雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第三十六回

2011-08-11 08:00:12 | テスバウ共和国 入国体験記 
     終 章

次の朝、食事を終えてから三姉妹はテスバウ共和国を後にした。
二日間の休みはテスバウ共和国国内を見学するつもりでいたが、急遽離れることに決めた。昨夜のうちに六甲山にあるホテルを予約し、一晩泊まることにしていた。

桜にはまだ早い季節であるが、晴れた空の遠くは少しかすんでいて春の訪れを感じさせていた。
車のハンドルを握るのは来る時と同じように次女の君枝で、助手席にはこれも指定席のように一番下の雅代が座っている。後方座席は長女の和美と荷物置き場になっている。

「『かけがえのないもの』ですってよ・・・」
雅代が大きく振り向いて、昨日から何回目になるか分からない言葉で和代に話しかけた。
「そうねぇ・・・」
和美は、別に咎めることもなく頷いて、言葉を続けた。
「皆さん、それぞれにしっかりした考えを持っているみたいね」

「まあ、講習を受けにくる人は、一応入国することを前提にしているでしょうから、それなりの考えは持ってきているのでしょうね。でも、今回受講している人のうち、どのくらいの人がこの国の正式市民になるのでしょうね」
「どうでしょうね。私たちの班の中にも、すでに誰かが入国していたり、誰かに強く誘われたりで最初から入国するつもりの人が何人かいたわね。結構、大勢の人が入国するのかもしれないわね」

「そうかなあ。自己紹介の時、どちらとも決めかねているような人も何人かいたよね。その人たちの考えは、どう変わったのでしょうね。
そうそう、一番煮え切れない人がここにいるわ。君枝くん、あなたはどうなの?」
「よく言うわね。わたしの考えは常にはっきりしているわよ、考えがふらふらするのは、いつも雅代でしょ」
突然振られても君枝は慣れたもので、即座に答えた。

「そんなことはないわ。わたしが考えを変えることがあるのは、思慮深いがゆえよ。今回のこともわたしの考えははっきりしています。わたしはお姉さまの考え通りにすることに決めているの。君枝くん、君のことじゃないわよ。本当のお姉さまのことよ」
「なによ、それ。わたしは、本当の姉じゃないとでもいうの」

「またまた、よく分かっているくせに・・・。
それより、肝心のお姉さまはどうなの。今までの講義からの感想は?」
「そうねえ・・・。正直、よく分からないのよ。組織はしっかりしているみたいだし、住むことになるお部屋はまだ見ていないけど、環境は悪くないみたいね。生活などの費用も、まあ困ることはなさそうだし・・・。でも、だからと言って、ぜひここに住みたいって強い気持ちもまだわいてこないのよね。それに、あなた方を引っ張り込むんじゃないかという気持ちもあるしね」

「そのことは言わないって約束でしょ。えっ? 約束なんてしてなかったって? じゃあ、今約束しました。ねえ、君枝」
「君枝お姉さまじゃないの? まったく・・・。約束って、何の約束?」

「何を聞いてるのよ、運転ばかりして、私の話を聞いてないんじゃないの?」
「何を好き勝手なことを言ってるのよ。わたしが運転しているのが気に入らなければ、いつでも替わるわよ。雅代さまのA級ライセンスというのが本当かどうか拝見したいものね」

「まあまあ、ご機嫌を損じたのなら許して下さい、君枝お姉さま。約束ってね、お姉さまがあのテスバウ共和国の市民権を取るかどうかは、わたしたちのことなど考えないで、思うように決めてほしいってことよ。文句などないでしょう」
「そんなことは今更約束などしなくても、文句などないわよ。お姉さまにとって良いかどうかだけで考えるべきよ、当然でしょ、そんなこと」

「よろしい、よろしい。君枝くんは、さすがに物分かりがよろしい。それで、まあ、ついでに聞いておきますが、君枝くんのテスバウ共和国に対する印象はどうなの?」
「君枝お姉さまだったり、君枝くんだったり、ちょっと馬鹿にしすぎよ・・・。でもね、わたしはね、講座を受ける前よりは興味があるわね。長い間、利益が有るか無いかなどと、損得だけで生きて来たけれど、互助会組織というものがどのようなものか今一つはっきりしていない点はあるけど、あの国のリーダーや世話役の話を聞く限り、『ああいう生き方もあるんだな』と感じ始めてるのよ」

「あらら、君枝くんは積極派に変わりましたね。ということは、やはりお姉さんの決断次第ってところね」

車は高速道路に入っていた。
途中のドライブインで昼食をとり、そのあとは六甲山のホテルに直行する予定になっていた。
急に六甲山のホテルに行こうということになった一番の原因は、昨日の佐藤宇太郎の話にあった。自分たちとほぼ同世代で、しかも見るからに無骨な感じのする彼が、『かけがえのないもの』に出会ったという話は、冷静に考えれば少し気恥ずかしいものと言えるが、三人共に少なからぬ感動を感じていた。
そして、誰からともなく、自分たちに佐藤宇太郎のような入国に対する強烈な動機があるだろうかという話になったのである。

六甲山は、三姉妹がまだ子供の頃、両親に連れられて何度も行った所だった。
入国体験講座はまだ始まったばかりで、来週には互助会組織の説明や体験が予想されており、後半には、実際の生活や仕事などを体験することになっている。それらの体験によって考えが変わるかもしれないけれど、本当は、自分たちにこの国の市民として生きたいという強い気持ちがあるのかどうかを確認することの方が重要だということになったのである。
そのあたりをもう一度相談しようと、想い出深い六甲山行きとなったのである。

「さあ、次のドライブインでお昼よ。君枝くんも素直になったし、あとはお姉さまの考え次第でわたしたちはついて行くわ。テスバウ共和国は少し横に置いておいて、一泊二日の旅行を楽しみましょう」
雅代は、右手を挙げて、君枝にドライブインへの進入道路を指し示した。

                                  ( 終 )



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