半世紀
2009-01-21 | 家
実家で、祖父の50回忌の法要があった。
明治~大正~昭和を生きた祖父。
それからまた時代は平成を迎えた。
祖父の死後、ひとくちの50年といっても、山あり谷あり、
喜怒哀楽に彩られ、家族は変化していった。
商才のある人、ない人、幸運な人、不幸な人、成功する人、失敗する人、、、、
家族を取り巻く周りの人々も、時代とともに浮き沈みの波があった。
明治時代の生き方。
時代背景も違うし、生活様式も違う。
祖父は、この家で、生活し、同じ場所で一生を終えた。
父もそこで生まれ、育ち、亡くなった。
家から数分の、同じお墓で、みんな眠っている。
私の知らなかった、祖父のエピソードをたくさん聞かせてもらった。
祖父の代は、この家に大勢の人々が出入りしていたようだ。
ご隠居後の祖父のところには、囲碁を打ちに、いろんな人が遊びに来た。
お寺の安寿さん(尼層)も話し相手に訪れ、
誰や彼や来て、ついには駐在さんまで遊びに来たそうだ。
犯罪など縁のない、平和な山間の里、
退屈しのぎにお巡りさんが遊びにくるなんて、のどかな時代だ。
私たちも次々とこの家で生まれ、育った。
私たち兄妹は、小さい時は、あまり母に育てられた強烈な記憶がない。
両親は多忙で、誰か彼か、身近にいた人々に子守りをしてもらったようだ。
法要の席では昔話に花が咲いた。
兄は、遊んでもらったり世話を焼いてもらった、懐かしい人々の話をした。
私は私で、また別の人の名前を挙げた。
女子大生のスラリとしたお姉さんも、
ある時期、家に滞在していて、ピアノのレッスンをサポートしてくれた。
地域の小学校に単身赴任しているハツラツ女性教師も、離れで下宿していた。
私は幼いながらに、聡明でとても美しい人だったと記憶している。
姉は、当時、同じ屋根の下で、我々の世話をしてくれていたTちゃんという人が、
よく作ってくれたドーナッツを食べたことが、いつまでも印象に残ると話す。
私は病気のときに、Tちゃんに食べさせてもらった葛湯を思い出した。
兄妹それぞれ、色んな人に、母親、父親代わりをしてもらっていた。
その中でも、祖母には本当によく面倒を見てもらった。
祖父を献身的に介護して見送った後も、祖母は、最たる縁の下の力持ちだった。
黙々と家のために働く、芯の強い明治の女性だった。
多くの人と接しているにもかかわらず、
今、私はどうしてこんなに非社交的なのか、自分でも分析できないが。。。
若い頃は、なんとも思わなかったこと、むしろ煩わしいと感じていたことが
それが今、この年になって、
不意にズシッとくることに出会ったり、心にじわっときたり、
心の目を通して見える景色が、少しずつ移ろっているのを感じる。
年を積み重ねるごとに、心のヒダが幾重にも増したからなのか。
祖父は、その後の家の動向を、どんな目で見続けているだろう。
静かに見守ってくれているのだろうか。
昔のことを知っている人々が、亡くなっていき、時代はどんどん進み、
過去は忘れ去られようとしている。
時代が変わるにつれ、価値観やライフスタイルは大きく変わる。
その中で、変わらないものもある。
お年寄りたちは、素晴らしい功績を残し、子孫に伝えている。
明治~大正~昭和を生きた祖父。
それからまた時代は平成を迎えた。
祖父の死後、ひとくちの50年といっても、山あり谷あり、
喜怒哀楽に彩られ、家族は変化していった。
商才のある人、ない人、幸運な人、不幸な人、成功する人、失敗する人、、、、
家族を取り巻く周りの人々も、時代とともに浮き沈みの波があった。
明治時代の生き方。
時代背景も違うし、生活様式も違う。
祖父は、この家で、生活し、同じ場所で一生を終えた。
父もそこで生まれ、育ち、亡くなった。
家から数分の、同じお墓で、みんな眠っている。
私の知らなかった、祖父のエピソードをたくさん聞かせてもらった。
祖父の代は、この家に大勢の人々が出入りしていたようだ。
ご隠居後の祖父のところには、囲碁を打ちに、いろんな人が遊びに来た。
お寺の安寿さん(尼層)も話し相手に訪れ、
誰や彼や来て、ついには駐在さんまで遊びに来たそうだ。
犯罪など縁のない、平和な山間の里、
退屈しのぎにお巡りさんが遊びにくるなんて、のどかな時代だ。
私たちも次々とこの家で生まれ、育った。
私たち兄妹は、小さい時は、あまり母に育てられた強烈な記憶がない。
両親は多忙で、誰か彼か、身近にいた人々に子守りをしてもらったようだ。
法要の席では昔話に花が咲いた。
兄は、遊んでもらったり世話を焼いてもらった、懐かしい人々の話をした。
私は私で、また別の人の名前を挙げた。
女子大生のスラリとしたお姉さんも、
ある時期、家に滞在していて、ピアノのレッスンをサポートしてくれた。
地域の小学校に単身赴任しているハツラツ女性教師も、離れで下宿していた。
私は幼いながらに、聡明でとても美しい人だったと記憶している。
姉は、当時、同じ屋根の下で、我々の世話をしてくれていたTちゃんという人が、
よく作ってくれたドーナッツを食べたことが、いつまでも印象に残ると話す。
私は病気のときに、Tちゃんに食べさせてもらった葛湯を思い出した。
兄妹それぞれ、色んな人に、母親、父親代わりをしてもらっていた。
その中でも、祖母には本当によく面倒を見てもらった。
祖父を献身的に介護して見送った後も、祖母は、最たる縁の下の力持ちだった。
黙々と家のために働く、芯の強い明治の女性だった。
多くの人と接しているにもかかわらず、
今、私はどうしてこんなに非社交的なのか、自分でも分析できないが。。。
若い頃は、なんとも思わなかったこと、むしろ煩わしいと感じていたことが
それが今、この年になって、
不意にズシッとくることに出会ったり、心にじわっときたり、
心の目を通して見える景色が、少しずつ移ろっているのを感じる。
年を積み重ねるごとに、心のヒダが幾重にも増したからなのか。
祖父は、その後の家の動向を、どんな目で見続けているだろう。
静かに見守ってくれているのだろうか。
昔のことを知っている人々が、亡くなっていき、時代はどんどん進み、
過去は忘れ去られようとしている。
時代が変わるにつれ、価値観やライフスタイルは大きく変わる。
その中で、変わらないものもある。
お年寄りたちは、素晴らしい功績を残し、子孫に伝えている。