その1はこちら。
本はたいてい職場に出入りしている書店で購入するのですが、
何を買おうか検討するときにはAmazonをチェックします。
ジェフリー・ディーヴァーの著作を調べていたときに目に留まったのが、
デイヴィッド・ベニオフの『卵をめぐる祖父の戦争』でした。
1942年、第二次世界大戦中のソ連、レニングラード。
900日間にわたってナチスドイツに包囲され、
市内は爆撃と飢餓のために悲惨きわまりない状況にありました。
そんなレニングラードを生きた祖父に、
映画の脚本家である男が話を聴くという形で物語は始まり、
以降は祖父レフの「わし」という一人称で語られます。
17歳のレフは、ある夜、ドイツ兵がパラシュートで舞い降りてくるのを目撃。
外出禁止令を破って仲間とともに駆けつけると、すでにドイツ兵は凍死している模様。
所持品を物色しているところを自国の秘密警察に見つかってしまう。
見つかれば略奪の罪で公開処刑される。
必死で逃げようとするが、仲間のうちの女性が転んでしまう。
彼女を助けに行けば、秘密警察に捕まってしまうだろう。
どうせ人の彼女だ、放って逃げよう。しかし、そうはできず、
彼女を助けに戻った結果、案の定、自分だけが捕まってしまう。
牢獄に放り込まれ、翌朝の死を待つことに。
そこへもうひとり、やけに美しい男コーリャが放り込まれてくる。
彼は脱走兵らしく、やはりいましがた捕らえられたとのこと。
まったく動揺している様子がないが、処刑されることはわかっているらしい。
翌朝、なぜかふたりは秘密警察の大佐の自宅へと連れていかれる。
大佐によれば、彼の愛娘がその週の金曜日に結婚する。
結婚式にケーキがないのはひどく不吉なことなのだと妻が言う。
ケーキに必要な材料のほとんどは調達できたが、卵だけがどうしても、ない。
泥棒と脱走兵、きみたちならなんとかできるだろう。
木曜日の夜明けまでに卵1ダースを用意できたら、待遇を万全にして放免してやると。
こうしてレフとコーリャは卵を求めて、
1942年1月、極寒のソ連をさまよい歩くことになるのだが……。
著者のデイヴィッド・ベニオフは、物語中の祖父の姓をベニオフとし、
まるで祖父の話を聴く男を自分自身のように私たちに思わせますが、
本当はニューヨーク出身、まったくのフィクションだそうな。
1963年生まれの京極夏彦が描く昭和初期の光景に驚いたものですが、
デイヴィッド・ベニオフも1970年生まれ、
なぜに当時のレニングラードをこんなに描写できるのかと思うほど、
その惨状たるや目を覆いたくなるばかり。
しかし、こんな状況下で卵を探しに歩きまわるという、
言うちゃ悪いが「あほか」と言いたくなる設定と、
ずいぶん後になってから明らかにされるコーリャの脱走理由など、
フィクションならではのユーモアで惹きつけられます。
ちょっとしつこいぐらい出てくる下ネタ、特にう○こネタも、まともに食べていないゆえのこと、
ネタにでもしなきゃ卵探しなんてやってられんだろうと思えます。
お酒を飲んでから読むと、眠くなってしまう章もありましたが、
最後のシーンでは涙目、読み終えてみればとても心に残る物語。
ちなみにこんな奇抜な設定を生み出したデイヴィッド・ベニオフは、
あるときから映画の脚色を手がけるようになり、
期せずして先日挙げたばかりの『君のためなら千回でも』(2007)も彼の手によるもの。
奥様は『“アイデンティティー”』(2003)が印象に残っているアマンダ・ピートですと。
「あの笑みはわしへの贈り物だったんだ」。
じわじわ余韻が上がってきます。
本はたいてい職場に出入りしている書店で購入するのですが、
何を買おうか検討するときにはAmazonをチェックします。
ジェフリー・ディーヴァーの著作を調べていたときに目に留まったのが、
デイヴィッド・ベニオフの『卵をめぐる祖父の戦争』でした。
1942年、第二次世界大戦中のソ連、レニングラード。
900日間にわたってナチスドイツに包囲され、
市内は爆撃と飢餓のために悲惨きわまりない状況にありました。
そんなレニングラードを生きた祖父に、
映画の脚本家である男が話を聴くという形で物語は始まり、
以降は祖父レフの「わし」という一人称で語られます。
17歳のレフは、ある夜、ドイツ兵がパラシュートで舞い降りてくるのを目撃。
外出禁止令を破って仲間とともに駆けつけると、すでにドイツ兵は凍死している模様。
所持品を物色しているところを自国の秘密警察に見つかってしまう。
見つかれば略奪の罪で公開処刑される。
必死で逃げようとするが、仲間のうちの女性が転んでしまう。
彼女を助けに行けば、秘密警察に捕まってしまうだろう。
どうせ人の彼女だ、放って逃げよう。しかし、そうはできず、
彼女を助けに戻った結果、案の定、自分だけが捕まってしまう。
牢獄に放り込まれ、翌朝の死を待つことに。
そこへもうひとり、やけに美しい男コーリャが放り込まれてくる。
彼は脱走兵らしく、やはりいましがた捕らえられたとのこと。
まったく動揺している様子がないが、処刑されることはわかっているらしい。
翌朝、なぜかふたりは秘密警察の大佐の自宅へと連れていかれる。
大佐によれば、彼の愛娘がその週の金曜日に結婚する。
結婚式にケーキがないのはひどく不吉なことなのだと妻が言う。
ケーキに必要な材料のほとんどは調達できたが、卵だけがどうしても、ない。
泥棒と脱走兵、きみたちならなんとかできるだろう。
木曜日の夜明けまでに卵1ダースを用意できたら、待遇を万全にして放免してやると。
こうしてレフとコーリャは卵を求めて、
1942年1月、極寒のソ連をさまよい歩くことになるのだが……。
著者のデイヴィッド・ベニオフは、物語中の祖父の姓をベニオフとし、
まるで祖父の話を聴く男を自分自身のように私たちに思わせますが、
本当はニューヨーク出身、まったくのフィクションだそうな。
1963年生まれの京極夏彦が描く昭和初期の光景に驚いたものですが、
デイヴィッド・ベニオフも1970年生まれ、
なぜに当時のレニングラードをこんなに描写できるのかと思うほど、
その惨状たるや目を覆いたくなるばかり。
しかし、こんな状況下で卵を探しに歩きまわるという、
言うちゃ悪いが「あほか」と言いたくなる設定と、
ずいぶん後になってから明らかにされるコーリャの脱走理由など、
フィクションならではのユーモアで惹きつけられます。
ちょっとしつこいぐらい出てくる下ネタ、特にう○こネタも、まともに食べていないゆえのこと、
ネタにでもしなきゃ卵探しなんてやってられんだろうと思えます。
お酒を飲んでから読むと、眠くなってしまう章もありましたが、
最後のシーンでは涙目、読み終えてみればとても心に残る物語。
ちなみにこんな奇抜な設定を生み出したデイヴィッド・ベニオフは、
あるときから映画の脚色を手がけるようになり、
期せずして先日挙げたばかりの『君のためなら千回でも』(2007)も彼の手によるもの。
奥様は『“アイデンティティー”』(2003)が印象に残っているアマンダ・ピートですと。
「あの笑みはわしへの贈り物だったんだ」。
じわじわ余韻が上がってきます。