『 米国債が格下げされた 』
三大信用格付け会社の一つである フィッチ・レーティングスが
米国債を AAAからAA+に 一段階引き下げた
米国のイェレン財務長官は 大変お怒りのようだが
米国債は 世界で一番安全な債券ではない との表明だけに
大事件ではある
もっとも 同社の日本国債の格付けは「A」一つだけなので
他国の心配をしている場合 ではないが・・・
☆☆☆
『 やよや待て 』
やよや待て 山郭公 ことつてむ
我世の中に すみわびぬとよ
作者 三国町
( 巻第三 夏歌 NO.152 )
やよやまて やまほととぎす ことつてむ
われよのなかに すみわびぬとよ
* 歌意は、「 これこれお待ちなさい 山ほととぎすよ 山に籠もっているわたしの友に 便りを言付けましょう このわたしも浮き世の暮らしが すっかり嫌になってしまったとね 」といったものでしょうか。実感なのか、歌の上でのことか、微妙な感じがします。
* 作者 三国町(ミクニノマチ)は、仁明天皇の更衣です。「更衣」というのは、本来は、天皇の衣替えなどを奉仕する女官ですが、後宮入りした場合は、女御に次ぐ地位とされていたようです。つまり、「宮人」と違って、天皇の夫人の一人としてほぼ公認されていたということのようです。皇子を一人儲けています。
* この皇子は、835 年頃に、源姓を与えられて臣籍降下しましたが、845 年の頃に、母である三国町の藤原有貞(右大臣藤原三守の七男)との密通が疑われ、それに連座して、出家させられています。その後兄弟の親王たちの援助もあって還俗を果たし、866 年に「貞朝臣登(サダノアソンノボル)」の姓名を与えられて、正六位上を授かり、その後貴族に列しています。
* 密通を疑われた三国町は、更衣の位を廃され、当然宮廷から追放されたのでしょう。その後の消息は、よく分りません。
* 作者が仁明天皇の更衣であったことは事実と考えられ、皇子を儲けたことも記録に残っています。
しかし、出自については、どうもはっきりしません。
一説には、正四位下紀名虎の娘だというものがあります。もしそうだとすれば、「紀種子」ということになりそうで、その場合は、文徳天皇の更衣である「紀静子( ? - 866 )」と姉妹ということになります。紀静子は「三条町」と呼ばれていましたので、共通性を感じます。ただ、ある資料では、仁明天皇には更衣が二人いて、一人は紀種子、もう一人は三国町とされていて、共に皇子を儲けています。この二人を同一人とするには、無理があるようにも思われます。
* もう一つの説は、三国氏という豪族の娘だということです。三国氏というのは、この頃の文献などには余り登場しないようなので、地方の豪族と考えられます。参考書の中には、継体天皇の母系氏族とされています。継体天皇の出身地などに関して、越前国三国という地名が登場しますので、関係があるかも知れません。ただ、継体天皇の御代となりますと、この時代から三百年ほども遡りますので、無条件で受け入れることも出来ません。
* 結局筆者は、どちらとも決めることが出来ないのですが、仁明天皇に見初められた三国町という魅力的な女性がいて、その魅力ゆえに、事実か否かはともかく、密通事件を疑われて後宮を追われました。その後の消息がほとんどないのが残念ですが、出家したあと貴族に復帰した御子がいることでもあり、後宮という限られた場所ではない、新しい生活を送ったのではないでしょうか。
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