「離婚してもいいですか?」
わたしがブログに書いた翌日、長女がネットで取り寄せた。
わたしは、読まずに、あのブログを書いた。
理想やら、負け惜しみやら、強がりやら。
で、読んだ。
あああ・・・。
だめだ・・・。
封印していた、わたしのもやもやが・・・
もわっもわっと、真っ黒く塗りつぶされた画面となって現れた。
とっくにクリアーしたはずで、乗り切った離婚願望先輩として、どや顔で、ブログを書いた、わたし。
長女が持ってきてくれて、すぐには読まず、家で少し寝かせて、数日後、読んだ。
涙・・・。つつー。
そしてまた本日、二回目を読んだ。
涙と、鼻水・・・。しかも、涙は量が多くなっている。
泣く場面は、やはり子供がらみのシーン。
幼い顔、へのへのもへ字みたいな、へたうま子供の表情が、絶妙。
どんなに危機を乗り越えようが、共通するものがある。
相手(夫)が変わらないなら、自分が変わろう、
相手を犬と思ってみる、置物と思ってみる、・・・
この発想、試みは、わたしもトライした。経験、実験済み。
がつんとした手応え結果は、なかった。
が、事態は同じ状態では止まらない。
周りの状況が変化していき、人のこころも変化していく。
わたしの場合は、子供のためにあきらめる、我慢する、ということはなかった。
自己チューなわたしと、お子ちゃまな夫。どっちも、どっち。未熟者同士。
対決相手は、相手(夫)ではなく、自分のこころだった。
自分が、どう納得するか。
結婚に何を求めているか、だった。
(夫は、犬または置物なので、犬または置物を操っている黒幕やら、いろんな力と戦った。
犬または置物は、わたしがいかに苦しみ、戦っていたか、まったく知らなかった。現在もなお。
そこらあたり、けっこうDeepで深刻である)
長い時間をかけて、どうにかこうにか自分をなだめてきた。
そして、たまたま、そこにいた、漫画を持ち込んだ長女を前に、わたしは勝利者宣言をした。
「わたしは、いつ離婚してもいい!!」
「わたしには、敵はいない!!」
「わたしは、自立している!!」
すると長女は、わはははと笑った。
「離婚したら、ランニング・インカム(毎月の定期的収入)がなくなるよ」と。
その言葉に、わたしは、現実の世界に引き戻された。
そうね。貯蓄を切り崩す生活よりは、ランニング・インカムがあるほうが、いいなあ、と。
何事もなかったのように、にっこり、柔和な微笑みを浮かべる、わたし。
人の話には、涙するものの、自分のことになると、わたしは、いたって現実重視、合理主義者である。
勝利宣言は、即、引っ込め、「そうね、離婚は、やめよう」と、方針をくるりと変えた。
この年齢になると、舌の乾かぬうちに、ころころと発言を変えても平気。
怖いものが無いことは、確かだ。
さてさて、三度目に「離婚してもいいですか?」を読むと、どんな涙になっているのだろう?
懲りずに、近いうちに、また読み返す予定だ。
だって、あの本は、面白い。
台詞と、へたうま表情が、よい芝居をしてくれる、絶品である。