蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

離婚してもいいですか? その後

2014-11-11 | 暮らし

「離婚してもいいですか?」
わたしがブログに書いた翌日、長女がネットで取り寄せた。

わたしは、読まずに、あのブログを書いた。
理想やら、負け惜しみやら、強がりやら。

で、読んだ。

あああ・・・。

だめだ・・・。

封印していた、わたしのもやもやが・・・
もわっもわっと、真っ黒く塗りつぶされた画面となって現れた。

とっくにクリアーしたはずで、乗り切った離婚願望先輩として、どや顔で、ブログを書いた、わたし。

長女が持ってきてくれて、すぐには読まず、家で少し寝かせて、数日後、読んだ。
涙・・・。つつー。

そしてまた本日、二回目を読んだ。
涙と、鼻水・・・。しかも、涙は量が多くなっている。

泣く場面は、やはり子供がらみのシーン。
幼い顔、へのへのもへ字みたいな、へたうま子供の表情が、絶妙。


どんなに危機を乗り越えようが、共通するものがある。
相手(夫)が変わらないなら、自分が変わろう、
相手を犬と思ってみる、置物と思ってみる、・・・

この発想、試みは、わたしもトライした。経験、実験済み。
がつんとした手応え結果は、なかった。

が、事態は同じ状態では止まらない。
周りの状況が変化していき、人のこころも変化していく。


わたしの場合は、子供のためにあきらめる、我慢する、ということはなかった。
自己チューなわたしと、お子ちゃまな夫。どっちも、どっち。未熟者同士。
対決相手は、相手(夫)ではなく、自分のこころだった。
自分が、どう納得するか。
結婚に何を求めているか、だった。

(夫は、犬または置物なので、犬または置物を操っている黒幕やら、いろんな力と戦った。
犬または置物は、わたしがいかに苦しみ、戦っていたか、まったく知らなかった。現在もなお。
そこらあたり、けっこうDeepで深刻である)

長い時間をかけて、どうにかこうにか自分をなだめてきた。
そして、たまたま、そこにいた、漫画を持ち込んだ長女を前に、わたしは勝利者宣言をした。

「わたしは、いつ離婚してもいい!!」
「わたしには、敵はいない!!」
「わたしは、自立している!!」

すると長女は、わはははと笑った。
「離婚したら、ランニング・インカム(毎月の定期的収入)がなくなるよ」と。
その言葉に、わたしは、現実の世界に引き戻された。

そうね。貯蓄を切り崩す生活よりは、ランニング・インカムがあるほうが、いいなあ、と。
何事もなかったのように、にっこり、柔和な微笑みを浮かべる、わたし。

人の話には、涙するものの、自分のことになると、わたしは、いたって現実重視、合理主義者である。
勝利宣言は、即、引っ込め、「そうね、離婚は、やめよう」と、方針をくるりと変えた。

この年齢になると、舌の乾かぬうちに、ころころと発言を変えても平気。
怖いものが無いことは、確かだ。

さてさて、三度目に「離婚してもいいですか?」を読むと、どんな涙になっているのだろう?
懲りずに、近いうちに、また読み返す予定だ。
だって、あの本は、面白い。
台詞と、へたうま表情が、よい芝居をしてくれる、絶品である。

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村