4月14日(金)に放映された ららら♪クラシック「解剖!伝説の名演奏家 ピアノの巨匠 リヒテル」
古今東西、私のいちばん好きなピアニストである「スヴャトスラフ・リヒテル」
私の愛聴盤はとりあえず3つあげるとして
ベートーヴェン作曲 ピアノソナタ第23番「熱情」
チャイコフスキー作曲 ピアノ協奏曲第1番 カラヤン指揮ウィーン交響楽団
バッハ作曲 平均律クラビア曲集
であるが、数多くの名盤を残している。
ららら♪クラシックの新シリーズでまず、伝説の名演奏家として取り上げられたのがリヒテル
でした。
●リヒテルの履歴など
スヴャトスラフ・リヒテル1915年生まれ 父はドイツ人のピアニスト
9歳の時からビアノを始める。
(リヒテルの話、当時90才)
「音階の練習なんて必要?一度もやらなかったね。基礎はまっぴら 何から始めたと思う?
まずショパンのノクターン第1番 次にエチュードホ短調」
22才でモスクワ音楽院入学 師事したのは当時最高の教師ネイガウス。
(リヒテルの話)「ネイガウスの前でリストを4度目に引いた時、クラス全員がいたんだ
が、彼は言った《もう言うことはない》」
しかし、順調にキャリアを歩み始めた時、悲劇が起こる。
独裁者スターリンの粛清の嵐が始まり、ドイツ人であった父がスパイ容疑で逮捕され、
銃殺刑で亡くなる。リヒテル自身も国家からの監視を長い間受けた。
東西冷戦のさなか、「鉄のカーテン」により、「100年に1人といわれる凄いピアニス
トがソ連にいる」という噂だけが広がり、「幻のピアニスト」と呼ばれていた。
1960年、ニューヨークへ。45歳カーネギーホールでデビュー。西側社会に大きな
衝撃を与える。
日本へは、1970年に大阪万博の時に初来日、55才、以来リヒテルは大の日本好き
になり8回来日する。訪れた都市62、演奏回数162。
●ブルースリーの筋肉質の身体とリヒテルの背中そして ff(フォルテッシモ)
(リヒテルのロシア語通訳 河島みどりさんの話)
映画「燃えよドラゴン」などで知られるブルース・リー
リヒテルは「ブルース・リーは肉体的に(世界で)いちばん美しい 筋肉の動きの
美しさ 、顔も美しいあんな美しい人間は世の中にはいない」とすごい感激していた
私はいつもリヒテルの演奏の時、舞台の影で見ていた。背中しか見えないんです。
ブルース・リーの筋肉の美しさと似ています。背中じゅうの躍動感が・・・と話したら
「あんな美しい男性と私を一緒にするな。ブルース・リーに悪いと、うんと怒られた。」
「華美なもの 余計な音は要らない。ピアニッシモを静かにするのが大事。 大きな音
を大きく叩くことは誰でも出来る。そぎ落とした芯の音を」と話していた。
(ゲスト反田恭平さんの話)
背中は特に重要な部位、肩の柔軟性とその重みで(音の)強弱をつける
ピアニッシモは 大事なのが指の第1関節
指をねじ込むように 鍵盤の下から指が出るようなイメージで弾きなさいとモスクワ音楽院の教師に指導を受けた。
私のリヒテルの魅力の第1はff(フォルテッシモ)の素晴らしさだとと思う。
大きな身体と大きな指から生まれる音は他の追随を許さない。
●pp(ビアニッシモ)
(2016年12月18日放送のN響第1846回定期演奏会 ベートーヴェン作曲
ピアノ協奏曲第3番をドゥガン・ソヒエフの指揮で弾いた ロシアのベテラン女性
ピアニスト エリザベート・レオンスカヤの言葉)・・・ ららら♪クラシックとは別番組ですが
2台ピアノで初めてリヒテルと演奏した時、彼は私に 「もっと弱く もっと弱く
もっと」と言うのです。 当時の私には出来ませんでした。 力みがあって自由に弾けて
いなかった。 1年経って、やっと分かりました。ピアニッシモが途方もなく無限な世界
であることを」
リヒテルが名演奏家と言われるのは pp(ビアニッシモ)あってのff(フォルテッシモ)
だということが改めて理解できました。
参考までに過去に私が書いたリヒテルの文章をここに掲載します。