東京、高輪にある泉岳寺(東京都港区高輪2-16-34)。曹洞宗のお寺ですが、赤穂浪士のお墓があるお寺として有名です。
明日、12月14日は赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入った日です。いわゆる忠臣蔵の日。泉岳寺では「義士まつり」が行われ、義士装束の行列が到着するのは午後2時ということです。この日は境内や通りに露天が多く並ぶということでです。
都営浅草線「泉岳寺駅」で降りると、A2出口にある赤穂47士の名前が書いてある木板が飾ってあります。
境内に入り、47士の墓に向かう途中に吉良上野介義央の首を洗ったという井戸があります。
墓所へのアプローチが立派に作られていました。左手に「赤穂義士記念館」があります。
赤穂四十七士の墓所。入り口付近から。右手奥に「大石内蔵助義雄」の墓があります。この日は一つ、一つの墓に菊の花が置かれていました。
墓所の配置図。写真をクリックすると拡大
大石内蔵助義雄の墓。墓所全体に参拝者のお線香の焚かれて消えることがないほどです。
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老化激しい吉良の老人63歳(菅直人と同じ年齢)を
夜中に突然不法侵入して…
背中からポンと押してやればしゃっくりが止まるか、息の根が止まるかの老人(菅直人みたいものです
やれやれだなあ
※本能寺の乱の明智光秀。上司の織田信長に謀反をしでかしたあと秀吉に追われた男。
この光秀の部下が忠臣蔵になって"秀吉憎し"と復讐劇場を展開してくれたら
愛知県幡豆郡吉良町は静かな寒村のまま明治を迎え入れたのである
しかし、史実をたどっていくといろいろな点が明らかになって来ます。
特に、浅野内匠頭という人間は賞賛に値するような人物ではなかったらしい。
切腹した時に赤穂では住民が赤飯を炊いて喜んだという話もあるくらいですから。
これに対し吉良上野介は意外に好人物だったらしい。土木事業など地元に尽くし、住民にも人気があったようです。
また、浅野内匠頭が松の廊下で刃傷に及んだ本当の理由は定かでないらしい。
いずれにしても現代人にとっては、以前のように忠臣蔵は感動する物語にはならないかも知れません。
日本史や世界史を仔細に検証してみると「赤穂浪士 忠臣蔵」など吹っ飛ぶぐらい愉快痛快な仇討ちはあるはず
歌舞伎の海老蔵に教えてやりましょ
新説仇討ちシリーズ
つまりはどんでん返しかな
※愛知県幡豆郡吉良は迷惑千番な12月14日ではないか