一昨年の平成27年、中白木で行われた秋のマツリの3行事を取材させてもらった。
中白木は本日巡ってきた桜井市の山間部。
瀧倉から三谷。
そして中白木に着いた。
この日に訪れた目的は撮影させてもらったお礼である。
10月17日の神明祭に11月9日の宵宮頭屋祭、翌日10日の高龗神社の頭屋祭だ。
頭屋を務めたお家は二老家。
同年の3月1日のオシメ入り座において神さんを迎えた家である。
一連の写真は記念のお礼にもってきたが自宅は不在だった。
仕方なく戻ろうとしたときである。
向かいの家でなにやら作業をしている男性がおられた。
庭の造作に手を休めた男性は一老の息子さん。
マツリのときにもお会いしている。
二老は大怪我をされて入院中。
奥さんがつきっきりで世話をしているようだ。
そういえばマツリのときには一老のお顔も拝見しない日があった。
あれから身体の調子も悪く施設通い。
長老二人がこういう状態になっているという。
そういう事情であれば息子さんに預かってもらうことにした。
そんな話をしている時間帯。
にわかに曇ってきた。
そのうちに鳴り出した雷。
突然のごとく雨が降り出した。
乗ってきた車に戻ろうにも戻れない土砂降りである。
しばらくは一老家の軒先で雨宿りさせてもらった。
中白木の用事を済ませて次に向かう大字は萱森だ。
どちらもそれほど遠くない距離にある。
萱森も昨年の平成27年に撮らせてもらった秋のマツリ。
10月23日の遷しまし頭屋祭の翌日24日の頭屋祭だ。
頭屋祭が始まる午前中は頭屋家で行われた祭り道具の調製。
午後が私祭の頭屋祭である。
なかでもとっておきの写真は神社の鳥居の処で撮った娘さん親子の写真だ。
カメラの前でいろんな恰好をしてくれた孫さんの姿が可愛く撮れた。
久しぶりに顔を合わす。
その後の病状は・・と心配してくださる。
ピンポン押して門屋に入る。
そこに干してあった梅干しは土用干しの梅。
三日三晩に亘って漬けた梅は壺ごと消毒する。
もう少し日が経てば美味しくなると云う。
時間があるならゆっくりしていけと云われて屋内にあがる。
こんな豆を食べてみるかいと持ってきた。
皿に盛った豆はマンズナルいんげん豆。
岩手県のタネを入手して栽培したそうだ。
甘くて美味しい。
さらに見せてくださるヤッコマメ。
コーヒーの汁に砂糖を塗してコトコト炊く。
そうすればもっと柔らかくなるという。
旦那さんも奥さんもいろんな食物に挑戦される。
これまで何度か貰って帰ったこともあるが、いずれも美味しいのである。
奥からもう一品をもってきてくれた奥さん。
パックに入れたヌカヅケキュウリである。
毎日、かき回して作ったキュウリは浅漬けのような感じだ。
始めに塩でもんで洗い。
昆布を乗せて皿に重しを置いた。
それでできたヌカヅケキュウリも口の中で踊る。
美味しい手造り料理をよばれて元気出そ、である。
この月はお盆がある。
N家を訪れたのは数年前に聞いていた家のお盆の在り方である。
8月14日はイショウライサン迎え。
2本の藁松明を門口に立てて火を点ける。
藁火を焚いて鉦を打ちながら「かえなはれ かえなはれ」と云って先祖さんを迎える。
翌日の15日も藁松明を焚く。
鉦も打つが詞は「いにやれ いにやれ」になる。
14日は先祖さんを迎える詞。
15日は送る詞であって時間帯も多少違う。
迎えは早い時間帯に迎えて、送りは晩。
時間帯も遅くにしているという。
先祖さんを迎える日は、朝はアサハンのシロメシ、昼にヒルハン、晩はソーメン。
ハギの葉を箸代わりに添えている。
翌日の送りは川に供えたものを流すらしい。
そこは危険な場所。
取材は無理なようなところのようだ。
かつては8月15日に小学校で盆踊りをしていた。
ここら辺りの上ノ郷は廃校となった跡地で花火を揚げているようだ。
オショウライサンの前にしておかなければならないのが、墓参りである。
萱森の墓はそれぞれの垣内によって異なるが、墓参りは同じ日の8月7日である。
それぞれの家がそれぞれの時間帯で参る。
我が家では昼ご飯を食べてヒンネ(昼寝)をしてから参るという行事名は「塔参り」。
ラントバに参ることから「ラントバさんの塔参り」と呼んでいる。
ラントバは石塔がある墓地。
逆に3月9日の春の彼岸前ではツチバカ参り。
他の町ではミバカに行くようだと云う。
N家では昼前の時間帯に出かけるようだ。
以前はカキの葉に家の料理のナスの田楽、イカのキュウリモミ、キズシにマクワウリなどを供えていた。
今は大きなハスの葉になったようだ。
(H28. 8. 1 EOS40D撮影)
中白木は本日巡ってきた桜井市の山間部。
瀧倉から三谷。
そして中白木に着いた。
この日に訪れた目的は撮影させてもらったお礼である。
10月17日の神明祭に11月9日の宵宮頭屋祭、翌日10日の高龗神社の頭屋祭だ。
頭屋を務めたお家は二老家。
同年の3月1日のオシメ入り座において神さんを迎えた家である。
一連の写真は記念のお礼にもってきたが自宅は不在だった。
仕方なく戻ろうとしたときである。
向かいの家でなにやら作業をしている男性がおられた。
庭の造作に手を休めた男性は一老の息子さん。
マツリのときにもお会いしている。
二老は大怪我をされて入院中。
奥さんがつきっきりで世話をしているようだ。
そういえばマツリのときには一老のお顔も拝見しない日があった。
あれから身体の調子も悪く施設通い。
長老二人がこういう状態になっているという。
そういう事情であれば息子さんに預かってもらうことにした。
そんな話をしている時間帯。
にわかに曇ってきた。
そのうちに鳴り出した雷。
突然のごとく雨が降り出した。
乗ってきた車に戻ろうにも戻れない土砂降りである。
しばらくは一老家の軒先で雨宿りさせてもらった。
中白木の用事を済ませて次に向かう大字は萱森だ。
どちらもそれほど遠くない距離にある。
萱森も昨年の平成27年に撮らせてもらった秋のマツリ。
10月23日の遷しまし頭屋祭の翌日24日の頭屋祭だ。
頭屋祭が始まる午前中は頭屋家で行われた祭り道具の調製。
午後が私祭の頭屋祭である。
なかでもとっておきの写真は神社の鳥居の処で撮った娘さん親子の写真だ。
カメラの前でいろんな恰好をしてくれた孫さんの姿が可愛く撮れた。
久しぶりに顔を合わす。
その後の病状は・・と心配してくださる。
ピンポン押して門屋に入る。
そこに干してあった梅干しは土用干しの梅。
三日三晩に亘って漬けた梅は壺ごと消毒する。
もう少し日が経てば美味しくなると云う。
時間があるならゆっくりしていけと云われて屋内にあがる。
こんな豆を食べてみるかいと持ってきた。
皿に盛った豆はマンズナルいんげん豆。
岩手県のタネを入手して栽培したそうだ。
甘くて美味しい。
さらに見せてくださるヤッコマメ。
コーヒーの汁に砂糖を塗してコトコト炊く。
そうすればもっと柔らかくなるという。
旦那さんも奥さんもいろんな食物に挑戦される。
これまで何度か貰って帰ったこともあるが、いずれも美味しいのである。
奥からもう一品をもってきてくれた奥さん。
パックに入れたヌカヅケキュウリである。
毎日、かき回して作ったキュウリは浅漬けのような感じだ。
始めに塩でもんで洗い。
昆布を乗せて皿に重しを置いた。
それでできたヌカヅケキュウリも口の中で踊る。
美味しい手造り料理をよばれて元気出そ、である。
この月はお盆がある。
N家を訪れたのは数年前に聞いていた家のお盆の在り方である。
8月14日はイショウライサン迎え。
2本の藁松明を門口に立てて火を点ける。
藁火を焚いて鉦を打ちながら「かえなはれ かえなはれ」と云って先祖さんを迎える。
翌日の15日も藁松明を焚く。
鉦も打つが詞は「いにやれ いにやれ」になる。
14日は先祖さんを迎える詞。
15日は送る詞であって時間帯も多少違う。
迎えは早い時間帯に迎えて、送りは晩。
時間帯も遅くにしているという。
先祖さんを迎える日は、朝はアサハンのシロメシ、昼にヒルハン、晩はソーメン。
ハギの葉を箸代わりに添えている。
翌日の送りは川に供えたものを流すらしい。
そこは危険な場所。
取材は無理なようなところのようだ。
かつては8月15日に小学校で盆踊りをしていた。
ここら辺りの上ノ郷は廃校となった跡地で花火を揚げているようだ。
オショウライサンの前にしておかなければならないのが、墓参りである。
萱森の墓はそれぞれの垣内によって異なるが、墓参りは同じ日の8月7日である。
それぞれの家がそれぞれの時間帯で参る。
我が家では昼ご飯を食べてヒンネ(昼寝)をしてから参るという行事名は「塔参り」。
ラントバに参ることから「ラントバさんの塔参り」と呼んでいる。
ラントバは石塔がある墓地。
逆に3月9日の春の彼岸前ではツチバカ参り。
他の町ではミバカに行くようだと云う。
N家では昼前の時間帯に出かけるようだ。
以前はカキの葉に家の料理のナスの田楽、イカのキュウリモミ、キズシにマクワウリなどを供えていた。
今は大きなハスの葉になったようだ。
(H28. 8. 1 EOS40D撮影)