マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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木津川市加茂町銭司・春日神社の勧請縄・砂撒き

2022年11月28日 07時59分00秒 | もっと遠くへ(京都編)
正月三日の行先は、京都府木津川市加茂町銭司・春日神社。

朝から縄を結って午後に架けると思って、出かけてみれば、みな終わっていた。

午前11時過ぎの時間帯にどなたの姿も見られない。

風は冷たく吹く銭司(ぜず)の里。

停めていた車に戻って帰ろうとしたとき、白い軽バン車がやってきた。

乗っていた男性は焦っているようだ。

慌てて入った社務所。

話しが聞ければ、と声をかけた男性はSさん。

「衣装を取りに戻っただけだ。今、とても忙しいから・・」。

一応聞けた砂撒きは12月31日の朝8時から。

勧請縄の縄結いは1月3日の朝8時から。

1時間ほどで出来上がった縄は9時にかけ終わったそうだ。

また、見たいなら次回に、その時間に来ていただければ、と伝えられた。

知りたかった銭司の民俗行事は、“オニ”の件。

「それは知らない・・・詳しいことは、聞き覚えでしてきたからわからん」と云われて、乗ってきた軽バン車に乗り、バラバタと下っていった。

実際、されているのか、それとも・・・

されているなら日程でも、と思ってやってきたが、情報はさっぱり掴めなかった“オニ”の取材。

来年に持ち越しと、決めて、正月を迎えた加茂町・春日神社の門松・砂撒きおよび勧請縄の情景を撮っておく。

なお、ブログ「歴史探訪京都から ~旧木津川の地名を歩く~」が、これら銭司の正月行事について、より詳しく伝えている。

実は、銭司の砂撒きと勧請縄は、2年前の平成30年の1月6日に拝見している。

砂撒きの状態も勧請縄も美しい形状を残していたが、正月前の12月18日に予め山行きされて、伐採した木を伐り、集めた割り木。

“才木(さいぎ)”と、呼ぶ割り木を、本社や末社に設える。

その才木を集めてくる作業を”シバシ“と呼ぶ。

奈良県内にも同じ名称の”シバシ“の作業をしていた。

数少ない事例であるが、伐採後に神社の蔵に収めていた奈良の旧五ケ谷村の一村。

興隆寺町・春日神社にあった。

他地域に住まいする知人二人からも伝えてくれた”シバシ”。

橿原市・一町(かずちょう)に大淀町・大岩の地にもあった、と聞いている。

尤も、銭司に近い南山城村の南大河原も同じように、伐採した割りは拝殿下に収納している。

暖を取る焚き木の利用であろう。

南大河原でも、銭司と同じように雑木を伐り出すことを「シバシ」と呼んでいるように思えてしかたない。

三重県・『亀山市史民俗編』に「シバシ」のことが書いてある。

「シバ(柴)」は小枝類。

おじいさんは山へ行ってシバ刈りにいった・・」と、はじまるお伽噺は誰しも知っているが、現代の生活文化には見ることもない。

ところが、山村などの神社の焚き木集めにあったのだ。

亀山市史を読めばわかるが、「シバシ」を充てる漢字は「柴仕」。

つまり、柴材を集める作業仕事であった。

さて、参拝を兼ねて訪れていた銭司。



目を見張る砂モチのあり方。

境内、くまなく隅から隅まで撒いていた。

中央に斜め前切りの孟宗竹。

葉ボタンに松、竹、梅。南天を飾った門松を据えた。

両脇の狛犬にも”才木”を立てかけている。



階段をあがって正面が武甕槌命(たけみかづちのみこと)・径津主命(ふつぬしみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀った春日神社。

春日大社の式年造替の際に、旧社殿を謂れのある地に移された「春日移し」の春日造・一間社の社殿。



堂々とした造りに感銘を受ける。

社殿袖下、両端に立てた”才木”にウラジロ。

そう、しめ縄を括った”才木”の姿である。



末社は、右手に鹿島神社と熊野神社。

左手は、八幡宮・八柱神社・厳島神社・蛭子神社を1棟に合祀した社殿。



末社は、ひとつずつの”才木”を立てているだろう、と思ったが、右手の右横の社殿には見られない。

なにか、理由があるのだろうか。

正月のしめ縄は、どこの神社であっても社殿に掲げるものだと、思っていたが、そうでない神社がここ銭司にあった。

再認識した銭司の春日神社

頭を下げて参道を下る。

下った直後に見える勧請縄。



往路の参拝にも気づいていたが、写真にするには、復路を奨める。

樹木の植生、左手が南。

光の輝き加減で復路が美しくなるようだ。

さらに下った車止め手前に立札があった。

右手が車止め。

左手は、参道であるが、現在は通行止め。



「この参道は、平成30年十二月より、閉鎖しております。倒木があり、危険です。云々・・」と、ある。

ここから臨めば急な坂道。



どの時点に倒木があるのか、存知しないが、危険であることには違いないから、氏子たちが示す注意事項は厳守である。

ちなみに、ずっとくだっていくと、福田寺右横に出るらしい。

平成28年12月18日に訪れた銭司の里に出会った高齢の男性。

「そこは小字馬場道。山道をずっと登っていけば春日神社に着く参道」だ、という。

おそらく、馬に乗った人たちが往来した参道であったろう。

(R3. 1. 3 SB805SH撮影)