4月1日(日)
博多で一泊後、お昼ごろの新幹線で、新山口に向かった。
早朝、羽田をたって先に着いていた娘夫婦と落ち合い、
予約をしてあったレンタカーに乗り込み、
瑠璃光寺に向かったが、お花見と時期が重なったためか、
駐車場に入れなくて、3人は寺の入り口で降ろしてもらった。
しばらく娘夫婦を待っていたら、5~6人のボランティアの人に
話し掛けられ、その中のお一人が私達の案内をして下さることになった。
あまりにも壮大な歴史絵巻物に、私は・・・・・?
593年に聖徳太子が摂政となり、611年に朝鮮百済国聖明王の
第三王子の琳聖太子が周防国多々良の浜(今の防府市)に着岸し、
聖徳太子より大内県を賜った。
平安時代に入り、大内氏17代、18代は源氏方に属し、
平家追討に軍功を上げ、いよいよ勢力を増大させていった・・・
そして中世・戦国の雄 西国一の大大名になった大内氏の栄華がここにある。
ということで・・・(間違えていたらごめんなさい)
この像の人が大内氏中興の祖と呼ばれる24代目の弘世さんで、
京の都に憧れ、その都造りを模してここに「西の京」の礎を築いた人。
ボランティアさんはこの方だけを「さん」付けで呼んでいらっしゃった。
私達は何の知識もなく、この優美な塔を見に来たのだが、
応永の乱(大内氏の勢力の増大を恐れた将軍義満との戦乱)で
戦死した25代義弘の菩提を弔うため、
弟の26代盛見が建立した塔だという。
その後、このボランティアさんの後に付いて歩き、
たくさんの事を教えていただいたが、あまりにも長いので割愛。
そうそう、最後に・・・
「この木何の木か分かりますか。」の質問に・・・?
このような木が3本もあった。
何も知らずにただボ~~~っと歩いているだけではなく、
ゆっくりと説明をしていただくと、ほ~~っ、合点!で、楽しく
全く知らなかったことを学び、とても良い時間だった。
さて・・・
日本に最初にキリスト教を伝えたザビエル。
この最初の布教所が山口の大道寺。
いろいろ紆余曲折があり、大正時代末、
フランス人ビリオン神父が来山し、
この地にザビエル記念碑を建立した。
是非立ち寄りたかったのだが、時間が無くなってしまい、
今夜の宿「山水園」に直行。