マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

大宇陀五津の天神社

2016年10月21日 09時48分13秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
前月に訪れた榛原笠間のSさんは隣村の榛原雨師のゾーク(造営)を教えてくださった。

おかげさまで取材することができた。

そのお礼もあって再訪した。

雨師のゾークに今まで見たこともなかった鯛2尾を曳綱に吊るすことを知った。

斎主の墨坂神社宮司の話しによればここら辺りではそういう在り方が一般的でよく見るというのだ。

もしかとして笠間のゾークもそうだったのか、である。

答えはあった。

鯛2尾はオスとメスの2尾。

見た目は判らんと笑って答える。

雨師丹生神社のゾークで見られた間に吊るす数珠銭も同じようなものだった。

また、笠間では大掛かりで豪華な飾り付けをした宝船があったという。

前々回のゾークのときに地区を周回した宝船は帆かけ船のような仕掛け船で御供も載せたフロート船だったようだ。

前回のゾークは平成25年10月27日。

ちなみに雨師は4月3日であったが、ここより数キロメートルしか離れていない地区に大宇陀の五津(いつ)がある。

ここでも20年の一度の祭典であるゾークは3月27日にしていたと云う。

終わってはいるが場所でも確かめておきたいと出かけてみた。

五津のバス停留所付近の辻より狭い道を登ったどんつきに鎮座していた神社は天神社。

こころが鳥居前に建つ灯籠には天満宮の社名である。

調べてみれば鎮座地は天神山。

まさに天満さん。



階段を登って参拝する。

社殿下に建つ牛の像は2体。



真新しい紅白の紐で顔を覆っている。



牛に嵌める鼻尾のようだ。

ちなみにSさんが云った他所のゾーク。

榛原角柄高龗神社のゾーク(斎主墨坂神社宮司)は平成27年11月8日に終わっていた。

「宇陀市メディアネット」が収録した動画で紹介しているが、曳綱の儀式や宝船などは報じていなかった。

また、吉野町三茶屋より北方にある大宇陀栗野の岩神社においても鯛吊りや宝船があったように語る。

調べてみれば平成23年11月に20年に一度のゾークを斎行されたようだ。

これもまた「宇陀市メディアネット」が収録した動画で紹介している。

映像に登場する宝船は見事だ。

小型船を利用した造りは紅白の幕に大きな御幣を中央に、御供を数杯の桶に積んで曳行されていた。

後続には稚児行列が続くが、太鼓は見られない。

当地も同じように中央に数珠銭、2尾の鯛が曳綱に吊っていた。

当神社行事に吉野川に出向くオナンジ参りや33枚の葉で数える参拝のお垢離取りがある。

その件は前週に伺った榛原石田在住のU先生から聞いた。

また、少し離れる地域に桜井市の吉隠(よなばり)でもゾークをしているらしい。

直近だというから4月10日の日曜のようだ。

当地は三社あるが、どの社殿なのか現地を訪ねなければならない。

ちなみに隣村の安田の談山神社のゾークは2年後になるらしい。

他所でもまだまだあるらしい。

(H28. 4.15 SB932SH撮影)

榛原笠間で探す苗代に立てるモノ

2016年10月20日 08時40分06秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
モミオトシ作業の手を止めて話してくださった東垣内のSさん

前月訪れて話してくださった中垣内のMさんも、笠間で苗代作りをしているのは3、4軒ぐらいだと云っていた。

今でもオンダ祭に奉った杉の実飾りの御供を苗代に立てているのはSさん以外にその数軒だという。

Sさんは服忌であるため、今年の御供はしていない。

していないからホウレンソウハウスに立てることもない。

笠間は広い。

西へ数キロメートル走れば宇陀市と桜井市の境界になる女寄峠(みよりとうげ)がある。

その辺りまでが笠間の領域。

そこら辺りにあるかもしれないと聞いて探してみた。

Sさんから当該の場所を教えてもらうまでは中垣内を周回して探した。

白い幌を被せた苗代の場は2カ所あったが、杉の実を立ててはいなかった。

もっと西よりだと思って走らせたら1カ所が見つかった。

この日は温かい。

伸びた目出しの苗に風を当てるために幌を開けていた。

10cmぐらいも成長している。

田んぼはどことも水は張っていない。

田植え時期は何時なんだろうか。

と思ってはみるものの田主は見つからない。

Sさんが話していた杉の実も見られない。

そこより上に行けば大規模なハウスがある。

軽トラがあるから農夫がおられると思って訪ねてみる。

ハウスはかつてシクラメン栽培をしていた。

棚を設けて栽培していたが、いまではホウレンソウが主だが育苗もしていると婦人は話す。

生まれも育ちも笠間。

オンダ祭のときには実家も杉の実を供えていた。

御供した杉の実は持ち帰って苗代に立てていたという。

その数はけっこーな数だったという。

ところで下にある苗代は・・・と尋ねたら、近くの男性が10日ほど前に設えたという。

苗代を作ったときにイロバナを立てていたというが、杉の実は見なかったそうだ。

この場にくるまで作業場で話してくださったSさんが云うには・・・。

云十年も前は稲作をしている家が多かった。

うちの家もそうだが、枝付きの杉の実を刈り取っていたと話す。

何本も採取した。

帰って家で杉の実を整理する。

鈴なりのような多くの実をつけた枝成りの杉の何本か束にする。

実成りが良いものを束ねるのでほとんどは捨てるらしい。

取ってきたフジの木の皮を剥いで杉の実の束を括る。

皮の表側は黒色、剥いだ内部は白い。

話してくれたフジの木の皮剥がしは大和郡山市小林町のオコナイや奈良市都祁南之庄のオコナイの用具作りで拝見しているからその様相は理解できる。

フジの木の皮は柔らかいし、反転する黒白混ざりの皮の紋様が美しい杉の実の束だったという。

それを2束、オンダ祭のときに神社へ持ち込んで玉垣に飾る。

垣内それぞれの大多数の家が持ち寄って飾るから壮観な状態だったようだ。

杉の実は神職に豊作を祈願してもらう。

神事が終われば供えた我がとこの杉の実を持ち帰る。

間違って持ち帰るわけにはいかないのでF札に名前を書いて奉納していた。

持ち帰った杉の実は苗代作りを終えた処に立てる。

立てる土台は一握りの藁束。

両端、中央を括ってばらさないようにする。

それを苗代田に置く。

そして中央に杉の実を立てる。

なんとなく榛原萩原小鹿野のごーさん札を立てる藁束や隣村の大宇陀平尾で拝見したナワシロジマイの「マクラ」と同じような構造だと思った。

今ではごくごく数軒。

縛るフジの木の皮代わりにナイロン製のPP紐になった家が増えたようだ。

いつしかそれもしなくなり、Sさんぐらいしかしていないのでは、と思った。

(H28. 4.15 SB932SH撮影)

泳ぎ出したコイノボリ

2016年10月19日 10時46分51秒 | 大和郡山市へ
地元の住宅地にコイノボリが揚がった。

4月に入ってコイノボリの支柱を立てた民家。

新興住宅地である。

5日だったと思う。

コイノボリは揚がったものの風は吹いておらずに勢いはない。

釣りあがった川魚のアブラハヤのような姿だった。

今日はやや冷たいが気持ちいい風が吹いて嫋やかに泳いでいた。

盆地平たんよりも山間部で拝見したいコイノボリの姿もあるが、私の興味は支柱の材にある。

(H28. 4.12 SB932SH撮影)

もっぺん見たい大和の年中行事in奈良町資料館

2016年10月18日 18時00分00秒 | しゃしん(県立民俗博物館展示編)
南館長のお誘いを受けて奈良町資料館で写真展を決めたのは半年前の3月17日だった。

当時の身体は復活の兆しどころか見込みもない状態であった。そのときの私にできることは・・・あるのか、それとも無理なのか、さんざん悩んで、開腹術後の快復を願って「もっぺん」をテーマにした写真展にした。

展示枚数はたったの8枚。復帰すれば「もっぺん」見たい行事がある。状況が変わった行事もある。当時、拝見した時と同じような情景を「もっぺん」見たい。そう、思った。

作品は新作でなく旧作である。我が家の書庫に眠っていた作品に再び光を・・と思った「もっぺん」に思いを込めて展示させていただく。



展示テーマ 「もっぺん見たい大和の年中行事」 <終了しました>
展示場所   奈良県奈良市西新屋町14  奈良町資料館 (入場無料)(※駐車場はありません)
開館時間   10時~16時 (入館は16時半まで)
展示日程   平成28年10月 1日(土)~平成28年10月18日(火) (※18日は15時まで)<終了しました>





なお、「もっぺん見たい大和の年中行事」写真展は、イベント数が過去最大の760もある“奈良県大芸術祭”のうちのひとつであります。
詳しくは“奈良県大芸術祭”の公式HPおよび“関西ウォーカー”特別号である公式ガイドブック『奈良県大芸術祭Walker』をご覧ください。

(H28.10. 1 記)

この年の3月6日である。

拝見していた「私がとらえた大和の民俗―衣―」写真展だった。

展示会場は奈良町資料館である。

なにかとお世話になっていた南館長より声をかけられた。

会場の一角で写真展をしてみないかというお誘いである。

その当時の身体は術後数か月も経過していたが、芳しくないときだった。

ありがたいお誘いは迷ったが、迷惑をかけてはなるまいと思って断った。

その日から夜な夜な眠れなくなった。

この件を逃しては、と思うように気持ちが高ぶってきた。

数日経って連絡した。展示ブースは埋まりましたでしょうか、である。

今でも空いているなら・・・。

返答は空いていた、だった。

これで、決まった写真展である。

身体は相も変わらずの状況だ。

展示に手間や負荷をかけたくない。

簡単な形でコンパクトにしたいと思っていた。

ならば、過去に展示した作品に身体の復帰を願って冒頭に揚げたテーマに決めた。

期間中、ノートに来訪記念に書いていただいたコメントはたいへん嬉しい。

日本語もあれば台湾語、韓国語、英語など・・・私は判読できないが、なんとなく通じるような気がした。

今後も「民俗」の記録に精進したいと思っている。

どうぞよろしくお願いするのとともにこの場を借りて感謝申し上げる。

また、10月1日、設営しているときから見てくださった方々や3日にふらりと訪れられた台湾出身の女性。



お声をかけてくださった民俗写真。

この出来事は今後の弾みになる。

この場を借りて御礼申し上げる。

なお、展示期間中は少しでも知っていただきたく平成21年10月に京都淡交社から発刊した著書の『奈良大和路の年中行事』を宣伝させていただいた。

展示場の床面に目を落としてくだされば、と思って並べた。

そうであれば、ここ奈良町資料館で売っているのでは、と思う人も現れかねないのでプレートを作ってくださった。



これもまた感謝である。

<拝観記録>
10月2日 台湾語で「展覧会肯定消耗了展毛□□少精力展品依精美 加□!!! 部超朱葱□」
10月7日 吹田市 K男
10月9日 奈良市佐紀神社 氏子
10月9日 N女史
10月12日 奈良にこんなにいろいろな行事が有るのに知らない行ったことがないなぁと、、、 
       せっかく奈良に住んでるので行ってみよう!と思いました。
10月13日 田中様、やっとお伺いできました。いつもHPで拝見してますが、こうして写真で、
       見ると余計に臨じょう感が伝わってきます。うちわまきも、もう今ではこんなハク力のある
       様子は見られなくなり貴重なお写真だとしみじみ思います。
       これからもますます奈良民俗のためご活躍ください。写真家N女史
10月14日 風景写真家Y
10月14日 もっぺん来年見たいです。奈良市の写真好き
        ・・ハングル文字に英語でもない文字は・・・判読できない
10月17日 ここの場しょを見てとってもたのしかった!!!

(H28.10. 3 SB932SH撮影)
(H29. 5.26 追記)

石田六社神社の御田祭

2016年10月17日 09時33分08秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
昨年の4月8日に伺った宇陀市榛原の大字石田のアマチャ。

プリントした写真を持って6月半ばに再訪した在宅のご婦人が云っていた。

4月12日には村の鎮守社の六柱(むつばしら)神社で御田祭が行われたが、「けーへんかったね」と云われた。

その日は自然観察会もあれば奈良市中畑町・高樋町の水口マツリの場を調査していた。

どちらも優先すべき行事の採訪であるが、決めるのはいつも悩ませる。

急ぐべき事柄によって優先順位を決めて伺っている。

今年は病み上がりの身。

県教委時代からお世話になっていたUさんが石田の当家(頭屋とも)を務めると聞いていたので身体状況の報告・挨拶も兼ねた採訪に大字石田を選ばせていただいた。

神社に着けば礼服姿のUさんと顔を合わせる。

頭屋の務めは前年の10月11日より始まった。

平成18年に石田に転入した。

村入り、氏子入りしてから10年目を迎えるころ。

21戸からなる大字石田の氏子入り。

もっと多くあったが何軒かが氏子から抜けられた。

それぞれのやむを得ない事情である。

10月11日は頭屋座がある。

前年の一年間を当家(頭屋)家で祀ったヤカタを六柱神社社務所に還す。

その直後に次の当家(頭屋)がヤカタを抱えて家に戻る。

戻る際には当家を先頭に氏子が並んで当家(頭屋)家に向かうのだ。

ヤカタに納めた石田の神さんを次の当家が一年間祀る。

いわゆる当家渡しの儀式には神職は登場しないとUさんは話す。

ヤカタを受けて2週間後は秋祭りの宵宮がある。

12月は大祓い。

大晦日から正月元日にかけては初詣。

2月は公民館で行われる涅槃講もある。

そして、この日の御田祭。

なにかと忙しい作業が多々ある。

昨日は御田祭に供えられる餅のモチツキ。

前々日は米洗い。

モチ搗きの際に当家が振る舞うボタモチもある。

小豆はこし餡。

手伝いにきてくれた人らに配る。

ウスヒキしたモチゴメで練ったヨモギダンゴもあると話す。

神饌は神事の際に供えられるわけではなく石田では先に本殿前に揃える。

昨日に搗いた大きな二段重ねの鏡餅や紅白結びした桶に盛った御供餅もある。

御供餅は二種類。

カサモチと呼ばれるコモチよりもやや大きめのモチもある。

カサモチは平べったい。

ただ、この日の神饌はモチが主役でなく稲籾である。

大皿に盛った籾は昨年に収穫した。

大切に保管しておいてこの日の御田祭に供える。

今年の豊作を願う籾を供えて祈願するのだ。

採れたてタケノコや大きなシイタケは石田産。

神饌ものは海の幸に山や里の幸など。

先に運んで並べておく。

そのころともなれば村の人たちがやってきた。

ここへ来るまではやや急な坂道。

鳥居を潜る前にある石田の子安地蔵尊堂に立ち止って手を合わせる。

左隣にあるのは不動明王の石仏。

私の目では庚申さんの姿のように思えるが・・・。

その向こうに咲いていた一本の桜の木。

前年の4月8日に訪れたときも咲いていた桜の木。

心穏やかな佇まいをみせる。

村の参拝者は裏道を通ることなく必ずや鳥居を潜る。

なだらかな坂道は手押し車や電動四輪車であっても上がりやすい。

大字石田よりすぐ近くにある榛原高塚に鎮座する八咫烏神社の栗野義典宮司が斎主を務められて神事が始まる。

栗野義典宮司とお会いするのはこの日が初めてでない。

平成21年11月23日に八咫烏神社を訪れたときだった。

曽爾村の小長尾の取材を終えた帰りの道中。

一度はご挨拶をと思って表敬訪問した。

宮司とご対面するのはこの日が初めてだったが、メール交換で馴染んでいた。

宮司職は本職でもあるが、もう一つの本業がある。

奈良県内に配られているフリーペーパーの「やまとびと」がある。

「やまとびと」の創刊は平成10年8月。

その直後に発刊元の共栄印刷に入社された栗野氏は「やまとびと」編集の仕事に就いていた。

その栗野氏から直接、メールをいただいたのは平成20年の夏前だったと思う。

栗野氏より依頼があったのは行事写真の借用である。

写真は旧西吉野村の城戸(じょうご)集落を巡るススキ提灯だった。

掲載誌はVOL34号だから平成20年に発汗された秋号である。

表敬訪問した訳はそのときのお礼も兼ねてだった。

その後の平成23年1月。

勧請縄行事に訪れた榛原額井がある。

トンドの風習も取材させてもらったのは栗野氏の紹介である。

その後も度々訪れるなど、ありがたい情報に感謝している。

栗野氏は八咫烏神社の動きを伝える「八咫烏神社 週間ねぎ生活」ブログを立ち上げ現在に至る。

栗野氏はそのブログに私が運営するブログをブックマークしてくださった。

宮司が出仕される地域は榛原の伊那佐の地。

いつかは行事取材にお会いすることだろうと思っていた。

それがこの日であった。

前置きが長くなった。

神職の登場に緊張感が漂う境内。

参進された宮司、氏子たちは本殿前に並ぶ。



神事は修祓、献饌、祝詞奏上、玉串奉奠など賑々しく行われる。

厳粛さに参拝者は音をたてることなく静かに見守る。



石田の田は苗代作りが始まっていた。

水があればカエルも登場する。

静寂のうちに行われる神事。付近からはシュレーゲルアオガエルの鳴き声が聞こえてくる。

五穀豊穣、家内安全を願われた御田祭に所作はないが種籾がある。



御供下げした種籾は半紙に包んで持ち帰る。

苗床に蒔く籾種は何日もかけて育苗する。

すくすくと育ってほしい種籾を余祝するのがこの日の祭典。

豊作の願いが込められているが、早い家では4月初めの3日ころに育苗していた。

一週間経ったこn日の芽生えは5cmの長さに伸びたと話す。

稀なケースで、大多数は4月末の祝日辺り。

イロバナを立てる家は少なくなって1軒がしていると聞いた。

社務所に寄り合う氏子たち。

しばらくの時間は直会である。

その間は村人たちの参拝がある。

家族連れ、子どもたちのグループなどめいめいが神さんに詣でる。

直会は短時間で終える。

これより始まるのは恒例の御供撒きだ。

供えたモチを盛った御供桶は社務所に置かれる。

その場に登る村の人たち。

座った子どもたちも落ち着かない。

以前は境内に広がっていた。

撒く人は本殿前。

そこから下の境内に向けてモチを撒く。

落ちたモチが土に塗れる場合がある。

汚れないようにと判断されてゴクマキの場は社務所に移したと云う。

当家(頭屋)のお礼の御供撒きに群がる人たちの声に釣られて撒く。



広げた手に嵌ったモチもあればすり抜けるモチも。

大笑いの会場に笑顔も飛び交う。

手に入れたモチはなぜか股間に集める人が多い。

袋に入れるよりもモチ取りに専念する。

効率的な方法だと思った。

八臼も搗いた御供餅はあっという間に股間に消えていった。

こうして村の豊作祈願を終えて後片付けをする当家(頭屋)。

家には祭ってある神さんのヤカタを撮ってほしいと願われてお邪魔する。

祭壇を組んで白い布を被せる。

沈黙のヤカタにローソクを灯す。



お供えは二段重ねの鏡餅に大きなシイタケにこし餡を塗したボタモチも。

毎日、お酒や洗い米を供えて手を合す。

こうして一年間も石田の神さんを預かるのが当家の役目だと云う。

ちなみに石田の六社神社の造営は20年おき。

過去を手繰ってみれば平成20年(2008)、昭和55年(1980)、昭和36年(1961)に祭典されたときの記念日が書かれていたので判るが、若干のズレがある。

村の在り方によっては往々にしてあることだ。

(H28. 4.10 EOS40D撮影)

となりの人間国宝さんに思わず注文した「がんばってますからっ!日本」冷凍お好み焼きよりどり5枚セット

2016年10月16日 07時40分58秒 | あれこれテイクアウト
この日もテレビで拝見していた関西テレビの朝の番組「よーいドン!」。

知っている処もあれば知らない土地を巡って地元ならではと思える人たちが多数登場する。

これはと思われる人に出合って感動するのが番組認定の「となりの人間国宝さん」。

この日に放映された訪問地は大和高田市の築山(つきやま)だ。

ちなみに土地は巡るが名所旧跡は一切紹介されない。

土地に生きている住民を紹介する。

さまざまな生きざまで暮らしてきた住民の姿は心から美しい。

テレビを見ながら拍手すること、ほろほろ涙流すこと、おかしくって大笑いすること度々ある。

この日に取り上げられたご夫婦が製造販売する冷凍お好み焼きに目が喰いついた。

スナックの経営からカレー専門店を経てたどり着いたお好み焼き。

今では一日におよそ6万枚も生産する会社に育て上げた。

そこへ行くまでは赤字、赤字の日々。

カレー店を閉めてカット野菜販売で首を繋いだ。

スナック時代に客に出していたお好み焼きが評判だった。

カット野菜にお好み焼き。

それらを詰め込んだカップお好み焼きで起死回生。

平成元年のことである。

もっと簡単にということで平成12年9月に冷凍お好み焼きを製造販売に成長したという話しだ。

めちゃくちゃ美味しいそうに食べはる出演者。

尤も売れに売れているお好み焼きが食べたくなった。

どこで売ってるんやと思って探し出した会社はご夫婦が経営されるSD食品(株)だった。

これまで冷凍お好み焼きはスーパートライアルやイオンでも買ったことがある。

だいたいが一枚で100円。

お得なお好み焼きは食べたいときに冷凍庫からだす。

レンジでチンしてお好みのソースをかけてマヨネーズ。

カツオ削り節に青のりを振りかけて食べる。

こ腹に丁度いいお好み焼きであるが、これらはまちがいなく中国産。

トライアルのお好み焼きとかチジミ焼きに貼ってあったシールを見て愕然とした。

それを知ってからは買うことはない。

ところがだ、年商8億円のSD食品(株)が製造販売するお好み焼きは自社ブレンドの小麦粉にキャベツ、豚肉、イカなどなどの具材すべてが国産に油は米油のようだ。

それを知ったかーさんは欲しいから、売っているスーパーがどこにあるのか探してという。

そういえば私が行く範囲内では見当たらない。

見つけていないのかも知れないがネット販売もあること知った。

とにかく早く食べたいというかーさんは、「がんばってますからっ!日本」冷凍お好み焼きよりどり5枚セットを販売しているネットを探し当てた。

数年前までは自社ネットで販売していたようだが、今は「ぐるなび食市場」に移っていた。

しかもだ、期間は何時までか判らないが、通常は送料込み2710円の「自由に選べる冷凍お好み焼きよりどり5枚セット」が、送料無料の特別価格1880円で提供するっちゅうのである。

通常370円の豚玉・イカ玉・ミックス(噂によればタコも入っているらしい)・スペシャル焼(テレビ放映クレジットに製造直売所にて税込310円とある)・豚肉入りモダン焼・エビ玉・ねぎ焼・月見豚玉・もちチーズ・ベーコンチーズ・シーフード・・・などなどだ。

5枚はどれを選んでも特別価格の1880円。

我が家は私の希望でオーソドックスな我が家定番の豚玉に希望はたっぷり入れたいが値段の関係で口にしたことがないねぎ焼にした。

同じ価格であれば味はどんなんだろうと試し買いのミックス・スペシャル焼・豚肉入りモダン焼で5枚組を買い物カゴに入れた。

特製ソースにカツオ節、青のりが同封されているお好み焼きセットの到着が楽しみ。

それから二日後の9日。

午前11時に冷凍便で届いた。

その日の昼食となってテーブルに出た。

まずは試し喰いということで二枚を選ぶ。

それを半分ずつに分けてかーさんと分け分けの食事。

一口食べて、美味いやん、の一言だ。

箸で摘まんですっと切れる柔らかさ。

食べてもやはり柔らかい。

口当たりがいいのである。

ヤマノイモはたぶんになく、擦ったナガイモがふんだんに入っているのだろう。

また、ソース無しでも味があるお好み焼き。

右は豚玉で左はねぎ焼きだ。

添えつけのソースはそれぞれ。

豚玉のソースは甘口。

左のねぎ焼きはソースでなくポン酢が入っているような味がする。

カツオの削り節はどちらも同じだが、青のりはねぎ焼きだけだ。

キャベツはしゃきしゃき。

豚玉は一枚の豚肉。

厚さも、肉汁も物足りないが味は満足する。

特にと思ったのがねぎ焼きだ。

ねぎはふんだんに入っているのかと思ったが、そうではない。

中心部は少なく、縁周りにある。

これもまたシャキシャキ感があるが思ったよりも少ない。

ねぎ焼きは別格の味がある。

中から出てきたのは何の肉。

この食感で判った。

スジ肉だ。

それもおでんのタネとしてスーパーなどで売っている串に挿したスジ肉だ。

私たちの口に合わないスジ肉ではあるが、焼きがいいのか、トロロト油でジュージュー。

スジ肉がこれほどの大きさであれば豚肉も同じ、いやそれ以上に盛ってほしいと思った。

食べている途中で何かが物足りないことに気がつく。

そうだ、マヨネーズと紅ショウガである。

味覚をより以上に求めるならこれは必須。

我が家ではこれがなければお好み焼きとは云わない。

どれもこれも一枚が370円。

贅沢は云わないが、美味いだけに不満足な点については検討願いたい。

その日からほぼ10日後。

スーパープライスカットで買った巻き寿司だけでは物足りないので冷蔵庫にあったお好み焼き2枚を焼いた、ではなく、チンした。



今回はミックス焼きに豚肉入りモダン焼き。

これもまた二人で分け分けして食べる。

始めに食べたのは豚肉入りモダン焼き。

焼きそば麺はやや固め。

この食感がたまらない。

その代わりに本来の柔らかさが口に伝わらない。

私は食感が気に入ったが、かーさんは不評だ。

もう一枚はミックス焼き。

豚玉よりも断然に美味しい。

これならもう一枚食べてみたい。

残すはスペシャル焼き。

味わって食べたい。

そう思って楽しみにしていた日がやってきた。

25日の我が家の昼食。



半ぶっこに分けて食べた。

(H28. 4. 7 記)
(H28. 4. 9 SB932SH撮影)
(H28. 4.18 SB932SH撮影)
(H28. 4.25 SB932SH撮影)

良くも悪くもならない

2016年10月15日 09時42分52秒 | むびょうそくさい
生温かい日はうつらうつらでもしたいがそういうわけにもいかない。

毎日のリハビリ運動に週一ペースの器械運動も欠かせない。

この日も午前中は自宅周辺を歩いてリハビリ。

前週に伝えられた速度は時速4km。

力を込める必要性もなく巡行速度である。

急ぐこともない毎日を暮らしながらのリハビリに気負いはない。

車で行けるようになってからは精神的にも安定しだした。

余裕をもって家を出る。

受付を済ませていつもの通りの血圧測定は132-71。

脈拍は57拍。

これには驚く。

外来棟に着いても、まだリハビリはしていない。

なのに57拍もある。

毎回がこうであれば良いのだが、先はまだまだ見えない。

リハビリ室に入ってこれもまたいつもの通りの準備体操。

直前に装着した心電図の波形は申し分のないような綺麗な波形。

P波はくっきりに、不整脈はどこへ行ったやらも脈拍は51-52拍辺り。

さっきに測った脈拍は何だったのか、である。

伸びるゴム道具を使ったスクワット運動。

このときの脈拍は53-55拍。

最近はだいたいがこういう数値である。

そして自転車に跨いでペダル漕ぎ。

いきなりの40ワークでスタートする。

回転数は60ぐらい。

血圧は128-61で脈拍は59-61拍。

40ワークでも60拍台になるのはやや早め。

負荷はかかっていない初速でもあるがなかなか良い数値の脈拍になれば嬉しいものだ。

10分過ぎにワーク10からのアップは50ワークに。

血圧は148-54になるが脈拍は61-62拍。

これまではぐぐっと上昇したが僅かしか上がらない。

負荷がかかっていないのだ。

汗ばむこの日の最大気温は28度。

夏日はすぐそこまでやってきた。窓は開放、室内空調真下で器械運動に心地よい風が吹き抜ける。

気持ちが良いのだ。

運動を終えてスローダウン時点の脈拍は47-51拍。

良くも悪くもならない、こんなもんだ。

すべての運動を終えて表彰式が始まった。

なんでも5カ月前からリハビリをされてきたご婦人は健康を取り戻されてリハビリ運動を卒業。

目出度い卒業に修了書を読みあげるK循環器医師。

受け取ったご婦人の嬉しそうなお顔。

目出度い日に同席された私たち一同は揃って拍手喝采。

私もこういう日を迎えたいものだ。

会計処理の間に再度測る血圧測定。

113-60も驚いたが、脈拍は来たときより下がって47拍だった。

良くも悪くもならないと思うのは測るたびに思うのだ。

この日の会計整理番号は1324。

だいたいが15分から20分待ち。

何回も来ているとだいたい判る。

(H28. 4.26 SB932SH撮影)

深夜に発症した異常

2016年10月15日 09時39分11秒 | むびょうそくさい
大病を患ってから寝つかれない日は極端に減った。

減ったどころか、一日、二日ぐらい、あったかなと思えるほど少ないのだ。

逆に多いのが深夜に目覚める日が増えた。

目が覚めてトイレに行くこともある。

毎日ではないがやや多い方かも知れない。

もよおせば目が覚める。

健康的だと思っている用足しの目覚め。

戻ってすぐに寝ることがほとんどだが、稀に寝つかれず悶悶とする場合がある。

そのときはテレビをつける。

深夜番組は時間帯によって多種多様。

思わず録画のボタンを押すこともある。

大病前にもあったそういう日。

すぐさまメモってブログタネにしたこともある。

この夜もそうだった途中目覚めの後処理。

2月初めまでは一人部屋ですやすや寝ていた。

ところが心室細動に陥る可能性が高くなったと診断された。

その夜からはかーさんが隣に敷いた布団で寝るようになった。

夜中にぐっと起き上って呻きを上げても一人部屋では気がつかない。

起きてこんなあと思って部屋の扉を開けたらぐったりする私を見つけて・・・・。

ということにはなりたくないと云ってそうしたから夜中に目覚めたときはそろりそろりと音を立てずに障子の開け閉め。

気がつかないように布団にもぐる。

もぐってから寝つかれなかった場合はどうするか。

同じ部屋ではテレビを見るわけにはいかない。

リビングで退避ということになる。

2月初めからあった深夜の目覚めに2時間ほどリビングに滞在したことがある。

この夜もそうしようと思ってリビングに身を寄せた。

時間帯は午前2時半だ。

30分もすればBS放送でニュースが報道される。

思考がなくともそれが良い。

ギラギラするようなミュージック番組では落ち着かない。

映像だけが回遊するネイチャー番組も心地いいが、どうせ見るならネタ的に使える番組も良い。

とかなんとか考えもなしにあっちゃやこっちへとチャネルの回遊。

前回はなんともなかったが、今回はおかしい。

頭がふらっとした。

揺れのように感じたが地震ではないようだ。

食卓テーブルに顔を伏せるほどしんどい。

横にあるソファにも顔をうずめる。

終いには暖房カーペットに横たわる。

マクラはソファにあった軽めの座布団。

二枚を二枚に折ってマクラ代わりにするが気持ちの悪さは治らない。

悪寒がするのだ。それは足元から。

足のつま先から凍るように冷える。

そんな感触だが、実感する脈拍は40拍から45拍辺り。

38拍以下ではないから心配はしないが、緩やかに感じる目眩に足の冷たさの悪寒に何かを感じた。

そう思って測った血圧計の値は193-97。

脈拍は43拍だ。

かーさんは高血圧症で薬を手放せない。

92歳で亡くなった私の祖母は玄関を出た地道で倒れたことがある。

ふらっと来ただけやと云っていたが高血圧であったのだ。

昨日までの診断、或は日常においても発症したことのない高血圧状態に悪寒は止まらない。

寝床にもぐっても足の冷たさは解消されない。

冷たくてよけいに眠れない。

しかたなく音声を消してテレビを見ていた。

寝床について1時間弱。

足はほっこりと温まったと感じた瞬間に寝ていた。

たぶん4時半ころだろう。

朝の目覚めは午前8時。

ふっと目が覚めて身体を起こす。

しばらく経ってもふらつきはない。

目まいも感じない。

(H28. 4.19 記)

(二重人格)ダブルスタンダードをもつ生身の身体ペースメーカー

2016年10月15日 09時24分34秒 | むびょうそくさい
今年度、初めて診察してくださる循環器内科のⅠ医師とご対面する。

これまで担当だった医師は退職されて大学病院に戻られる。

引継されてこの日が初対面。

たぶんに時間がかかるであろうと思って出かける途中のスーパートライアル大和小泉店で売っていたパンを買った。

午前中に血液検査や両足、両腕に各1本ずつに心臓部は6本のリード線がある心電図計装着した心電図検査をして医師の内診を受ける。

予定されてしている内診時間は血液採取してから1時間後。

検査を終えてから長いこと待つ。

受付した血液検査時間は9時56分。

検査の結果報告がでるのは11時30分。

予定している内診時間とぴったり合う。

例月通りに受付後は血圧・脈拍測定。

結果は147-75で39拍だった。

測定は差異を確かめたく、外来棟に到着した時点でしている。

そのときの結果は142-73の48拍だった。

日増しによくなる傾向にあったと思っていたが、1時間半も外来棟に在室しているだけで値が大きく変動した。

血圧はさほど変わらないが脈拍は起床時に戻った。

そう、何もしなければ心臓は元のさやに戻る。

運動をすることで脈拍が上昇する。

ここ数か月はそのように改善していたが30台数値の脈拍は相変わらずだ。

それはともかく、疲れがでたのか内診待合室の椅子に座っていたらうつらうつら。

安眠状態に陥っていた。

おそらくこのときの脈拍も39拍以下であると思う。

たいがいは血液検査結果報告がでて数十分も待てばお呼びがかかる。

ところがだ。

この日はやに遅い。

待てど暮らせど、お呼びがかからない。

呼び出しがあった時刻は、なんと、なんとの午後12時55分。

1時間20分も待った。

呼び出されても診察室内待合室で数分間。

それからやっと、ということだ。

対面したI循環器内科医師は見覚えがある。

そうだ、入院中に他の患者さんに対応されていた医師だった。

そんな他愛のないことを伝えたら心臓エコーをしていたでしょと返された。

毎週のように来診して行っている心臓リハビリの情報も伝えられている。

その結果やこの日の検査結果を診られて伝えられた言葉は順調です、だ。

ヘモグロビンは13.8。

前回、3月15日の状態は12.3だった。

さらに上回っていたことに歓びを感じる。

そういえば内痔出血はほとんど止まっている。

値的にもクリアーしているヘモグロビン値。

調子が良いのはそれもある。

もう一つはBNPだ。

1月の診察時では496.1。

2月の状況は約半分の253.1。

3月は大きく下回って二桁台の87.4。

この日は68.4。

さらに下回ったが微妙である。

BNPの標準基準値は18.4以下。

まだまだ先は遠いが、感じる心臓の負担感はまったくない。

もう一つは心電図の状態だ。

本日の計測をするときのことだ。

装着した直後の脈拍は38拍。

その後はやや上がって40拍台前半に落ち着く。

その状態を看られた技師は驚かれた。

脈拍が38拍を示せば異状なこと。

心配そうに顔を観る。

これは服用していたアンカロン錠の体内残存作用。

未だに溶けなくて・・と伝えたら、頷かれた。

2か月前までは随分と心配していたP波は、今回の測定結果ではくっきりはっきり出現している。

安静状態の脈拍は低いが、不整脈も見られず、運動をすれば60拍以上の脈拍になる。

ペースメーカーの対応はまったく必要なしと、I循環器医師がから云われたのがとても嬉しい。

では薬の量は・・と聞けば、もう少し、様子をみようということだ。

前任の主治医は結果によってワーファリン錠の量を換えるつもりだった。

引継ぎされた医師は今回の内診だけでは断定する怖さがある。

もう少しの様子を診るというのはそういうことだ。

PT-INRの値は1.32。

標準基準値は0.86-1.12。

ワーファリン錠を服用することで血液の凝固を抑制、防止しているということで継続。

思いは却下された。

内診を終えた時間は心臓リハビリ運動が始まる予定時間の5分前。

急いで会場に向かう。

これほど長引くとは思ってもみなかった。

5分でもあれば事前に買ったパンでも食べようと思っていたが叶えられなかった。

心臓リハビリ室の受付も大慌て。

いつも持参する記録ノートを忘れたことに気がつく。

忘れたのはたしかなことで持ってきたのは前回まで使っていたノートだった。

見誤って、持っていくべき最新版のノートを忘れたのである。

今回は久しぶりに体力測定をするという。

前回の測定は1月21日。

前々回は3月1日。

1カ月も過ぎたということで始まった。

長椅子に腰かけて足の蹴りや握力などを測る。

右足の蹴りは29.7kg。

前回の39.6kgよりもダウンした。

左足の蹴りは38.2kg。

これもまた前回の40.5kgからややダウン。

蹴りは伸びていない。

握力測定は右手が39.7kgで、左手は36.4kg。

前回は右手が41.2kgで左手は34.7kg。

右手がダウンで左手はややアップだったが、特に問題なしということだ。

高さ40cmの席に座って片足で立ちあがる脚の筋肉測定。

全体重を右足に載せてぐっと立ちあがる。

この高さはなんとかクリアーできるが、一段と低い25cmでは浮き上がることもままならない。

体力はあっても筋力はない。

若い時からそうである。

Gリハビリ療法士から筋力トレーニングでもと云いかけたが、筋力どころか腕力もない。

滅相もないと断った。

蹴り、握力、筋力測定の次は歩行能力測定。

5mの歩行時間は通常速度の歩きで2.9秒。

最大限の力を発揮した速度は1.8秒に特に問題はない。

これらの測定を終えて5本のリード線をもつ携帯型心電図計を身体に装着する。

このときの脈拍は38-39拍。

ストレッチ体操をすればすぐに効き目がでて50拍。

そして始まった自転車エルゴメーターのペダル漕ぎ。

初速は40ワークに設定されてペダルを漕ぐ。

脈拍は50拍だ。

40ワーク程度ではラクラク。

前回の心臓リハビリ用エルゴメーター運動負荷試験によれば適量基準値の脈拍は63拍だったとGリハビリ療法士が伝える。

今回はそこまでを目指しましょうということで5分後には50ワークに引き上げられた。

切替え直後からの脈拍は50-56拍だったが、それから5分後には63拍に上昇した。

以前はワークを55以上にしなければ上がらなかった。

今回は早めに上昇する。

良くなっている証拠だとGリハビリ療法士やK循環器医師も云う。

そのときの血圧は139-59。

ラスト2分前は上が140。

最後の最後はいつも上がる。

ラスト2分間の脈拍は66-67拍に汗が吹きだす。

エルゴメーターから降りたら脈拍は50-51拍。

急激な落ちはない。

リハビリ運動を終えてK循環器医師より前週に行った運動負荷試験の結果が伝えられた。

運動処方せんに基づいて説明される資料に疾患名は「心不全・僧帽弁閉鎖不全症」とある。

昨年の12月には電極カテーテルアブレーション処置をしたが、継続的「心不全・僧帽弁閉鎖不全症」の治療である。

運動負荷試験検査はおよそ20分。

前後の処置を入れて30分程度だった。

検査に終了は自己決断による停止でもあるが資料にあったのは下肢疲労である。

Gリハビリ療法士が云う脈拍基準の63拍は、K医師が診断したリストによればAT時心拍数であった。

今回の試験は有酸素呼吸である。

運動をすることで酸素量を増やそうとする自身の身体。

頂点までいった最高心拍数は107拍。

すごい値に気合が入っていたことを覚えている。

そのときの最高運動負荷量は108W。

つまり、毎回漕いでいるペダル漕ぎ自転車で云えばワーク108に相当する。

いつもなら最大が65ワークまで到達したことがあるが、試験は下肢疲労が起こる手前で停止。

限界値を身体で知るということだ。

ただ、最高心拍数までは順調なカーブラインではなかった。

その手前辺りで急激に上昇していた。

上昇のグラフ線はカーブでなく直覚的に直進するような状態である。

一般的にはなだらかなカーブラインになるが、私の場合は特異的な上がり方。

そういう人もあるらしいが事例的には少ないようだ。

前回の試験中にもK循環器医師が云った私の生身の心臓ペースメーカー。

発信部は少なくとも2カ所ある。

40拍以下を示す遅い脈拍は遅いペースメーカーが発している。

運動をすれば50拍台レベルまで達する早い脈拍は早いペースメーカーが動きだす。

つまり二つの発信器が体内にあるというのだ。

つまりは体内発信器が二つ。

自分自身がそうしているわけでもなく体内で勝手に動いているから自覚症状はない。

自覚しない私のペースメーカーはいってみれば二重人格。

私の意思とは別に動いているわけなのだから人格はあると思った。

そういうことも考えれば、現況でいえば遅いペースメーカーと早いペースメーカーはどちらも基準である。

つまりはダブルスタンダードなのである。

そう思ったことをGリハビリ療法士に話したら、患者さんに判りやすく教えられるから使わせてくださいと云われた。

そんな二重人格・ダブルスタンダードをもつ身体のペースメーカーであるが、特に心配するものではないとK循環器医師が話す。

とにかく頂点に達した動くほうのペースメーカー。

そこからもっと漕いで体力造りをするのはスポーツ選手。

つまり無酸素呼吸でパワーをつけるのであるが、超人でない私は有酸素呼吸以内で停止したのである。

そのときの最高酸素摂取量は20.6ml/kg/分。

一般人と比較した場合は86%。

つまり100%までもうちょっとだったということだ。

また、基準値のAT時心拍数が63拍におけAT時酸素摂取量は11.1ml/kg/分。

一般人と比較した場合の割合は68%だった。

力はまだ出し切っておらず、もっともっと上げる必要性があるという。

そういう試験結果を踏まえて今後のリハビリ運動の目標心拍数は63拍に設定された。

日常生活の歩行速度は時速4km。

車の洗車や窓ふきに階段の上り下りも推奨されたが、今回の試験コメントは「最大体力はまずまずであるが、有酸素運動能力は低い状況。いっときは脈が非常に遅く、しんどい時期もあったが、徐々に動けるようになってきた。今後は30分以上の活動を継続的に行っていただき、有酸素運動能力の向上に期待できる」とあった。

ガンバローである。

こうした内診、運動、試験結果通知などを終えた時間は午後2時50分。

お腹がぐうぐう言い出した。

でかける途中に買ったパンがやっと口に入る。

買った店はスーパートライアルの小泉店。

24時間営業のお店は助かる。

トライアルで焼いて販売しているパンはいずれも美味しかった。

コンビニで売っているようなパンは大手製造会社の製品。

袋に入れているし薬剤もある関係で何日間も日持ちする。

買い置きするには良いが味が好みになるのは少ない。

トライアルのパンはようもって2、3日。

他店舗でも買っておく場合もある。

美味しいパンはあるかなと思って陳列棚を見てがっくりきた。

半分以下の商品なのだ。

これこそ食べたいと思うパンがない。

困ったものだが、買うしかない。

そう思って物は試しの半額パン。



130円のガーリックフランス201を1個と99円のクイニアマンを1個。

それぞれ買って外来棟を目指した。

内診、リハビリとこの日の診断のすべてを終えたのは午後2時50分。

受け付けた会計の整理番号は1326番。

受け取った時間帯の番号は1290番だ。

すぐにやってくる会計支払い。

待つ時間は10分ほど。

大慌てで口にいれた二つのパン。

一度に二種類を口にいれるわけではなく、クイニアマン、ガーリックフランス201を順に食べていく。

最初に食べたクイニアマンは飴を煮たような食感があるパン。

お菓子パンに相応しいが、ガーリックフランス201はまったく違う。

袋から取り出した瞬間に香ったニンニク香。

食欲が湧く香りにがぶっとくっついた。

堅いの一言である。

なんせ名前通りのフランスパン。

歯で食いちぎるのも難儀する。

食べていくには多少の時間がかかる。

はっと気がついて会計処理を終えた番号が出た。

これもまた大慌てで自動支払機で支払いする。

駐車場をでたのは間一髪。

1分間の差で2時間越えに至らず、で脱出した。

(H28. 4.19 SB932SH撮影)

喜びもつかの間のストレステスト

2016年10月15日 09時16分28秒 | むびょうそくさい
毎週一回は外来棟でリハビリ運動。

そうでない日は自宅周辺の約2km弱を早足で歩く運動を続けている。

戻って測った脈拍はだいたいが45拍。

朝食を済ませて落ち着いているときは38拍。

測ってがっくりする毎日である。

ところで週一ペースのリハビリに測る血圧計が示す値は若干高め。

高めと云っても気休め程度。

ところが器械運動すれば脈拍は60拍にも上がる。

これが正常値であるが、停止したらとたんに下がって45拍程度。

相も変わらずに一か月も経過した。

体力的に戻りつつあるから身体的状態を検証。

循環器内科医師やリハビリ療法士の立会診断の下で心臓リハビリ用エルゴメーター運動負荷試験をすることになった。

検査名は呼吸機能検査。心臓リハビリ用エルゴメーター運動負荷試験である。

心臓手術の際にもしていた心肺呼吸器マスクと同じようなマスクを装着し酸素および二酸化炭素濃度を調べる。

血圧計に心電図計測器も身につけてペダルを漕ぐ。

スローから始まってロードワークを徐々に上げながら身体状況を計測する前は安静状態をデータ収集される。

計測時間は4分間。

始まってからすべての計測を終わるまでは声をだしてはならないと指示がでる。

声をだせば心臓に負荷をかけて正確なデータが収集できないということだろう。

では、スタートと云われてペダルを漕ぎ始める。

初期値のワークは10W。

小刻みに1Wずつ上げられる。

上げても、上げても負荷はまったく感じない。

ラクラクなのだ。

ワークは上昇するが体力変化はまったく感じない。

足は、息苦しさはと云われても快適そのものだ。

10分、過ぎたころでいつものワーク60になった。

やや感じるがまったくしんどさはない。

足も軽やかだ。変化があったのは80ワーク辺りになってからだ。

ペダル漕ぎに重量感がある。

それが負荷なのだが、足はまだまだ・・・。

こりゃいかんと思ったのは100超えのワークになるころだ。

急な坂道を漕いでいるような負荷である。

ここら辺りを過ぎてからは付き添う医師の掛け声が邪魔になる。

自分のペースが守れないからだ。

身振りで伝えるが伝わらないもどかしさ。

あと1分の声が上がったときの負荷は107にも達していたのだ。

さすがに足は怠くなったが、息苦しさはない。

身体的にはなんともしんどくなかったのだ。

週一ペースではMAX60ワークであるが、今回は限界値を知ることにある今回の負荷試験。

ワーク100を超えた辺りで達したリミット。

脈拍は110拍にもなっていたと医師が伝える。

呼吸器を外して安静を保つ。

我が身体が感じるドックドクの心臓。

指で抑えて脈拍を測らなくとも身体、特に頭辺りで感じた脈拍は72拍だった。

心臓というか鼓動はまさにドックドクである。

さらに数分間を待って血圧計と心電図計測器を外された。

徐々に冷やすような持ち方の安静状態にされた。

終わればなだらかなカーブで落ちた脈拍は58―56拍だった。

K循環器医師が云うには自分自身の身体が発する心臓ペースメーカー発信部は何カ所かにあるそうだ。

朝は脈拍が遅い。

それは遅いペースメーカー。

運動をすれば脈拍が上がるのは、早いペースメーカーがあるという。

それらが競い合うのか、しのぎを削っているのか判らないが、いずれであっても運動をすることでペースメーカーが目覚めたというのだ。

普段は遅いペースメーカーが動作していることがこれで判ったようだが、処置は・・・・。

すべてを終えたらGリハビリ療法士が顔をだした。

今回の詳しい結果は次回のリハビリに伝えるという。

それにしても手術後・退院後の身体状態は今から思えばそうとうしんどい状態だったと云う。

私もそう思う。

元気で軽く会話をしていたのは口。

ところが身体は動いていなかったというのだ。

口だけで身体はついていけなかった9月~12月の状態である。

そんな身体であったが患者さんの送迎はしていたし、伝統行事の取材もしていた。

ただ、歩く速度はおそろしく遅かった。

足がほとんど上がらない状態。

僅かな坂ともなればたいへんだったことを覚えている。

村の人から頼まれたゾーク(造営事業)の記録写真撮り。

やらなければいけない気力というか、気負いだけで作業をしていたように思える。

だが、疲れはなかった。

今では足取りも軽くしんどさもない。

気力も体力も身についてきたと思うのだ。

会計を支払って再度測った血圧計が示した脈拍は59拍。

嬉しかったのはこの一時だけ。

帰宅して測ったら44拍に落ちていた。

たぶん明日の朝は38拍になっているだろう。

3月22日、29日、4月5日、そして本日の13日のデータ。

来週はどういう状態になるのか・・・楽しみはあっても期待しない。

むしろ毎日の朝がコワイ。

夜寝ている状態の脈拍が37-39拍であれば、いつ心臓が停止するかも知れない状態。

眼が覚めたときの歓びはひとしおだ。

という具合の外来棟。

本日の会計も時間がかかった。

負荷試験を終えて会計に提出する。

受け取った整理番号は1402番。

15時の時間帯に発表された番号は1300番。

待つ人は100人越えになった実際の待ち時間はきっちり30分だった。

(H28. 4.13 SB932SH撮影)