めいすいの写真日記

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映画「嵐を呼ぶ男」・・・石原裕次郎主演

2020-09-04 | 映画

                                     NHK BSシネマ 2020/9/2

俺らはドラマー ヤクザなドラマー 俺らが怒れば 嵐を呼ぶぜ
喧嘩代わりに ドラムを叩きゃ 恋のうさも吹っ飛ぶぜ

この野郎 かかって来い! 最初はジャブだ ・・・ ほら右パンチ ・・・おっと左アッパー
畜生やりやがったな 倍にして返すぜ フックだ ボディだ ボディだ チンだ ええい面倒だい この辺でノックアウトだ

 熱血漢だが心根は優しい青年・正一が、音楽業界の荒波のなかで,一流のジャズドラマーを目指す姿を描き、主題歌も大ヒットした石原裕次郎の代表作。ステックを持ち”おいらはドラマー”と歌う場面はあまりにも有名。正一の才能を育て、やがて恋に落ちるマネージャーを演じるのは、後に結婚した北原美枝。
  映像と音声を修復した4Kデジタルリマスター版での放送
【監督・原作・脚本】 井上梅次
【製作】1957年
【出演】福島美弥子:北原三枝
    国分正一:石原裕次郎
    国分英次:青山恭二
    島みどり:芦川いづみ
    メリー・丘:白木マリ)
    福島慎介:岡田眞澄       
    左京徹:金子信雄


    

  石原裕次郎は、戦後世代の映画界のスーパーヒーローである。そして、この映画が封切られた昭和32年以降、映画でそしてテレビで数十年間、とにかく人気絶大であった。私はこの映画こそ見なかったが、「嵐を呼ぶ男」の歌を小学校の高学年で覚え、時々は歌っていた。他にも裕次郎の歌は何曲か。おそらく同年代の子供から大人に至るまで、世の中は石原裕次郎一色であったような気がする。しかし、この映画「嵐を呼ぶ男」の中では、喧嘩が強くて,ヤクザっぽい、行く先々で嵐を巻き起こすような男ではなく、二度の大きな喧嘩では、大事なドラム合戦の前日にボクサー崩れの男に殴られ、右手が使えなくなるし、もう一度の最後の大げんかには何人のもの音楽界の悪党に取り囲まれて殴られ気絶し、右手をレンガで何度も殴られ、再起不能の怪我を負わされてしまう。なんとなくしっくり来ない。
 映画では、歌声がソフトで、やさしい心を持った色男という感じであるが、今まで抱いていたイメージ「力強く、喧嘩がすこぶる強い、タフガイ」というイメージとは異なる人間であった。ただ、やはりスタイルは良く二枚目で人気スターの雰囲気は漂わせていたと思う。

【石原裕次郎の略歴】
 1934年(昭和9年)生まれ、1987年(昭和62年)没
 北海道小樽市、神奈川県逗子市で育つ。小樽市ではスキーや競泳に親しむ。逗子中学校でバスケットボールに熱中した。しかし、「慶応義塾高校」の受験に失敗し。「慶應義塾志木農業高校」に進学し、後「慶応義塾高校」に編入学する。

 私の住む志木市にある、この「慶應義塾志木農業高校」は当時は慶応の人達に「農高」として馬鹿にされていたようだ。1957年に普通高校に転換。現在、「慶応義塾志木高校」は偏差値は埼玉県内の偏差値ランキング第1位76となっている。私が通うスポーツセンターの目の前にあり、裕次郎がここに通っていたかと思うと親しみが湧く。
                                               

 その後、慶応義塾大学法学部政治学科に内部進学したが、放蕩生活に明け暮れた。
  大学在学中から俳優を目指し、東映、大映、日活のオーディションを受けたが全て不合格だった。
  その後、兄の石原慎太郎の小説「太陽の季節」がベストセラーとなって映画化され、兄などの推薦もあり端役として登場したのが、映画出演のきっかけである。
 映画俳優として知られるようになってからは、石原プロモーション設立、映画製作、テレビドラマ制作に取り組むようになる。
  一方、湘南の海で兄慎太郎と共にヨットマンとしても知られるようになった。