都庁でもらった「東京を旅しよう 東京都文化財ウィーク2008」の分厚いパンフレット。この中で、私が最も興味を持ったのは、都に
「国宝」建造物が一つしかないということ。その建造物は東村山市にあり、鎌倉時代に建てられた
「正福寺(しょうふくじ)地蔵堂」ということでした。私は、その名前を知りませんでしたので、今日、訪れてみることにしました。
本当は、明後日
11月3日(月)の文化の日に、
「地蔵まつり」が開かれ、
内部の千体の地蔵が年に一度公開され、東村山市の無形文化財である
雅楽「浦安の舞」も行われるということなので、その日に合わせていこうと思ったのですが、残念ながら、どうしても都合がつきませんでした。
私の家から、電車を乗り継いで1時間ほどで西武新宿線「東村山駅」に着きました。
駅の西口には、「地蔵まつり」の貼り紙があり、外に出ると「地蔵まつり」の旗が道の両側に20mおきぐらいに立っています。
道の反対側を歩いていた老夫婦が大きな声で話をしています。「『地獄まつり』たあーなんだ。縁起でもねー。」「お父さん、いやですよ。地獄ではなく、地蔵ですよ。地蔵。」 歩いて10分ほどで正門に着きました。
「正福寺地蔵堂」の正門。石柱には「国宝 金剛山正福寺千体地蔵堂」とあります。
「正福寺地蔵堂」は応永14年(1407)に建立された禅宗様(唐様)建築の代表的な建造物です。
一説には、「北条時宗が、この地に鷹狩りに来ていた時に病に倒れた。しかし、夢枕に地蔵菩薩が現れ、丸薬を飲めば病魔は去るとのお告げがあり、実際に全快したため、飛騨の工匠を招いて、ここに伽藍を造営した。」と伝えられているようです。
東村山市には「鎌倉街道上道」が通っています。鎌倉街道とは「いざ、鎌倉」と御家人が鎌倉に駈け参じた当時の幹線の道。関東には何本かの道があり、「上道」「中道」「下道」などがあります。
国宝「正福寺地蔵堂」。 同時代の建築である鎌倉の円覚寺舎利殿と規模・形式が良く似ています。円覚寺舎利殿も神奈川県唯一の「国宝」建造物です。この二つの建物を鎌倉街道が結んで言えるといえるでしょう。
この建物の中には「千体小地蔵尊像」があります。
「正福寺千体地蔵堂と呼ばれているとおり、堂内には、多くの小地蔵尊が奉納されています。一木作り丸彫りの立像で、高さが10cm~30cmくらいのものが大部分です。何か祈願する人は、この像を一体借りて家に持ち帰り、願いが成就すればもう一体添えて奉納したといわれます。
背面に文字があるものは、約300体でその年号は正徳四年(1714)から享保十四年(1714)のものが多く、奉納者は東村山を中心に、所沢、国分寺、小金井にまで及んでいます。・・・・・平成五年三月 東村山市教育委員会」
また、堂内には本尊も安置されています。
「地蔵堂の本尊は、木造の地蔵菩薩立像で堂内内陣の須弥壇に安置されています。右手に錫杖、左手に宝珠を持つ延命地蔵菩薩で、像の高さは127cm、台座部分の高さ88cm、光背の高さ175cm、錫杖の長さ137cm。
寺に伝わる縁起には古代のものと伝えられ、また一説には、中世のものとも伝えられていますが、昭和48年の修復の際に発見された墨書銘によって、文化八年(1811)に江戸神田須田町万屋市兵衛の作であることが分かりました。・・・・・平成五年三月 東村山市教育委員会」
近所の人の話を聞くと、「以前は、小地蔵尊は梁に釘を刺して安置されていて、数がとても多く見え、千体地蔵尊というにふさわしかった。しかし、地蔵堂が国宝になってから小地蔵尊はケースの中に集められてしまった。どうも国宝の建造物に釘はいけないということらしい。以前のままで良いと思うのだが・・・・・。」と話していました。また、「地蔵まつりは年々、賑やかになり、人出が多くなっている」とのことでした。
PENTAX K20D + SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO で撮影
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