核家族
息子がいきなり、突然、帰ってきた。
はるか遠方地に赴任している息子。
いつも彼は、何の前触れもなく帰ってくる。
連絡があるのは、当日、家に着く少し前の時間。
義母に、9月帰省のことはちょこっと触れていたようだった。
義母からは、それとなく聞いていたが、本当に、予告通り、9月に帰ってきた。
一番、喜んだのは、夫だろう。
庭に部分的に敷き詰めてある、テラコッタに付着した汚れが気になる息子。
以前には、デッキブラシでゴシゴシ掃除してくれた。
(その日のことは、蝶ブログでも綴った記憶がある)
デッキブラシでは取れないので、夫が最近、水圧洗浄機を購入した。
で、除去してくれる場面では、微笑ましい、親子・共同作業となった。
深く会話するわけでもないが、黙黙と作業する姿を見ると、こころが和む。
別に会話は要らないようだ。
元気な顔を見せてくれるだけでいい。
「しかしまあ、うちは、汚い」と息子。
不用品をぽいぽいとゴミ袋に放り込んだりしつつ、お風呂掃除に精を出す。
(あとで、ゴミ袋から何個か回収)
一人でスーパーに買い物に出かけ、食材を買い、夜は、お手製の海鮮ギョーザを作ってくれた。
長女一家も来て、手作りギョーザに娘婿も参戦。彼は、肉ギョーザ。
喜々と夫は、取って置きのシャンパンを開ける。
久しぶりに次女も家に居て、初日は、元メンバーだけでの全員集合、懐かしい顔ぶれで一家団欒。
今も、わたしの子供たちであることには違いないが、それぞれが自立し、元メンバーという思い。
孫が水疱瘡で保育所に登園できないため、自宅でしばらく病児保育を余儀なくされる疲れも、吹き飛ぶ。
これって、ひょっとして、幸せの縮図?なんて、思ったりした。
家族は、日ごろは離れ離れでもいい。
なにかの折に、皆が集まって、話題は、各自、好き放題、言っているだけで、応酬なんかなくてもいい。
会話の結論や、落としどころなんか、なくてもいい。
二日目には、家族の元のメンバーに、二人も新顔が加わり、
今まで自分の歩いてきた道に、オマケがついたような気がした。
しかも黄金の宝物のようなオマケ。
なんだか、ほんわり、しみじみ、不思議な、まったり感を味わった。
そのうち、また、数人増えていくことだろう。
そして、やがて、減っていくことだろう。
その、ゆるやかな繰り返し。
ゆるやかな時間の流れ。
巣立っていった家族メンバー達が、たま~に親元に集まるのも、悪くない。