マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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斑鳩町目安春日神社の簾型注連縄

2014年06月09日 07時22分10秒 | 斑鳩町へ
斑鳩町の北庄にあった簾型の注連縄を拝見して、もしやと思って足を伸ばしたこの日。

これまで大和郡山市を中心に近在の天理市、田原本町に奈良市も調査していた分布地域。

広範囲にあるのではないかと考えたのである。

北庄のマツリに出仕されるのは龍田神社の宮司。

目安においても出仕されると知った。

目安は斑鳩町の南端にある旧村。

大和川堤防付近に鎮座する春日神社に門松が残されていた。

簾型の注連縄は近年に改築された本殿に掲げてあった。

少し短めであった一本の竹に編んだ簾型の注連縄中央にはカタスミ、ダイダイ、干しガキ、ウラジロを括りつけてある。

葉の方向は右側だ。

垣の一つになにやら風習であるかのように思えた印し。

四方を竹で支えるようにして紅白の紐で括りつけていた。

集落を巡ってみたが人影はなかった。

帰ろうと思ったときだ。神社前に住む男性が庭におられた。

何かを知るのではと思って声をかけた。

簾型の注連縄を尋ねるが、始めて見たと云う。

奥さんに聞けば、いつもあるようだと云う。

立派な門松は植木屋を営む人が作ったようだと話す。

これまでは砂盛りをしてそこに松・竹・梅を飾っていたそうだ。

一年に2度は境内の大掃除に仕えると話す通りに境内は奇麗になっている。

門松・注連縄飾りはおそらく晦日の30日の午前中だろうと云う。

神社行事を聞くなら宮守を勤めているT家が良かろうと伝えられたが、後日にするとした。

気になった玉垣の印し。

それは気がつかなかったと案内してくださった。

それは傷んだ玉垣の補修であった。

そう云えば割れている玉垣がちらほらある。

かつては今より大和川の堤防辺りだったそうだ。

大晦日には村各戸が川砂を採って境内に撒いた。

撒いたというよりも積みあげるぐらいの量を運んだそうだ。

少なくなった境内の砂は川の砂を持ちこむ。

いわゆる砂モチの風習であるが、子供の頃の記憶。

今ではそういうことはしなくなったと話す。

その大和川の堤防下でとんどをするそうだ。

今年は1月12日の日曜日。朝8時から行うと公民館の案内に書いてあった。

正月飾り、お札などを持ちこんで、とんどで焼く。

消防団はいつでも消せるようにしていると云う。

ちなみに春日神社境内にあった燈籠の刻印は天保十五年(1844)四月日だった。

狛犬は文政五年(1822)十二月吉日であった。

(H26. 1. 6 EOS40D撮影)


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