写真家のKさんに教えてもらった村行事のカラスのモチ。
場所は、天理市の上仁興四社神社に見たことがある、という。
早いうちに行かねば、カラスのモチが、それこそカラスの餌食になってしまう。
急いでいかねばと、思う気持ちが胸躍る。
都祁白石から南之庄。
福住手前に遭遇した倒木処理。
天理ダムに向かう前の苣原を経て、ようやく到着した天理市の仁興町。
先に拝見した下仁興。
村の入り口に勧請縄を掛けていた。
さらに車を移動した上仁興の入り口にも勧請縄を掛けていた。
平成18年、19年、22年、23年、24年に行事取材していた仁興(にごう)地域。
知ったところは行きやすい。
初めて上仁興の年中行事お拝見した年は、平成18年12月8日。
村の行事の(八日講の)勧請縄掛け。
下仁興もされている勧請縄掛け。
尤も行事名は神綱掛式。
カンジョウナワかけを、神々しい詠み字にされたのであろう。
そのことはともかく、上仁興、下仁興の両地区とも一年に2度も、同じ場所に勧請縄を掛ける。
上仁興は12月8日に、年明けの1月7日。
両日とも、綱に掛ける房に括る木々の葉は松葉。
下仁興も年末の12月8日であるが、翌年は2月9日。
掛ける葉は、12月は上仁興同様の松葉に対して2月はシキミ(※樒)の葉をかける。
下仁興、上仁興の順に拝見した両地区の勧請縄。
コロナ禍であっても、なかっても掛けなくてはならない村を守る勧請縄。
以前にもブログなどで発信してきたように、下流から遡上してくる悪いもの、疫病などが村に入らぬよう、願いを込めて村の入り口に掛ける。
今年も、例年同様に掛けられた勧請縄。
その下を潜るのが申しわけなく頭を下げて、上の地に向かう。
そのときに気づいた、正月を迎える印し。
作業場の一角。
さりげなく飾っていた輪〆のしめ縄。
ウラジロもしているし、赤い実の南天も。
上仁興の集落は、そこよりもうすぐ。
歩いても数分のところに村の掲示板がある。
うち一枚の伝言は、12月の村行事を報せる掲示物。
毎年されてきた亥の子座は、神事ごとの”三献の儀”を取りやめ、自由参拝に。
全国的に、どこの地区もそうせざるを得なかったコロナ禍の対応。
”三献の儀”の場は、四社神社の拝殿内。
狭い場に人が寄り合う集会は極力避けたのだろう。
平成19年12月9日に拝見した亥の子座の行事など、秋まつりも同じような対応されたと思う。
掲示板から歩いてすぐ、四社神社がある。
手を合わそうとした、その場にあったたくさんの御供餅。
門松を立てた左右の石燈籠の屋根、火袋付近に。
前述した写真家のKさんの話によれば、これらの餅がカラスのモチである。
乾いた餅のようだから、今日に搗いて供えたんものではないだろうが、相当数の餅があったから貴重な映像記録になった。
(R2.12.30 EOS7D/SB805SH撮影)
場所は、天理市の上仁興四社神社に見たことがある、という。
早いうちに行かねば、カラスのモチが、それこそカラスの餌食になってしまう。
急いでいかねばと、思う気持ちが胸躍る。
都祁白石から南之庄。
福住手前に遭遇した倒木処理。
天理ダムに向かう前の苣原を経て、ようやく到着した天理市の仁興町。
先に拝見した下仁興。
村の入り口に勧請縄を掛けていた。
さらに車を移動した上仁興の入り口にも勧請縄を掛けていた。
平成18年、19年、22年、23年、24年に行事取材していた仁興(にごう)地域。
知ったところは行きやすい。
初めて上仁興の年中行事お拝見した年は、平成18年12月8日。
村の行事の(八日講の)勧請縄掛け。
下仁興もされている勧請縄掛け。
尤も行事名は神綱掛式。
カンジョウナワかけを、神々しい詠み字にされたのであろう。
そのことはともかく、上仁興、下仁興の両地区とも一年に2度も、同じ場所に勧請縄を掛ける。
上仁興は12月8日に、年明けの1月7日。
両日とも、綱に掛ける房に括る木々の葉は松葉。
下仁興も年末の12月8日であるが、翌年は2月9日。
掛ける葉は、12月は上仁興同様の松葉に対して2月はシキミ(※樒)の葉をかける。
下仁興、上仁興の順に拝見した両地区の勧請縄。
コロナ禍であっても、なかっても掛けなくてはならない村を守る勧請縄。
以前にもブログなどで発信してきたように、下流から遡上してくる悪いもの、疫病などが村に入らぬよう、願いを込めて村の入り口に掛ける。
今年も、例年同様に掛けられた勧請縄。
その下を潜るのが申しわけなく頭を下げて、上の地に向かう。
そのときに気づいた、正月を迎える印し。
作業場の一角。
さりげなく飾っていた輪〆のしめ縄。
ウラジロもしているし、赤い実の南天も。
上仁興の集落は、そこよりもうすぐ。
歩いても数分のところに村の掲示板がある。
うち一枚の伝言は、12月の村行事を報せる掲示物。
毎年されてきた亥の子座は、神事ごとの”三献の儀”を取りやめ、自由参拝に。
全国的に、どこの地区もそうせざるを得なかったコロナ禍の対応。
”三献の儀”の場は、四社神社の拝殿内。
狭い場に人が寄り合う集会は極力避けたのだろう。
平成19年12月9日に拝見した亥の子座の行事など、秋まつりも同じような対応されたと思う。
掲示板から歩いてすぐ、四社神社がある。
手を合わそうとした、その場にあったたくさんの御供餅。
門松を立てた左右の石燈籠の屋根、火袋付近に。
前述した写真家のKさんの話によれば、これらの餅がカラスのモチである。
乾いた餅のようだから、今日に搗いて供えたんものではないだろうが、相当数の餅があったから貴重な映像記録になった。
(R2.12.30 EOS7D/SB805SH撮影)