雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

交通への影響は必至

2023-08-13 18:29:13 | 日々これ好日

     『 交通への影響は必至 』

    台風7号は ほんの少し進路を変えながらも
    紀州半島辺りに 上陸することは避けられないようだ
    数日前より 進路予想は 少し西によっていて
    今日あたりの予報は まるで 我が家が標的みたいだ
    すでに 気象庁からも 強く注意喚起がなされているが
    交通網は 陸海空を問わず 広い範囲で寸断されそうだ
    予定を変更されている方も多いと 報じられているが
    くれぐれも ご無理なさらないように!!

                     ☆☆☆

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小さな小さな物語 第二十八部 

2023-08-13 15:47:29 | 小さな小さな物語 第二十八部

  
    小さな小さな物語  第二十八部

 

  NO.1621 から NO.1680 まで掲載しています

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小さな小さな物語  目次

2023-08-13 15:44:09 | 小さな小さな物語 第二十八部

        小さな小さな物語  目次 


     NO.1621  夢のかけら
        1622  練習は嘘を吐かないか
        1623  災害は甘受するしかないのか
        1624  何処から来て何処へ行くのか
        1625  わらしべ長者に学ぶ

        1626  上には上がある
        1627  故国への旅立ち
        1628  試合時間が長すぎる
        1629  春の訪れ
        1630  今日は何の記念日?

        1631  投げられた賽は戻らないが
        1632  大きな夢を期待しながら
        1633  WBCを満喫
        1634  言葉の力
        1635  勝利へ最も確実な道

        1636  新しい物語の誕生
        1637  夢のようなドラマ
        1638  ライオンほどではないけれど
        1639  大きすぎる予備費
        1640  高齢者には誰でもなれるが 

( 2023.04.06 )


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夢のかけら ・ 小さな小さな物語 ( 1621 )

2023-08-13 15:42:52 | 小さな小さな物語 第二十八部

ここ数日、よく夢を見ます。何年も前に経験したようなことや、故人も含めた旧知の人が顔を見せてくれますが、全く経験していないことや、何が何だか分からない事象も登場してきます。いったい何なのでしょうねぇ。
もともと私は、あまり夢を見ない方ですので、体調の変化でもあるのか少しばかり気になります。もっとも、夢を見ないというのは、目覚めた時に覚えていないだけで、毎日何回も夢を見ているものだそうです。
近代科学によりますと、夢はレム睡眠中に見るそうですが、睡眠にレム睡眠とノンレム睡眠があると解明されたのが、1953 年のことだそうですから、とても難しい科学的発見だったのかもしれません。それに、レム睡眠(急速眼球運動睡眠。うまく説明できません。)があるのは、哺乳類と鳥類だけだそうですから、蛸壺の中のタコも、大型恐竜も、夢を見ないのかもしれません。

古来、「人はなぜ夢を見るのか」というのは、大きな謎でした。
単に「五臓六腑の煩いだ」と笑い飛ばす意見もありましたが、「魂が抜け出して実体験したものだ」という考え方も根強いものでした。
見た夢の吉兆を占い、その結果に少なからぬ影響を受ける人もいたようですし、その夢を、売ったり買ったりしたというお話も伝えられています。
さらには、神や悪霊などからのお告げだとしたり、それ以上の超自然的な存在からの啓示と考え、自らの生涯を拘束したり、時には政治的な思惑に利用したり、善から悪まで、夢の守備範囲は極めて広かったようです。
医学や心理学などの面から科学の粋を集めた研究が為されているのでしょうが、まだまだ夢占いは健在ですし、私なども「何かのお告げ」ではないかと、少し心が動かされるのは、「今昔物語」の影響かもしれません。

私たちの日常生活においては、寝ていて見る夢とは別に、将来の希望のようなものを「夢」と表現します。
私たちは、人生のあらゆる機会に夢を抱きます。思い描く夢は大小さまざまでしょうが、一般的に、夢の大小は、年令の大小に反比例するような気がします。
まだ幼い子供が描く夢は、実現の可能性など全く考慮していない「夢」ですが、成人した頃にもなりますと、実現困難と思われるものを含めても、「大志」と言ってもいいような「夢」のような気がします。壮年の頃から描く夢の多くは、「計画」と言ってもいいような「夢」になっていくように思うのです。
私たちの多くは、年令と共に夢は小さくなり、それでも、その夢さえも砕け散ることがほとんどのようです。

果たして私たちは、幾つの夢を、思い描いてきたのでしょうか。そして、実現した夢は幾つあるのでしょうか。
大きな夢を手にされた方も決して少なくないのでしょうが、たくさんの夢を砕き散らせてきた方はさらに多いのではないでしょうか。私などもその一人です。
私たちは、年令と共に夢を描くことが少なくなり、その描く夢も小さくなり、時には、描くべき対象を見失うことも少なくありません。
そうした時に、かつて思い描き、見事に砕け散らせてしまった夢のかけらを、そっと、拾ってみるのはどうでしょうか。
砕け散った夢のかけらには、輝きや重みは見る影もないかもしれませんが、もしかすると、ほっとするような温もりが残っているかもしれません。
今になって思えば、無謀に過ぎた夢であったとしても、その「夢のかけら」は、私たちの心に温もりを与えてくれるような気がするのです。
 
( 2023.02.05 )

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練習は嘘を吐かないか ・ 小さな小さな物語 ( 1622 )

2023-08-13 15:41:29 | 小さな小さな物語 第二十八部

「練習は嘘を吐かない」という言葉を、時々耳にすることがあります。
スポーツで好成績を得た選手へのインタビューなどでお目にかかることが多いのですが、良い言葉だな、と思いながらも、同時に、勝者だから言える言葉ではないのかな、と感じる部分もあります。
根性がねじ曲がっているか、勝者の経験が無いためのひがみだと言われてしまいますと、反論しづらいのですが、残念ながら敗者となった選手の多くも、相当の練習を積み重ねてきているはずだと思うのです。
もちろん、練習が勝者となることを約束していたわけでもありませんし、練習に見合っただけの実力向上を果たしている、という考えも成り立つわけですが。

ここ数年掛けて、「今昔物語」を読み続けています。拙い訳文を当ブログで紹介させていただいておりますが、何分膨大な作品ですので、未だ完了の目処も立っていません。
ただ、今昔物語の説話は1200話以上あり、長文の物もありますので、掲載回数としては1500回前後になるのではないかと思っています。それでも、1回分読みますと、1回分確実に減るわけですから、もしかすると、「練習は嘘を吐かない」と言うことを体験しているのかもしれません。
おそらく、スポーツに限らず、大概のものは、練習なり努力なりを続ければ、幾ばくかの成果は積み上がっているのかもしれません。同時に、何らかの理由で成果を下押す力も存在していて、気がつけば、そちらの力の方が上回っていたと言うこともあるのかもしれません。

今昔物語の説話は、いわゆる仏教説話とされる物が中心で、手放しで仏教を礼賛する物が多いのですが、そうした説話を含めて、内容は多岐に渡っています。現代では差別用語や差別的な考えといった物も少なくなく、時には、年令制限が必要ではないかと思われるほど際どい描写も登場してきます。
それはともかく、今昔物語の説話の中心を為している思想は、「因果応報」といったものではないでしょうか。この言葉を説明させていただくのは、辞書にも載っていますからごく簡単なのですが、その真髄を紹介させていただくとなりますと、とても私の手には負えません。
ただ、少々乱暴かもしれませんが、「練習は嘘を吐かない」という考え方は、「因果応報」の一端を表現しているような気もするのです。

私たちが、練習したり、努力したりした結果を考える時、野球で喩えますと、「打点、あるいはホームラン」と「打率」の二面があるように思うのです。
「打点やホームラン」は、一度獲得した成果は積み上がっていきますが、「打率」の場合は常に上下します。
さて、私たちの人生において、この二つの成果の判定の仕方を、どう考えればよいのでしょうか。
きっと、どちらもが大切で、どちらをも大切にすべきなのでしょうが、かつての最高点を引きずり続ける生き方は、一考の必要があるような気がするのです。

( 2023.02.08 )

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災害は甘受するしかないのか ・ 小さな小さな物語 ( 1623 )

2023-08-13 15:40:07 | 小さな小さな物語 第二十八部

トルコを震源地とした大地震は、すでに亡くなった方が2万1千人を超えていて、なお生存が確認できていない人が多数あると報じられています。
トルコと国境を接しているシリアの、震源地に近い地域の被害も甚大で、この地域は政府側と反政府側が戦闘状態にあるため、救助活動や伝えられる情報も混乱を来しているようです。
報道される映像は、わが国においても何度も経験してきたこととはいえ、切なく、やりきれなくなってしまいます。

今回の震源地辺りは、トルコもシリアも、両国の政治の中心地から遠く離れていることもあって、これまでの防災対策に遅れのある地域だとも報じられています。
伝えられている映像からも、数階建てのビルが、まるで砂上の楼閣が崩壊するかのように木っ端微塵になる姿は、人々が生活している場の物とは思えないほどで、息が詰まる思いがしました。
すでに、建物の強度の問題などを論じている報道にも出会いましたが、例えば阪神大震災の後の、神戸を中心とした被災地帯の状況は、瓦礫の山であったり、木造が多いためもあって火災が発生したりと、惨憺たるものでした。しかし、そこは、人々が安住の地として生活していたのですから、今回被災した地域も同様だと思うのです。
それほど危険な地域なのであれば、政府なり国際機関なりが手を差し伸べてくれるとよいのにと思いますが、現実はそうは行きません。世界中には、今回の震源地辺りより遙かに危険であったり、生活環境の悪い所に住んでいる人は、遙かに大勢いるのですから。

私たちは、自然のもたらす災害から、少しでも身を守る努力は続けていくことは大切なことです。しかし、残念ながら、現在程度の科学力では、その成果は微々たるものです。
結局は、この星に住まわせていただいている以上、何とかご機嫌を損なわせないように心がけ、それでも怒りに触れてしまった時には、ただ、涙するしかないのでしょうか。
襲ってくる自然災害は、甘んじて受け止めるしか手段がないのでしょうか。

今回も、被災地に向かって、多くの国や地域や機関から、支援の手が差し伸べられています。起きてしまった悲劇を回復させるのに、どれだけの効果があるのだろうか、などとひにくれた考えも浮かんできますが、人間が持っている数少ない温かな性(サガ)の現れなのでしょう。絶望のどん底にある人に、たとえ微力であっても手を差し伸べたい・・・、私たちには、まだまだ捨てがたい気質も存在しているのです。
ただ、今回、被災地に向けた支援隊を送っている多くの団体の中には、ロシア国もウクライナ国も入っています。
何の不思議もない行動なのかもしれませんが、やりきれないような気持ちも抑えることが出来ないのです。

( 2023.02.11 )

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何処から来て何処へ行くのか ・ 小さな小さな物語 ( 1624 )

2023-08-13 15:39:03 | 小さな小さな物語 第二十八部

『 ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(タメシ)なし。
世の中にある、人と栖(スミカ)と、またかくの如し。』
ふと、「方丈記」を読んでみたいと思いました。
この冒頭部分は、大変よく知られた一文です。「方丈記」の作者である鴨長明が生きた時代から八百年が過ぎていますが、この作品が多くの人に知られている一因は、このすばらしい一文から始まっているからだと思えるのです。

ある時期、少々熱心に「方丈記」を勉強した時期があります。
「方丈記」は、「枕草子」・「徒然草」とともに、古典の三大随筆とされていますように、その文学的な価値は高く、また、作品の内容には、当時の歴史的事実を知る上で貴重な内容も含まれていることも、この作品の評価を高めているようです。
ただ、個人的には、この作品の内容自体にそれほどの感銘を受けていません。あと一歩奥にあるものを理解できていないということかもしれませんが。
私個人としては、「方丈記」という作品よりも、鴨長明の生き様といった一面の方に魅力を感じました。
鴨長明の作品には、宗教者としての心境などが色濃く示されていますが、同時に、俗世間で立身に強く縛られているような一面もあり、それを、本人も認めているような部分も伝わってきます。聖と俗とが渾然としているところに、人間・鴨長明の魅力があるように思うのです。

1204 年、長明五十歳の年に、かねてから望んでいた賀茂御祖(カモノミオヤ)神社の摂社である河合社(タダスノヤシロ)の禰宜に欠員が生じ、後鳥羽院の支援も受けて就任を目指しましたが、果たすことが出来ず、絶望します。
そして、やがて出家、日野の地に一丈四方の庵を造って隠棲、「方丈記」のほか、「無名抄」「発心集」などを記しています。
そして、「方丈記」にはこのような文章もあります。
『 知らず、生れ死ぬる人、何方(イズカタ)より来たりて、何方へか去る。また、知らず。仮の宿り、誰(タ)が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
その主と栖と、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異(コトナ)らず。
或(アルイ)は露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕(ユウベ)を待つ事なし。』

すでに一年を過ぎたロシアによるウクライナ侵略は、停戦どころか戦線拡大の可能性が高まっているような気がします。
さらに、トルコを震源とした大地震は、亡くなった人の数は東日本大震災を超えています。
伝えられる映像を見るたびに、人災にも、自然災害にも、私たちの無力さが感じられてなりません。
「方丈記」の中には、京都の三分の一が焼失したという記事が記されています。私たちが絶望的な様相を目にするのは、昨日や今日に限ったことではないことを教えてくれています。しかし、虚しいような気持ちを鎮めてはくれません。
『 おほかた、世をのがれ、身を捨てしより、恨みもなく、恐れもなし。
命は天運にまかせて、惜(オシ)まず、いとはず。身は浮雲(フウン)になずらへて、頼まず、まだしとせず。
一期(イチゴ)の楽しみは、うたたねの、枕の上にきはまり、生涯の望みは、をりをりの美景に残れり。』
このような心境に至らぬ限り、人の心は鎮まらないものなのでしょうか。

( 2023.02.14 )

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わらしべ長者に学ぶ ・ 小さな小さな物語 ( 1625 )

2023-08-13 15:37:45 | 小さな小さな物語 第二十八部

『 昔、ある貧しい人がいた。真面目に働いても働いても暮らしは良くならないので、何とか貧乏から逃れられるように、観音様にお願いした。すると、『このあと、最初に触れた物を大事に持って旅に出なさい』とのお告げがあった。
男は、観音堂から出るとすぐに石につまずいて倒れた。そのとき、偶然、一本のわらしべ(藁くず)が手に触れたので、それを持って歩き出した。
すると、顔の周りに一匹のアブ(虻)がまつわりついてきてうるさいので、それを捕まえて、わらしべに括って飛ばしながら歩いて行くと、男の子がそれを欲しがった・・・ 』
これは、『わらしべ長者』という民話の冒頭部分です。
このお話は、「今昔物語」や「宇治拾遺物語」などにも載せられていますが、少しずつ形は違いますが、各地に幾つも伝承されているほか、海外にも見られる物語のようです。

冒頭のお話しは、この後、わらしべに括ったアブを、男の子の母親が持っていた蜜柑と交換する。
次に、その蜜柑を、喉の渇きで苦しんでいる商人にあげると、反物をお礼にくれた。
次に、立派な馬が死にかけているところに出くわして、その反物と交換した。
次に、その馬に水を飲ませると元気になり、それに乗っていくと、旅に出ようとしている人に出会い、その馬と田地と交換し、そこで豊かな生活を得る。
といった具合に展開します。
伝えられている物語によって内容は相当違いますが、いずれも「めでたし、めでたし」で完結します。
今昔物語では、観音の霊験とされていますが、物々交換をしながら資産を増やしていく痛快さが、長く語り続けられている要因の一つでしょう。
ただ、私がこのお話に興味を惹かれるのは、物々交換の場面です。どれもこれも、かなり強引な展開ですが、物と物と交換する(物に限りませんが)には、原則として、双方の納得が必要だと思うのです。つまり、このお話で言いますと、「わらしべとアブ = 蜜柑」であり、「蜜柑 = 反物」と言うことになります。対の物は、同じ価値だと考えたのでしょう。

2月16日付毎日新聞朝刊に、『 価値観の違い乗り越え 』という大きな記事がありました。(以下、無断借用させていただきますが、ご勘弁下さい。)
『 「H3ロケット明日発射」 2001年から運用するH2Aロケットの後継機となるH3ロケット初号機が、17日に発射される。 ( 中略 )
通常のロケットであれば、お金がかかる開発は国(官)が担い、事業が軌道に乗った段階で民間に移管する。しかしH3では、一刻も早い商業化を目指すため、移管先の三菱重工業に開発段階から主体的に参加してもらい、JAXAと三菱重工が共同開発するという、これまで経験のない方法にした。
発注者である「官」のJAXAと、受注者である「民」の三菱重工。「全然違う組織で、価値観が違う相手」(JAXAの岡田匡史プロジェクトマネジャー さん)という二つのプロジェクトチームを、どう取りまとめていくか、それが最大のミッションだったのだ。 ( 以下 割愛 ) 』

H3ロケットの発射は、順調であれば、今日の10時過ぎに行われる予定です。
それにしても、「官民協力」などと耳にすることがありますが、実は、「価値観が違う」というほど大変なことだと教えられます。
同時に、世界各地で見られる戦争や紛争の多くも、価値観の相違に原因している例が多いと考えられます。もっと身近な、私たちの日常で発生するもめ事の多くも、価値観の相違、考え方の相違、といった要因が多くを占めているようです。
このように、確かに価値観の相違というものは、人間関係を分裂に導くようですが、毎日新聞の記事に見るように、JAXAと三菱重工の努力は参考になるでしょうし、わらしべ長者のお話は、人間の価値観というものは、その環境やタイミングにより、案外範囲が広いのかもしれないことを教えてくれるように思うのです。
確かに、私たち一人一人の価値観は異なっているのでしょうが、一本のわらしべが蜜柑や反物に変わっていく過程では、何の争いもなく、むしろ感謝の気持ちさえ生み出していることを、私たちは考えてみる必要があるようにも思うのです。

( 2023.02.17 )

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上には上がある ・ 小さな小さな物語 ( 1626 )

2023-08-13 15:36:36 | 小さな小さな物語 第二十八部

WBC日本代表チームの宮崎キャンプが、大きな注目を浴びているようです。
野球の世界一を決めね、国・地域別対抗戦であるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は、今回が第5回目の大会です。
今回は、20の国・地域が参加していますが、サッカーに比べますと、参加する国・地域の数は圧倒的な差があります。オリンピックで野球が除外されるというのは、無理もないかもしれません。同時に、数多くあるスポーツの中で、高額収入を得ているスポーツ選手ということになりますと、サッカー、バスケット、テニスなどに比べても、野球選手、アメリカンフットボール選手が、引けを取らないことを考えますと、アメリカという国の底力のようなものを感じてしまいます。

今回の大会は、米大リーグのトップクラスの選手が多数参加することで、これまでとは一味も二味も違うものになりそうです。この大会がスタートした頃には、米大リーグには、他国の選手と同じ土俵に立つことが無意味だと考えていた節があったと思われます。
今回は、米大リーグでメジャー出場の前提となる40人枠に入る選手が、全部で186人が各チームに分かれて参加するそうです。大谷選手が属しているエンゼルスのマイク・トラウト選手は、米国チームの主将として参加しますが、プエルトリコやベネズエラやドミニカ共和国などは、米大リーグに所属していても、代表チームに簡単には選ばれないそうです。
わが国の代表チームでも、カージナルスのラーズ・ヌートバー選手が選ばれたことに驚きましたが、彼のお母さんが日本人なのでわがチームへの参加はOKなのです。
WBCの規定では、両親のどちらかがその国の国籍を有していたり、その国で出生している場合は、その国の代表メンバーになれることになっているのです。

わが国の代表チームは、米大リーグの一部選手を除き、宮崎で合宿が行われていますが、そのメンバーをみますと、さすがに、栗山監督が練りに練って選出したと言われるだけに、すばらしい選手が集まったものです。これだけの選手を預かって、どう使うかという難しさもありますが、故障させないようにとの配慮も大変だと思います。
そうしたスター選手が集まったキャンプの中で、ダルビッシュ選手の存在感が抜きん出ているように思われます。「上には上がある」のだと、つくづく教えられる感じです。

かつて、国会で「一番でなければいけないのですか?」といった迷言を仰せになったお方がいらっしゃいました。科学の世界など全くご存じないお方だとすれば、その質問を責めるつもりはありませんが、「紙一重」という差が、科学であれ、スポーツであれ、存在そのものを左右することさえ珍しい事ではありません。
「上には上がある」という言葉は、私なども簡単に使ってしまいますが、実は、とてつもなくレベルの高い世界を表現することがあるようです。
同時に、ややもすると、お山の大将になる可能性がある私などは、「そのレベルは、低い低いお山だよ」という意味として身に付けるべきのように思うのです。

( 2023.02.20 )

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故国への旅立ち ・ 小さな小さな物語 ( 1627 )

2023-08-13 15:35:35 | 小さな小さな物語 第二十八部

一昨日、昨日と、テレビは、中国に返還されるパンダの話題に溢れていました。
上野動物園のシャンシャンは、コロナ禍のお陰(?)で返還が遅れていましたが、遂に、多くのファンの方々に惜しまれながら、まだ見ぬ故国へと旅立っていきました。
残念な限りですが、まだ若いシャンシャンにとっては、配偶者を求める旅立ちでもありますので、今後の幸せを祈るしかないのかもしれません。
続いて、白浜のアドベンチャーワールドからも、3頭のパンダが故国に向かいました。
桜浜・桃浜の双子のお嬢さんは、今八歳で、まさにお年頃で配偶者を求めての旅立ちでしょうが、中国との約定だとしても、やはり寂しい限りです。
そして、もう一頭の永明は、年令が30で人間の年令にすれば90歳にもなるそうです。白浜での28年間の生活で16頭の子供をもうけており、わが国のパンダ界に大きな功績を残してくれました。こちらは、おそらく、故国において晩年を送るためなのかもしれませんが、住み慣れた日本での生活を続ける選択肢はなかったのでしょうか。しかし、それは、人間の考えに過ぎないのかもしれません。

それにしても、上野動物園や白浜アドベンチャーワールドでの催しや、旅立つ様子などは、これまでに例を見ないほどの大騒ぎでした。
記念のセレモニーがあったり、多くのファンの方々が別れを惜しみ、満足に姿を見ることが無理なのを承知で、出達する自動車を見送ったり・・・。
養育に当たった関係者の方々はもちろん、長年にわたって成長を見守ってきた人や、私のように、話題になった時だけ関心を示す程度の者も含めて、二度と戻ってくることのない旅立ちには、切ない気持ちに襲われました。
テレビの映像にも、涙している人の姿が何人も映し出されていました。
人は、これほどまでに優しくなることが出来るのだと、温かな気持ちになりました。

その一方で、テレビのニュース番組やワイドショーなどでは、パンダに関する感動的なシーンの後、ロシアによるウクライナ侵攻に関するニュースに切り替わります。
別に、特記するほどのことでもなく、常にそういうものであることは、テレビにかじりついているような私などは、十分慣らされているはずですが、それでも、その落差の大きさに心が揺さぶられます。
戦争は、人類の歴史そのものと言っていいほど避けられないものらしいのですが、多くの聖人と言われるよう人が現れ、多くの教えを残し伝えてくれているはずですが、その程度では、まだまだ足らないということなのでしょうか。
人は、これほどまでに残忍な行動に出ることが出来るのだと、暗澹たる気持ちになりました。

旅立っていくパンダに対して涙することが出来る私たち。まるで、何の抵抗もないかのように砲弾を撃つことが出来る私たち。
私たちの心の中には、ジキル博士とハイド氏が何百人もがうごめいているのでしょうか。そして、ある程度の理性が働いている間は、そうしたうごめきを押さえ込んでいて、ごく素直に喜怒哀楽を表明する程度で日常を過ごしているのでしょうが、何かの切っ掛けに、私たちは私たちでなくなってしまうのでしょうか。
それが一般市民であっても、社会に相当の被害を与えるかもしれませんが、それが社会をリードするような立場の人であれば、とてつもない惨状を引き起こすことを、私たちは何度も見てきているはずです。
しかし、残念ながら、それを抑制する知恵を私たちは手にすることが出来ていないようです。

( 2023.02.23 )

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