マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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北庄春日社の砂撒き

2015年09月26日 09時29分35秒 | 斑鳩町へ
用事を済ませて再び訪れた斑鳩町北庄。

日が暮れる時間帯だった。

一輪車に砂を入れて運んでいた一老は神域燈籠から拝殿まで「砂」を敷き詰めていた。

午後3時から始めてまだ半分ぐらいだという。

「砂」の巾は鳥居柱の間隔。



運んでは金属製のクマデで広げる。

何度も繰り返す作業であるが足・膝に傷みをもつ一老はひと休みすることも多い。

これまで何度も事故に見舞われたことがあると話す。

一つはチェーンソーのノコギリ歯が外れて右腕肩にあたった。

骨が見えるぐらいの怪我だったが、なぜか筋や神経は切れなかった。

二つ目は単車に乗って電柱に正面衝突。

ヘルメットがころころと飛んでいった。

倒れたときの記憶はなかったがなんともなかった。

三つ目は拝殿の屋根から落ちた。

溝にすっぽりと肩ごと身体が埋まった。

そのときも怪我はなかった。

四つ目はモミの木が倒れて当りそうになった。

当たった燈籠は上部が吹っ飛んだ。

こうした事故に遭った一老であったが、81歳になる今でも元気でいられるのは神さんのおかげ、喜んで奉仕していると話す。

場を離れたあとも黙々と一人で作業をしていた「砂」の道は除夜の鐘が鳴るころに、氏子たちが参拝する新年を迎える新しい道だと云っていた。

前年に拝見した「砂」は一老が労力をかけて作っていたことを知って、思わず手を合わせた。

ご主人の笑顔が実に逞しい。

参拝者はめいめいが白い布に包んだ小さな鏡餅を供えるそうだ。

多くの参拝者が供えるので本殿前にずらりと並ぶらしい。



それより一日前の拝殿扉にあった鏡餅。

観音講に属する信仰深い97歳のおばあさんは早めに供えていたと云う鏡餅にウラジロが僅かに見える。

翌日の31日の午後にはウラジロ、ダイダイなどの飾りつけをする。



「砂」の道造りを終えたら山に出かけると話していた。

「砂」の道の砂盛りは門松を立てるときの土台にしていた大和川まで出かけて川砂を運んでいたのは50年前。

当時の十人衆が作業をしていた記憶があるという。

もっと前の時代の砂採り川は龍田川だった。

汚れが目立つようになって大和川に替えたという。

大晦日は忙しい。本社、小社に供える御供の準備もある。



スルメやダイコン、ニンジン、コンブなども揃えなければならない一老である。

(H26.12.30 EOS40D撮影)


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