桜井市倉橋神社秋の例祭は倉橋、下、浅古の三カ大字で営まれます。
10月1日の早朝、お仮屋を建てて待つ九頭龍講当家では、神官を迎えて庭で「神迎え」神事が執り行われます。
扇御幣と呼ばれる3mほどの長さの棒に丸く輪になったところに三つの扇を括りつけ、その下には五色の奉書を取り付けます。
お仮屋には御幣を括りつけたクリの木に根付き稲穂を取り付けます。
神饌は銀杯を一対とお神酒、洗米、塩にダイコン、ほうれん草、サツマイモ、えんどう豆などの里の幸に梨が供えられます。
献饌は神官の指図で当家家族があたります。
神官による厳かな神迎え神事のあと、祭事は清め祓い、献饌、祝詞奏上、玉串奉奠が粛々と行われます。
祭事を終えた当家は、毎夜に灯明を灯して祈願します。
このお仮屋神迎え神事は桜井市の無形民俗文化財に指定されています。
なお、扇御幣、クリの木御幣と根付き稲穂は、2週間後の還幸祭の際に当家ら一行が同神社までのお渡りに持って行かれます。
(H18.10.1 Kiss Digtal N撮影)
10月1日の早朝、お仮屋を建てて待つ九頭龍講当家では、神官を迎えて庭で「神迎え」神事が執り行われます。
扇御幣と呼ばれる3mほどの長さの棒に丸く輪になったところに三つの扇を括りつけ、その下には五色の奉書を取り付けます。
お仮屋には御幣を括りつけたクリの木に根付き稲穂を取り付けます。
神饌は銀杯を一対とお神酒、洗米、塩にダイコン、ほうれん草、サツマイモ、えんどう豆などの里の幸に梨が供えられます。
献饌は神官の指図で当家家族があたります。
神官による厳かな神迎え神事のあと、祭事は清め祓い、献饌、祝詞奏上、玉串奉奠が粛々と行われます。
祭事を終えた当家は、毎夜に灯明を灯して祈願します。
このお仮屋神迎え神事は桜井市の無形民俗文化財に指定されています。
なお、扇御幣、クリの木御幣と根付き稲穂は、2週間後の還幸祭の際に当家ら一行が同神社までのお渡りに持って行かれます。
(H18.10.1 Kiss Digtal N撮影)
三宅町石見(いわみ)で行われる「祭祀講(さいしこう)」は、神さんとして崇める仏肖像画のような三つの”掛け軸”を掲げて拝礼する祭典で、家庭の安全と子孫繁栄、五穀豊穣を祈願します。
掛け軸の前には五合三段重ね餅、白米一升、清酒、稲藁束、タカの爪葉、ハギ花とススキ穂を並べ灯明に火を燈します。
神事を終えると、総代の周りに講員らが集まります。
総代の前には、大切に管理されている講員の名前を記した神名札を置きます。
神名札は18歳になった男子全員の名前が記されているといい、講員の子弟が満18歳に達して成人になった祝いをするものでいわゆる元服式。
総代は役員らが見守るなか、伊勢大明神へ代参したときに手に入れた棒のようなお札を、静々と下げて神名札を引き上げる「振上げ」神事が執り行われるもので息を潜める儀式です。
和紙でできているお札と神名札。
紐状になっているお札の先が引っかかるように持ち上がってきます。
雨が降ると湿り気があり引きあがるのが早いとおっしゃる。
引きあがってきた神名札を扇で受け取り、立会人が広げ名前を確認します。
このようにして2年後の当屋が決まるのです。
引き続いて、伊勢大明神代参者2名も「振上げ」の儀式で厳粛に決められます。
(H18.10.1 Kiss Digtal N撮影)
掛け軸の前には五合三段重ね餅、白米一升、清酒、稲藁束、タカの爪葉、ハギ花とススキ穂を並べ灯明に火を燈します。
神事を終えると、総代の周りに講員らが集まります。
総代の前には、大切に管理されている講員の名前を記した神名札を置きます。
神名札は18歳になった男子全員の名前が記されているといい、講員の子弟が満18歳に達して成人になった祝いをするものでいわゆる元服式。
総代は役員らが見守るなか、伊勢大明神へ代参したときに手に入れた棒のようなお札を、静々と下げて神名札を引き上げる「振上げ」神事が執り行われるもので息を潜める儀式です。
和紙でできているお札と神名札。
紐状になっているお札の先が引っかかるように持ち上がってきます。
雨が降ると湿り気があり引きあがるのが早いとおっしゃる。
引きあがってきた神名札を扇で受け取り、立会人が広げ名前を確認します。
このようにして2年後の当屋が決まるのです。
引き続いて、伊勢大明神代参者2名も「振上げ」の儀式で厳粛に決められます。
(H18.10.1 Kiss Digtal N撮影)
午前5時、講役員らはサイレンを合図に次々と訪れる餅を受け取る講員へ一升二段重ねの餅を分配していきます。
配られる餅は前夜に講三役が「餅見」と呼ばれる餅の検分を終えたものです。
昔は太鼓を合図にしていたそうで、講員や子供、嫁まで家族全員に餅を配られたといいます。
集会所玄関では当屋の家族が講員を迎え、お礼を申し上げます。
(H18.10.1 Kiss Digtal N撮影)
配られる餅は前夜に講三役が「餅見」と呼ばれる餅の検分を終えたものです。
昔は太鼓を合図にしていたそうで、講員や子供、嫁まで家族全員に餅を配られたといいます。
集会所玄関では当屋の家族が講員を迎え、お礼を申し上げます。
(H18.10.1 Kiss Digtal N撮影)
古代の三宅町は豊かな水田が営まれてきた大和朝廷の直轄地”屯倉”。
都を食糧の面から支える穀倉地帯であったとされています。
三宅町石見(いわみ)で行われる「祭祀講(さいしこう)」は、八代将軍徳川吉宗の時代の享保7年(1722年)に始まったと伝えられています。
石見地区は郷倉(ごうくら)を中心にして、角辻々の方角となる艮(うしとら)、巽(たつみ)、坤(ひつじさる)、乾(いぬい)の4カ垣内から成り立っています。
祭祀講員は18歳以上の男子120人余りで構成されています。
暗闇に包まれているころ、2年前の振上げ神事で決められた当屋は、日の出を向える2時間余り前、玄関に幕を張り提灯を吊って祭りを迎えます。
当屋は前年に祭祀地神田を耕して、生産した糯米を祭祀講の祭典に奉じられます。
(H18.10.1 Kiss Digtal N撮影)
都を食糧の面から支える穀倉地帯であったとされています。
三宅町石見(いわみ)で行われる「祭祀講(さいしこう)」は、八代将軍徳川吉宗の時代の享保7年(1722年)に始まったと伝えられています。
石見地区は郷倉(ごうくら)を中心にして、角辻々の方角となる艮(うしとら)、巽(たつみ)、坤(ひつじさる)、乾(いぬい)の4カ垣内から成り立っています。
祭祀講員は18歳以上の男子120人余りで構成されています。
暗闇に包まれているころ、2年前の振上げ神事で決められた当屋は、日の出を向える2時間余り前、玄関に幕を張り提灯を吊って祭りを迎えます。
当屋は前年に祭祀地神田を耕して、生産した糯米を祭祀講の祭典に奉じられます。
(H18.10.1 Kiss Digtal N撮影)