蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

薄ら寒いファミリー

2016-10-14 | 人々の風景
大阪中心部、至便な場所にある、ある高級ホテル。
ロビー、エレベーター前。

4〜5歳ぐらいの孫(男児)が、おじいちゃんを足でボコボコ蹴っていた。
靴のまま、おじいちゃん目掛けて蹴るが、おじいちゃんは背の高い人なので、当たるのは膝あたり?
おじいちゃんは、「(そんなことしたら)恥ずかし〜、恥ずかし〜」と何度も言っていたが、男児は蹴るのをやめなかった。
男児の顔を見ると真剣。
遊びでふざけているようには見えなかった。

おじいちゃんは、スリムでスラリとした体型に白っぽいコットン系パンツのラフな格好の、上品そうな紳士風。
孫の年齢から見ても、小泉純一郎さんとか、ああいう世代ではなく、一世代若い、今の世代のおじいちゃん。
が、風格、品格は、小泉さんランク。

靴でボコボコ蹴り続ける孫、蹴られ続けるおじいちゃん。
いったい、家族はどんな家族なのか?
娘さんらしき人は、無関与。
奥さんらしき人も、無関与。

わたしは、仮にどんなにキライな夫や親であったとしても、孫に蹴られているのを放置しない。
娘や婿もそうだろう。
人前であろうがなかろうが、おじいちゃんを本気で蹴り続け、家族が見て見ぬふりをするなど、考えられない。
わけのわからない分別のつかない孫であっても、4〜5歳にもなれば言って聞かせたら、わかるだろう。
野放し、躾なし。
そういう一家なのだろうか。

おじいちゃんだけが、「恥ずかし〜」と世間体を気にしているのみ。
しかしながら、世間体の問題ではないはずだが。

確かに、世間の一人である、アカの他人のわたしは、どういう一家なんだろう?と疑問を通り越して、嫌悪感を抱いた。

ひょっとすると、奥さんも娘さんも、おじいちゃんに恨みを抱いていて、男児の行動にスッキリ感を覚えているのかも知れない、と思った。

おじいちゃんの経済力で良い目をさせてもらっている、その裏で、全く感謝していない、冷たい家族だと、わたしの目には映った。
そうでないとすると、おじいちゃんは、けしからん行いをし続けてきた、感じ悪い、家族全員からの鼻つまみ、嫌われ者なのか?

男児は、異常児でもなさそうな、普通の顔をしていた。
知らない、教わらない、自分のしていることが良いことか、悪いことか、全くわかっていない。
大人が教えるべきだが、あの家族にはあの家族の価値観やルール、掟があるのだろう。
異常さはかけらも現れていない、見かけは、上品、場所は都心の高級ホテル、なだけに、ちょっと薄ら寒いものを感じた。

お年寄りを大切に、なんて、もう過去の幻なんだろうか。
家族内であんなふうだから、世間で他人ばかりの間では、想像するに易い。

しかし、家族は、社会のミニマム・コミュニティ。
今どきの家族って、ああいう感覚が核となって、肉付けされて大きくなっていくとすると、コワイ。
考えすぎであることを祈るばかりだ。