雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

節度ある楽しみ方を

2022-10-30 19:11:28 | 日々これ好日

      『 節度ある楽しみ方を 』

    今日は ハロウィーン
    わが国特有の行事に育った この文化
    楽しみ方に 『節度』などとヤボなことは
    言いたくないが
    楽しい行事であればあるほど それなりのルールはあると思う
    どうぞ 節度ある楽しみ方を お願いします

                    ☆☆☆ 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

流れてはやき

2022-10-30 08:09:58 | 古今和歌集の歌人たち

     『 流れてはやき 』


 昨日といひ 今日と暮らして あすか河
           流れてはやき 月日なりけり

            作者  春道列樹

( 巻第六 冬歌  NO.341 )
    きのふといひ けふとくらして あすかがは
               ながれてはやき つきひなりけり


* 歌意は、「 昨日はどうであったか 今日はこう過ごした 明日はどうするか と暮らしているが 飛鳥川の流れと同じように 何と流れの速い 月日なのだ 」といった、比較的分かりやすい歌といえます。
この歌の前書き(詞書)に、「年のはてによめる」とありますので、年の瀬にあたっての感慨を詠んだものでしょう。

* 作者の春道列樹(ハルミチノツラキ)は、平安時代前期の官人です。
生年は未詳です。910 年に文章生(モンジョウショウ・大学寮で紀伝道を学んだ学生。)となり、その後、太宰大典(正七位上相当官)を経て、920 年に従六位下壱岐守に任じられましたが、赴任前に亡くなりました。
行年を推定する一つ方法として、文章生になった年令がある程度推定できそうです。文章生になるのはかなりの難関だったようで、あの学問の神様といわれるようになる菅原道真が十八歳で合格した時、周囲の人が驚いたそうで、普通は早くて二十歳位だったようです。
これを参考にしますと、春道列樹が亡くなったのは、三十歳か、少し過ぎた頃だったのではないでしょうか。

* 春道氏というのは、歴史を学んでいてあまりお目にかからない一族です。
もともとは、古代物部氏から分かれた川上氏が先祖にあたります。
列樹の祖父にあたる永蔵の時に、一族と共に川上氏から春道氏に改名したようです。永蔵は従五位下を叙爵していますので、いわゆる貴族の末席に連なっていたことになります。
列樹の父の新名は、最終官位が外従五位下能登守ですので、貴族の地位に及ばず、作者の列樹も従六位下で没していますので、貴族に列することが出来なかったことになります。
この貴族というのは、従五位下以上を指したようですから、正六位上との差は大きかったようです。

* 列樹の歌人としての評価はどの程度のものだったのでしょか。
勅撰和歌集に採録されているのは、古今和歌集に3首、後撰和歌集に2首の5首ですから、まずまず歌人として認められていたのではないでしょうか。
特に、古今和歌集の303番の、『 山川に 風のかけたる 柵(シガラミ)は 流れもあへぬ 紅葉なりけり 』は小倉百人一首に採録されていることから、私たちにもその歌風の一端を伝えてくれています。

* 列樹が生きた時代は、すでに藤原氏の台頭が著しくなってきている時でもあり、官人としては列樹にとって厳しい時代であったかも知れません。父も貴族に列することが出来ず、列樹自身も、太宰大典、壱岐守といった職歴をみますと、都を離れることも長かったのではないかと推定されます。
せめて、今少し長命であったならば、歌人として、もっと活躍の機会があったのではないかと惜しまれるのです。

     ☆   ☆   ☆

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする