9月19日 続き
ドイツ人御夫妻と別れ、湖畔をさらに進むと、
美しいレストランや土産店があった。
真夏やスキーのシーズンにはたくさんの観光客も訪れるのだろう。
1時間以上過ぎて、アンドレアさんの車に戻る頃には、
又雨が降り出していた。
すぐ傍のレストランに入り一緒にコーヒーでも、と誘うと、
逆に彼が私にカプチーノを頼んでくれ、御馳走をして下さった。
そして、テーブルの上に私達4人、
それぞれのプレゼントまで用意して下さっていた。
夫にはドロミテの日本語で書かれた立派な写真集、
私にはエーデルワイスの押し花で作られたしおりと絵葉書。
学生達にはナイフの付いたステキなキーホルダー。
私はどうしてこんなに親切にして下さるのだろうと驚いてしまった。
三人が戻るまで、いろいろお話を伺っている内に、奥様との馴れ初めや、
なぜ別れ別れで暮さざるを得ないのか、事情が分ってきた。
お互いが自分の仕事をする場合、
他国ではとても難しい問題があるのだ。
大好きな奥様とお嬢さんに会うために、
年に6~7回は日本にいらっしゃるらしい。
話をしている途中、日本の奥様に電話をされ、
突然、私に替わって下さった。
彼の優しい目を見て、どんなにお二人を愛していらっしゃるか、
何度も口に出して、日本人が大好き、大好き、
とおっしゃる真意が伝わってきた。
三人が帰って来て、それぞれのプレゼントに大喜びをし、
そして恐縮をした。
どこかで昼食を、とお誘いすると、
おいしいレストランに連れて行って下さったが、
朝食、昼食を取ると眠くなるので・・・・と固辞されて、
イタリア語のメニューを見て、リコメンドして下さり、
我々の食事が済むまで、ずっと待っていて下さった。
申しわけない気持ちでいっぱいだったが、さらに、ホテルに戻ると、
「通常は行き40ユーロ、途中の待ち時間をプラスして、
帰りも40ユーロだが、全部で60ユーロでよい・・・」と言われた。
夫が「それでは安過ぎるので、正当の値段を取って下さい。」
と言っても、それでいい、と何度も言われるので、
では80で・・・ということで手が打たれた。
私はプレゼントもいただいたのに、
100ユーロは支払うべきだと思ったが、
彼が10月に浦和に行くので、
その時一緒にコーヒーを飲んで下さい、
とおっしゃるので、アドレスを取り交わして別れた。
私は今回のドロミテ旅行で、最初少しがっかりしていたが、
アンドレアさんにお会いしたことで、
一部のイタリア人に対して快く思っていなかった自分を戒める機会を得、
こんなに遠く離れた所に日本を心から愛してくれている人がいる
ということを知ったことで、
多分、ここが一番印象に残る町になるだろうと思った。
ここドロミテは1956年に冬季オリンピックが開かれ、
我々の泊まったホテルは
日本人選手団の宿泊ホテルだったそうだ。
その時銀メダルを取った猪谷千春さんが、
私達の泊まった2階の反対側の部屋に
泊まっていたそうで、かなり年配のホテルのオーナーから、
夫はその時の話を伺ったそうだ。
幼心に聞いた熱狂の猪谷千春さんの銀メダル、
このホテルでも大きな喜びだったらしい。
今、周りの景色は全く変わっているが、
きっとその頃はこの写真と同じだったに違いない。
そして、このホテルも、もちろん増改築がされ、
変わっているのだろうが、
落ち着いたレストラン、食事が終ると隣の談話室で
チェスのゲームを楽しむ人、
ビリヤードを楽しむ人、おしゃべりを楽しむ人、
とてもゆったりとした、ゆとりある大人の雰囲気が漂っていた。
昨日戻り、今初めてPCを開き、コメントに気付きました。
Hさんも御活躍なのですね、とってもうれしいです。
落ち着いたら、チョコッとデートしましょうね、よろしく。
ずいぶん前のブログに投稿です。
私はいつ、どこで、猪谷千春さんが活躍されたのか、
全く知りませんでした。
あ、猪谷千春だ!っておもって読んでいたら
やっぱり猪谷千春だった。
小学生の私にとっては英雄だった。