? 廃寺2

2023-12-20 | 

ランチの後で、しばらく前から気になっていた松阪市岩内(ようち)にある「廃寺」まで足を伸ばしました。

名前は、「瑞巌寺」

見たこともない不思議な姿の石の門をくぐると、別世界でした。

目の前に巨大な梛(ナギ)の木がたっていました。

谷川に沿った境内には不思議な石の造形物が散らばっています。

↑ 足の裏石

中をのぞくと、可愛い弘法大師。

今は荒れ果てて、石は傾き、崩れ、瓦礫と化しているものもあります。

昔(江戸時代)は一体どんな風景が広がっていたのでしょう。

石工は、一人だったのか、集団だったのか?

何か今までにないものを創りたかったのでしょうか?

何を思いながら石を切り出し、そして掘ったのか、

記録もなく、何もわかりません

こんなアーチの石組みは他では見たことがありません。

とてもユニークです。

さまざまな石の造形物(写真はほんの一部です)を見ている内に、

山の自然の岩のくぼみや割れ目も、顔に見えてきました。

ちょうど池(鏡池)の水を抜いて作業中で、

池の真ん中に立つ阿弥陀堂も土台から露出していて、

普段は水中に沈んで見えないであろう石垣や

崩割れた石碑や石の土台などが池の底に散らばっていました。

 

少し山道を登ると滝が二筋あります。

地元の有志が保存のための活動をしているそうですが、

この規模のもの維持するのは大変です。

ぜひ松阪市に頑張ってもらいたい。

 

 

 

 

 

 

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川べりの店でランチ

2023-12-16 | 

私たちはめったに外食をしません。

来客があった時とか、私の誕生日の日だけです。

で、昨日15日は私の誕生日でした。

Google地図を見ながら捜した場所は、

櫛田川の河畔の小さな食堂です。

昔、奈良、大阪からの伊勢参りの人たちが、山また山を越え、やっと辿り着いた川のほとりです。

今は、こんなところまでも、車で、バーッと走っていくのです。

「右さんぐう」の文字が辛うじて読めます。

下の写真の赤い橋が出来るまで渡し舟が利用されていたそうです。

最高のロケーションと、

美味しい料理で、満足でした。

メニューに書かれていた「食後のぜんざい」を、と思っていましたが、

もうお腹いっぱいで、残念ながらまたの機会に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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廃寺の山門

2023-12-14 | 

隣町の天啓公園の池の縁にある、古いお寺(法泉寺)の山門を見てきました。

高さ7,7m、幅11m、見事な姿の山門です。

残念ながら、廃寺となっています。

山門をくぐり石段を登って本堂へと道が続いています。

鐘のない鐘撞堂と、仏像のない本堂が、木々間にひっそりと扉を閉じてたたずんでいました。

今は公園(天啓公園)の一部として、町が管理しているようです。

地面はびっしりとモミジの落ち葉に覆われていました。

後ろへ倒れそうなお地蔵さん。

クマザサに埋もれた石塔群、墓?

↑ 境内のこの奥の左側の建物で、数年前まで、釜飯と甘酒をいただくことができたそうですが、

今は、1杯200円のコーヒーだけになってしまっていました。

とても残念です!

ここで、釜飯を食べたかったな~

池の周りの散策道には駐車場も何カ所かあって、

風のある寒い日でしたが、老若男女が入れ代わり立ち代わり散歩に訪れているようでした。

子どもたちの遊び場も広くて、エアトランポリンなどが設置されていて

楽しそうに遊んでいる親子づれが、ちらほら。

良い所です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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初めての「熊野灘」1

2023-09-22 | 

「熊野」が舞台の小説や、或いはノンフィクションや、

或いは歴史の本などをいくらか読んで、

いつか行ってみたいと思いながら、そして近くまでは何度か行ったことがありますが、

地図上の「熊野地方」に足を踏み入れたのは初めてで、ちょっと感動!

ここは「七里ガ浜」。

波が浜に砕ける音を聞き、また返っていく音を聞き、

水煙りにかすむ浜の景色を、ぼーっとしばらく眺めてきました。

足下の石はすべて!角が取れて丸くて、色あいも様々、見飽きません。

貝は全く見当たらない。

打ち上げられたウキのフジツボの殻だけ、

海藻もない。

釣り人を見かけたけれど、

何か釣れるのかな?

少しだけ石を拾ってきました。

黒い石はホントに真っ黒で艶やか、那智黒?

奥の大きい2個は軽石です。

真ん中はフジツボの殻

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「鰹の神輿」のある港

2023-08-27 | 

宿田曾浦(三重県度会郡)の、祭りの神輿のご神体は「鰹」!

(女性が担ぐ、カジキマグロの神輿もあるそうです。)

田曽浦は漁港として、かなり大きく、たくさんの舟が係留されていました。

港を出れば、太平洋です。

鰹の1本釣りの遠洋漁業の基地として栄え、かつては鰹節を作る工場などもあったそうです。

志摩辺りでは、一般の人は釣り禁止の港や浜が多く残念ですが、

ここではルールを守れば、釣りもOKとなっていて、ホッとします。

カキがこびりついた岸壁をのぞき込むと、小さな魚が沢山泳いでいました。

港の水深は深そうです。

午後4時ごろ訪れた時には、港は静かでしたが、きっと早朝は賑わうのでしょう。

 

高い所にお墓が見えます。

港町には、小さな商店が数軒あって、パン屋さんや食堂や飲み屋らしき店も、人の姿もちらほら。

新しい家も古い家も、ペンキで、青や水色やピンクや緑や黄色や茶色などにペったりと塗ってあるのが、珍しく感じました。

ペンキは潮風から外壁を守るためだと思います。

カラフルな色が、この港町を特徴づけています。

 

港周辺の避難所を示す案内板が方々にありました。

避難階段?

紀伊半島の津々浦々、数え切れないほど、大小の漁港があります。

でもそれぞれが、それぞれの歴史を持っていて、

外から見れば似たように見えても、

実は、どの町も村も個性的で、ユニーク!ということがとても興味深いのです!

 

福島の事故から12年経っても、溶け落ちた炉心がどこに在るかさえわからない状態なのに、

大地に溶融した核燃料を1ミリも取り出すことさえできないのに、

原発事故の責任を放置し、

生命の源である海へ放射能汚染水を捨て、

更に原発を増やそうとするような人たちは皆、

鰹の神様、鮪の神様、鰯の神様、貝の神様、

クラゲの神様、鯨の神様・・・海のすべての生き物に、

祟られるぞ~・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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