この月もおふくろの介護に関係するさまざまなことがあった。
記憶は記録。ふり返る際に思い出したい事項を書き記しておく。
1月16日、おふくろが通所介護してもらっている施設に立ち寄る。
施設は我が家からすぐ近くにある介護保険施設ウエルケア悠。
玄関や通路、トイレ、お風呂などの段差状況を見学させてもらった。
来週の火曜日からは炊事に携わるリハビリ訓練が始まる。
一方、圧迫骨折の治療並びにリハビリをしてもらったT病院にその後の痛みや便秘の状態を診てもらわなくてはならない。
2日後の18日に通院して医師の診療を仰ぐ。
また、19日には階段上り下りのリハビリ訓練を増やすことになる。
18日は退院後の一か月検診。
骨折カ所を検査したレントゲン検査の結果は特に問題ない。
膝の痛みを訴えるもレントゲン結果では特に異常は認められない。
背中が痛く、赤みがあると訴えたのは背骨に直接コルセットが接触していたからでああるが、もう3カ月も経過したからコルセットは外しましょうと許可が出た。
I医師がいった言葉は「記念においといたら・・」って。
おふくろが訴えた舌が赤いとか浮腫みがあるとかは担当していたI医師は答えようがない。
循環器内科医師に診てもらってくださいといわれて当然だろうが、今、相談すべき医師は貴方しかいないのである。
次回の経過診察は2カ月後の3月。
必要性はどうなんだろうか。
待合室にいる間に出会ったM看護士さん。
おふくろの顔を見るなり元気になってよかったねと握手する。
これが嬉しいのである。
医師はそんなことをするわけがない。
よかったね、はいうかもしれないが、私の体験では、握手する医師はお会いしたことがない。
この日はウエルケア悠と関連する郡山いむらクリニックの初回通院。
本来なら、T病院から受け取った処方箋紹介状を渡して継続診療をしてもらうのだが行方不明。
申しわけないが、担当するウエルケア悠に所属するケアマネジャーのFさんに連絡して、T病院に電話し、直接FAX送付してもらって初回診療してもらった。
このときのおふくろの訴えは便秘気味。
前日にかーさんが我が家で浣腸処置。
おかげで通じが3回もあったのが、念のためにと軟便錠は1錠増やして3錠にしてもらった。
19日、T病院から受け取った処方箋紹介状が見つかった。
書類に挟まれていたのが原因だった。
ケアマネジャーのFさんにお詫びの電話を入れて、未開封状態の紹介状を郡山いむらクリニックに手渡した。
また、同時に発見した診療明細書とリハビリ綜合実施計画書は大阪の住之江敷津浦地域包括支援センターに提出、退院証明書は自宅保管してくださいと伝えられた。
現在のおふくろの状態である。
我が家にいる現在、起きているときは食べているか、テレビを見ているか、横になって寝ているかのいずれか。
そんな状態にどうしたらいいのか、相談したら訪問リハビリ利用を勧められた。
また、住之江住居に戻った際である。
4階から1階への移転申請である。
移転が1階ならば・・拒否しようとするおふくろ。
内心は心が揺れていると伝えたが、さてさて・・。
20日、我が家に直接来てもらうリハビリ療法士による訪問リハビリである。
週2回でも動きのある訪問リハビリをすることで、体力の低下を防ぐことができる。
気兼ねなく我が家でリハビリをしてもらえる、とおふくろに伝えたらそれはえーことやと受け入れてくれた。
ところが、この日の夕刻である。
いつまでも甘えているわけにもいかないから、来月の2月からは住之江の自宅に戻って生活したい、と言い出した。
住之江に戻っても週2回の通所ケアはするつもりという前向きな姿勢に言葉を挟む余地はないが、2月にいきなりというわけにはいかない。
身体状況、リハビリ状況などを診た上でのことだと伝えたが・・。
2月のケアプラン契約を2日後の22日にしたいと申し出があったケアマネジャーのFさんにそのことを伝えた。
並行してのウエルケア悠のU男性職員から電話があった。
23日の火曜からしたいと依願していた調理リハビリは正式に受けさせてもらって良いかという電話だった。
調理リハビリはやる気のある4人を選抜する。
材料の作り込みから調理までを4人共同で作った料理。
配膳とは別に昼ご飯として4人が食べる。
そういう方法になるが、それでえーか、とおふくろに尋ねたら了承してくれる。
やる気満々のようである。
22日、甘えるわけにいかないから戻りたいと訴えるおふくろ。
久しぶりに予約を入れて診てもらうことになった大阪・伏見町の林歯科。
24日の歯科治療の帰りに立ち寄りたい住之江住居。
数カ月も空けていた住まいを見たい。
4階まで上り下りできるかどうか確かめたいというが、未だ寝ている際に痛くなる腰や臀部辺りが心配だ。
ただ、目が覚めて起き上がれば痛くもないと訴えるおふくろ。
その点に関しては通院することになった郡山いむらクリニックで診てもらわな、と・・。
いむらクリニックは毎週の火曜日と金曜日が診察日。
明けの23日はウエルケア悠の通所サービスの日。
送ってもらわずに家族が迎えてすぐ隣にある郡山いむらクリニックで診てもらうことにした。
自宅へ戻りたいという件についてケアマネジャーのFさんから提案があった。
本人も家族も両方が、痛みや階段の上り下り具合の不安を解消した上で戻られるのが一番安心できるのではないでしょうかという。
当然な提案に依願していた訪問リハビリをもこの際に試してみて、心配事をなくしてから住之江に戻られてはどうでしょうか、である。
目標感は2月半ばとして、2月のケアプランを受け入れてはどうでしょうか、という提案である。
ごもっともな提案にその通りだと思う。
その間に住之江敷津浦地域包括支援センタ―に相談し、プランを決めておくのが望ましいでしょう、と。
23日、住之江敷津浦地域包括支援センターのB主任に電話を入れて相談する。
住之江に戻りたいが1階はいやじゃといい出したおふくろへのアドバイス。
移転地は異なる大和川住宅以外のエレベータ付きの市営住宅への移転にならないだろうか、である。
元の4階におさまって、益々自室に籠りきり。
動きが少ない自室暮らしになれば、衰えが増すばかりになるから避けた方がいいといわれてが、どうにもこうにも、である。
明日の24日は久しぶりの大阪環境。
住之江敷津浦地域包括支援センターに立ち寄って、現在の身体状態を見てもらおうと思ったが、生憎のところB主任はその日が出張日。
残念だが後日送りとした。
24日、前年の9月21日に仮歯治療をした大阪・伏見町の林歯科医院。
その後に発症した圧迫骨折に入院加療に介護認定要介護4の認定者。
自力歩行困難なため容態が良うなってからと数カ月間に伝えていた。
ようやく本歯嵌めができる状態になったと判断して治療に伺う林歯科医院。
診療予約時間は午前11時。
本歯治療を終えた時間は午後1時過ぎ。
4カ月ぶりに階段を上り下りする大和川住宅。
上りは難なくだったが、下りは危険を避けるように一段ずつ下りる。
1歩を1階段とせず、1階段に両足を揃えた方が安心できるからとそうしていた。
炊事場から仏壇の間までの移動は難なくできたが・・階段上り下りを含めて入院前が100%とすれば70%くらいになったというおふくろの体感である。
ただ、自室の床がこれまでと違っていた。
つるっとというか、つるーーという表現が正しいような感覚。
とにかく滑るのである。
おそらく、であるが、4カ月に亘る長期間。
暮らしの実態がなかった部屋は閉め切っていた。
当然であるが、小窓も開いていない部屋は乾燥するばかり。
たぶんそうだと思うのだが、床はどないかせんとあかんと思った。
また、ベランダに砂利が散乱していた。植木鉢がひっくり返っていた仕業は、猫、それとも野鳥だろう。
おふくろが気にしていた多くの小瓶。
中身は貯金。
蓋を開けてひっくり返したらジャラジャラと出てくる。
硬貨は500円玉から、百円、五十円、十円に一円。
数えてみたら9万6千円もあった。
7万円は郵便貯金にするが、お礼やといってお年玉代わりに2万6千円をくれた。
25日、住之江敷津浦地域包括支援センターのB主任に相談したいと伝える。
月末31日に歯科医院の治療があるので、住之江に立ち寄りたいという連絡である。
当日は午後3時から打合せがあるから午後5時にお会いすることにした。
その際に伝えた階段の上り下りの状態。
上りはスイスイであるが、下りは慎重。
階段でこけたらえらいことになるのでより一層注意していると伝えた。
また、通所しているウエルケア悠では調理訓練もあると伝えたら、それはよろしいわーと喜んでくださった。
31日の大阪・伏見町の林歯科医院の本歯嵌め後の検査は特に問題なし。
午後5時に伺った住之江敷津浦地域包括支援センター。
対応してくださったB主任も良かったね、と目を細める。
今なら併設する通所施設、いわき園デイサービスセンター&居宅介護支援事務所の介護設備を拝見できるといわれて案内してもらう。
介護相談に低床ベッドを拝見する。
それを見るなりおふくろがいった。
いらん、と。
ベッドに拒否感をもっているおふくろに何を言っても、見せても不可である。
もう一つの見学は入浴設備。広い入浴し施設は入院加療していたT病院で体験済。
ここならいいと答える施設利用日に空きがあるという。
また、早急に担当するケアマネジャーを紹介・顔合わせ、並びに大和川住宅の居住地を見ていただく機会を設けたい。
その希望日を後日に連絡いただきたいと伝えられた。
(H30. 1.16~31 記)
記憶は記録。ふり返る際に思い出したい事項を書き記しておく。
1月16日、おふくろが通所介護してもらっている施設に立ち寄る。
施設は我が家からすぐ近くにある介護保険施設ウエルケア悠。
玄関や通路、トイレ、お風呂などの段差状況を見学させてもらった。
来週の火曜日からは炊事に携わるリハビリ訓練が始まる。
一方、圧迫骨折の治療並びにリハビリをしてもらったT病院にその後の痛みや便秘の状態を診てもらわなくてはならない。
2日後の18日に通院して医師の診療を仰ぐ。
また、19日には階段上り下りのリハビリ訓練を増やすことになる。
18日は退院後の一か月検診。
骨折カ所を検査したレントゲン検査の結果は特に問題ない。
膝の痛みを訴えるもレントゲン結果では特に異常は認められない。
背中が痛く、赤みがあると訴えたのは背骨に直接コルセットが接触していたからでああるが、もう3カ月も経過したからコルセットは外しましょうと許可が出た。
I医師がいった言葉は「記念においといたら・・」って。
おふくろが訴えた舌が赤いとか浮腫みがあるとかは担当していたI医師は答えようがない。
循環器内科医師に診てもらってくださいといわれて当然だろうが、今、相談すべき医師は貴方しかいないのである。
次回の経過診察は2カ月後の3月。
必要性はどうなんだろうか。
待合室にいる間に出会ったM看護士さん。
おふくろの顔を見るなり元気になってよかったねと握手する。
これが嬉しいのである。
医師はそんなことをするわけがない。
よかったね、はいうかもしれないが、私の体験では、握手する医師はお会いしたことがない。
この日はウエルケア悠と関連する郡山いむらクリニックの初回通院。
本来なら、T病院から受け取った処方箋紹介状を渡して継続診療をしてもらうのだが行方不明。
申しわけないが、担当するウエルケア悠に所属するケアマネジャーのFさんに連絡して、T病院に電話し、直接FAX送付してもらって初回診療してもらった。
このときのおふくろの訴えは便秘気味。
前日にかーさんが我が家で浣腸処置。
おかげで通じが3回もあったのが、念のためにと軟便錠は1錠増やして3錠にしてもらった。
19日、T病院から受け取った処方箋紹介状が見つかった。
書類に挟まれていたのが原因だった。
ケアマネジャーのFさんにお詫びの電話を入れて、未開封状態の紹介状を郡山いむらクリニックに手渡した。
また、同時に発見した診療明細書とリハビリ綜合実施計画書は大阪の住之江敷津浦地域包括支援センターに提出、退院証明書は自宅保管してくださいと伝えられた。
現在のおふくろの状態である。
我が家にいる現在、起きているときは食べているか、テレビを見ているか、横になって寝ているかのいずれか。
そんな状態にどうしたらいいのか、相談したら訪問リハビリ利用を勧められた。
また、住之江住居に戻った際である。
4階から1階への移転申請である。
移転が1階ならば・・拒否しようとするおふくろ。
内心は心が揺れていると伝えたが、さてさて・・。
20日、我が家に直接来てもらうリハビリ療法士による訪問リハビリである。
週2回でも動きのある訪問リハビリをすることで、体力の低下を防ぐことができる。
気兼ねなく我が家でリハビリをしてもらえる、とおふくろに伝えたらそれはえーことやと受け入れてくれた。
ところが、この日の夕刻である。
いつまでも甘えているわけにもいかないから、来月の2月からは住之江の自宅に戻って生活したい、と言い出した。
住之江に戻っても週2回の通所ケアはするつもりという前向きな姿勢に言葉を挟む余地はないが、2月にいきなりというわけにはいかない。
身体状況、リハビリ状況などを診た上でのことだと伝えたが・・。
2月のケアプラン契約を2日後の22日にしたいと申し出があったケアマネジャーのFさんにそのことを伝えた。
並行してのウエルケア悠のU男性職員から電話があった。
23日の火曜からしたいと依願していた調理リハビリは正式に受けさせてもらって良いかという電話だった。
調理リハビリはやる気のある4人を選抜する。
材料の作り込みから調理までを4人共同で作った料理。
配膳とは別に昼ご飯として4人が食べる。
そういう方法になるが、それでえーか、とおふくろに尋ねたら了承してくれる。
やる気満々のようである。
22日、甘えるわけにいかないから戻りたいと訴えるおふくろ。
久しぶりに予約を入れて診てもらうことになった大阪・伏見町の林歯科。
24日の歯科治療の帰りに立ち寄りたい住之江住居。
数カ月も空けていた住まいを見たい。
4階まで上り下りできるかどうか確かめたいというが、未だ寝ている際に痛くなる腰や臀部辺りが心配だ。
ただ、目が覚めて起き上がれば痛くもないと訴えるおふくろ。
その点に関しては通院することになった郡山いむらクリニックで診てもらわな、と・・。
いむらクリニックは毎週の火曜日と金曜日が診察日。
明けの23日はウエルケア悠の通所サービスの日。
送ってもらわずに家族が迎えてすぐ隣にある郡山いむらクリニックで診てもらうことにした。
自宅へ戻りたいという件についてケアマネジャーのFさんから提案があった。
本人も家族も両方が、痛みや階段の上り下り具合の不安を解消した上で戻られるのが一番安心できるのではないでしょうかという。
当然な提案に依願していた訪問リハビリをもこの際に試してみて、心配事をなくしてから住之江に戻られてはどうでしょうか、である。
目標感は2月半ばとして、2月のケアプランを受け入れてはどうでしょうか、という提案である。
ごもっともな提案にその通りだと思う。
その間に住之江敷津浦地域包括支援センタ―に相談し、プランを決めておくのが望ましいでしょう、と。
23日、住之江敷津浦地域包括支援センターのB主任に電話を入れて相談する。
住之江に戻りたいが1階はいやじゃといい出したおふくろへのアドバイス。
移転地は異なる大和川住宅以外のエレベータ付きの市営住宅への移転にならないだろうか、である。
元の4階におさまって、益々自室に籠りきり。
動きが少ない自室暮らしになれば、衰えが増すばかりになるから避けた方がいいといわれてが、どうにもこうにも、である。
明日の24日は久しぶりの大阪環境。
住之江敷津浦地域包括支援センターに立ち寄って、現在の身体状態を見てもらおうと思ったが、生憎のところB主任はその日が出張日。
残念だが後日送りとした。
24日、前年の9月21日に仮歯治療をした大阪・伏見町の林歯科医院。
その後に発症した圧迫骨折に入院加療に介護認定要介護4の認定者。
自力歩行困難なため容態が良うなってからと数カ月間に伝えていた。
ようやく本歯嵌めができる状態になったと判断して治療に伺う林歯科医院。
診療予約時間は午前11時。
本歯治療を終えた時間は午後1時過ぎ。
4カ月ぶりに階段を上り下りする大和川住宅。
上りは難なくだったが、下りは危険を避けるように一段ずつ下りる。
1歩を1階段とせず、1階段に両足を揃えた方が安心できるからとそうしていた。
炊事場から仏壇の間までの移動は難なくできたが・・階段上り下りを含めて入院前が100%とすれば70%くらいになったというおふくろの体感である。
ただ、自室の床がこれまでと違っていた。
つるっとというか、つるーーという表現が正しいような感覚。
とにかく滑るのである。
おそらく、であるが、4カ月に亘る長期間。
暮らしの実態がなかった部屋は閉め切っていた。
当然であるが、小窓も開いていない部屋は乾燥するばかり。
たぶんそうだと思うのだが、床はどないかせんとあかんと思った。
また、ベランダに砂利が散乱していた。植木鉢がひっくり返っていた仕業は、猫、それとも野鳥だろう。
おふくろが気にしていた多くの小瓶。
中身は貯金。
蓋を開けてひっくり返したらジャラジャラと出てくる。
硬貨は500円玉から、百円、五十円、十円に一円。
数えてみたら9万6千円もあった。
7万円は郵便貯金にするが、お礼やといってお年玉代わりに2万6千円をくれた。
25日、住之江敷津浦地域包括支援センターのB主任に相談したいと伝える。
月末31日に歯科医院の治療があるので、住之江に立ち寄りたいという連絡である。
当日は午後3時から打合せがあるから午後5時にお会いすることにした。
その際に伝えた階段の上り下りの状態。
上りはスイスイであるが、下りは慎重。
階段でこけたらえらいことになるのでより一層注意していると伝えた。
また、通所しているウエルケア悠では調理訓練もあると伝えたら、それはよろしいわーと喜んでくださった。
31日の大阪・伏見町の林歯科医院の本歯嵌め後の検査は特に問題なし。
午後5時に伺った住之江敷津浦地域包括支援センター。
対応してくださったB主任も良かったね、と目を細める。
今なら併設する通所施設、いわき園デイサービスセンター&居宅介護支援事務所の介護設備を拝見できるといわれて案内してもらう。
介護相談に低床ベッドを拝見する。
それを見るなりおふくろがいった。
いらん、と。
ベッドに拒否感をもっているおふくろに何を言っても、見せても不可である。
もう一つの見学は入浴設備。広い入浴し施設は入院加療していたT病院で体験済。
ここならいいと答える施設利用日に空きがあるという。
また、早急に担当するケアマネジャーを紹介・顔合わせ、並びに大和川住宅の居住地を見ていただく機会を設けたい。
その希望日を後日に連絡いただきたいと伝えられた。
(H30. 1.16~31 記)