めいすいの写真日記

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バーンスタイン作曲 「ウエスト・サイド・ストーリー」より「シンフォニックダンス」

2015-06-16 | クラシック音楽

 

 ウエスト・サイド・ストーリーの一場面

 同じく、ウエスト・サイド・ストーリーの一場面から、「アメリカ」

  先日(6月13日)の「らららクラシック」(NHK Eテレ)はバーンスタイン作曲の「シンフォニックダンス」が取り上げられました。
 あまりにも有名な映画「ウェスト・サイド・ストーリー」の音楽はバーンスタインの作曲として知られています。今でも「マリア」、「アメリカ」などの曲は多くの人に親しまれています。

 私は、銀座の東劇の大画面で、この映画を見た時には、美しく、迫力ある映像と音楽に圧倒されました。
 当初ブロードウェイ・ミュージカルとして「ウエスト・サイド・ストーリー」は始まったため、音楽は小さなオーケストラボックスでの演奏に合わせ、小編成のオーケストラ用に作曲しなくてはなりませんでした。
 そこで、偉大な作曲家でもあったバーンスタインは、「ウエストサイドストーリー」の音楽の中から、9曲がフルオーケストラ用に書き直されました。組曲版の「ウエスト・サイド・ストーリー」は「シンフォニックダンス」と名付けられました。特に打楽器が多く追加されています。
 曲名はプロローグ、サムホエア、スケルツォ、マンボ、チャチャ(マリア)、出会いの場、クール、ランブル、フィナーレです。曲の順番は、ストーリーの順番ではなく、演奏会で聞きやすい順になっています。


 「ウエスト・サイド・ストーリー」のDVDと「シンフォニックダンス」のCD

 私が、この音楽を知ったのは、バーンスタイン自身がニューヨークフィルを指揮しているCDでした。
 このCDには、この曲とグローフェの組曲「グランド・キャニオン」とガーシュンインの「ラプソディ・イン・ブルー※」(※ コロンビア交響楽団、Pf バーンスタイン)がカップリングされていました。
 映画は見ていましたが、CDを聞き、踊り出したくなるような、なんと歯切れの良い音楽なのかと思いました。

  以下は、番組の解説です。

 名作ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」の音楽を、オーケストラ用に編曲した組曲「シンフォニック・ダンス」。
 映画化とともに、音楽が世界中に知れ渡り、人気を不動のものにした作曲家レナード・バーンスタイン。実はその成功が、彼を悩ませ続けました。
 名曲誕生の背景と知られざる作曲家の葛藤の日々を見つめます。

1.“クラシック”になった名作ミュージカル
 1940年代後半のアメリカでは、人種間で起こる問題が日々世間を騒がせていました。「ウエスト・サイド・ストーリー(以下WSS)」はそんな時代の中、初めて社会的なテーマをストーリーに持ち込んだ作品として誕生しました。メッセージ性の強い、今までにない作品を成功に導いたのは、物語をドラマティックに進行させる斬新な音楽とダンス。数年後に映画化されたことも手伝い、WSSの音楽は世界中に知れ渡りました。作曲者はレナード・バーンスタイン。彼は舞台初演から4年後、劇中ナンバーをオーケストラ用に編曲した組曲「シンフォニック・ダンス」を発表します。ミュージカル作曲には、舞台の転換時間や振付、オーケストラピットに入る演奏者の数など様々な制限がありました。当初の構想通りに出来なかった音楽を、バーンスタインはこの組曲により実現。20世紀を代表するクラシックの名曲を完成させたのです。

2.“狭間”で揺れ動く スターの苦悩
  20世紀を代表するアメリカ人俳優として、多くのファンを魅了したレナード・バーンスタイン。「指揮者」として知られたバーンスタインですが、彼自身が望んだのは「作曲家」であることでした。そのため、クラシック界に限らず、様々なジャンルの音楽を作曲しました。そしてWSSの大成功により世界中に曲が知れ渡り、「作曲家」としても名を知られるようになったのです。しかし、クラシック界からの反応は冷ややかでした。そしてバーンスタイン自身も、このまま「ミュージカル作曲家」として名が残ることを恐れるようになり、自らWSSから、そして「シンフォニック・ダンス」からも離れていったのです。そして“クラシック作曲家”としての厳格な音楽を作曲、発表。しかし、WSS以上の世界的な評価を得る日は、遂に来ませんでした。「クラシック音楽」と「大衆音楽」、この狭間での葛藤は、晩年までバーンスタインを悩ませました。舞台初演から27年。俳優として、バーンスタインが最後に出した答えは、自身の生み出した名作に再び向き合う事でした。

3.叫びたくなるラテンの「鍵」
 人種間の対立を音楽でも描こうとしたバーンスタイン。WSSの曲には「プエルトリコ系移民」を意識したラテン音楽の要素が多く取り入れられています。劇中のダンスナンバーでお馴染み「マンボ」はその好例。バーンスタインは、ラテン音楽には欠かせない「キメ(曲にアクセントを付ける為にわざと音をストップさせたり、全員で同じフレーズを弾く部分)」に当たる部分を効果的に曲に取り入れていたのです。また、そこには「クラーヴェ」と呼ばれるラテン音楽独特のリズムが隠れているなど、思わず「マンボ!」と叫びたくなってしまう秘密があったのでした。
                                              以上は番組の解説から

 

 シンフォニックダンスの「マンボ」を演奏する、グスターボ・ドゥダメル指揮、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ

 このシンフォニックダンスが、世界で広く演奏されるようになって組曲としては4番目の「マンボ」では、自然発生的に「マンボ!」とかけ声が入るようになり、後に楽譜にマンボのかけ声を入れるように改訂されたとの話がありました。ただし、先ほどのCDには、「マンボ!」というかけ声は入っていません。
 番組の演奏は渡邊一正(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団になっていますが、このマンボをグスターボ・ドゥダメル指揮、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラの演奏を別途、加えています。ベネズエラ生まれのト゜ゥタ゜メルの演奏とオーケストラのラテン系らしい演奏、特に「マンボ!」という部分は凄まじい演奏で、東フィルの同じ演奏は影が薄くなります。ドゥダメルの指揮の素晴らしさ・躍動感を再認識することになりました。

 ゲストの川平慈英さん、サッカー解説で有名ですが、ウェスト・サイド・ストーリーが初舞台ということでした。加羽沢美濃さんのビアノ解説の「クラーヴェ」というラテン音楽独特のリズムでは、見事なリズム感を見せてくれました。

 

 私は1974年(昭和49年)9月1日(日)東京文化会館で、バーンスタインとニューヨークフィルが来日した時の生演奏を聴いています。
 この時は、CBSソニーのLPを買った時に付いていた、バーンスタインとニューヨークフィルの演奏会の抽選券を送ったところ、当選してチケットが送られてきたのでした。
 演奏曲目はバーンスタインのピアノの弾き振りでモーツァルトのピアノ協奏曲第25番K503、 マーラーの交響曲第5番でした。
 この日は、楽団員の演奏会用の礼服が航空機の遅れで間に合わないため、平服での演奏でした。とても珍しいことです。
 モーツァルトのビアノ協奏曲は印象に残るような演奏ではありませんでしたが、マーラーの交響曲が始まると、マーラーの音がホールいっぱいに広がり、素晴らしい演奏になったのを今でも鮮明に覚えています。ルキノ・ビスコンティ監督による映画「ベニスに死す」(1971年)で知られるハープと弦の第4楽章アダージェットは特に魅力的でした。



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